序章

文字数 6,754文字

 砂漠の玄関口と言われる、オアシスの街レクサーラにあるハンターズギルドは突然の来訪者に騒然としていた。

 長い金髪(ブロンド)は美しくウェーブを描き、砂漠用の防塵マントの上からでも、わかるほど女性的なプロポーション。

 そして、長いまつ毛が特徴的な美女であった。

 その彼女。
 フィオールがコルナリーナ・ビスカヤーと呼んだその女性は、一瞬フィオールを見て驚きの表情を見せたが、彼の側にいた銀髪の美しい少女、エレン・シルバラントを目に止めるや、周囲の目も気にせずに叫んだからである。


「大変です、“エレンシア”様! 今すぐ此処からお逃げください!」


 と。

 エレン・シルバラントへ向かって、だ。

「エレンシア?」

 エレンとコルナリーナを交互に見、エレンへと問いかけるのはディーン・シュバルツ。

 黒髪黒瞳、精悍な部類に入るであろう顔立ちとレウスレイヤーと呼ばれる髪型をした青年である。

 一体どんな思いなのであろうか。
 その視線は普段と違い、まるで狩場にでも出た時のように鋭かった。

「…………」

 視線を向けられた、可憐を絵に描いたような少女は応えない。

 輝かんばかりの長くまっすぐな銀色の髪を腰まで届かせ、本来は透き通るような碧眼を曇らせる美しい少女。

 彼女は、エレン・シルバラント。
 そう、名乗っていたはずであった。

「どういうこと? エレン、あの人は……?」

 そう言って、ディーンとは打って変わって心配そうな声をかけるのは、リコリスであった。

 リコリス・B・トゥルースカイ。
 長い亜麻色の髪をギザミシックルと呼ばれるツインテールで結わいた、茶色い瞳の活発な少女だ。

 見れば、彼女のそばで同様に心配そうな視線を向ける小さな亜人種の顔があった。
 猫によく似た、成人男性の腰程の身長のアイルーという亜人種の少年、ネコチュウである。

 お腹の部分以外ねずみ色のネコチュウも、隣に立つリコリス同様に、彼女を気遣う様な表情を浮かべていた。

「……えっと」

 一瞬流れた気まずい沈黙を、意を決して打ち破ったのは、ディーンと同じく黒髪黒瞳の青年だ。

 クロオビショートと呼ばれる短く切りそろえられた髪を、その善良そうな顔に乗せたその青年の名はミハエル・シューミィ。

「どういう事でしょうか? 彼女はエレン・シルバラント。僕らの仲間ですが……」

 人違い……ではないのだろう。

 なぜならばエレン本人が彼女の名を呼んでいるからだ。

 それがわかるが故、困惑した表情で言葉を濁すミハエルを制して、肩口まで伸びた長髪を色草で青く染め上げた琥珀色の瞳の青年。

 フィオール・マックールが彼等を代表して来訪者へと問いかけた。

「どういう事だビスカヤーさん(・・)。詳しく説明して欲しいんだが?」

「もう、フィーちゃんってば。そんな暇無いんだってばぁ」

 応えるビスカヤー女史は、えらく間延びした喋り口調であった。
 両手を胸の前で握りこぶしにして、前屈みになるその姿勢は、なんとも緊迫感に欠けるものである。

「とにかく! 急いでレクサーラを離れないと、もう間も無く到着されちゃうんです!」

「……到着? 誰がだ?」

 ディーンがそんな彼女の様に、鋭い視線のまま聞き返す。

「そ、それは……」

 その視線に気圧されたのだろうか、それとも、言い難い何か理由があるのか、コルナリーナが一瞬言い淀んで見せる。

 一体何が来るから、エレンが逃げねばならないのか。

「ある“止ん事なき御方”って奴か?」


「「っ!?」」


 恐らくは後者か。そう踏んだディーンの問いに、エレンとコルナリーナが息を飲む。

 彼女達の反応は、ディーンが口にした言葉が、今この状況において、一つの正鵠(せいこく)を言い当てていた事の証明に他ならなかった。

 コルナリーナは『何故その事を?』と表情が語っており、エレンの顔色は真っ青だった。

「ディーン」

 フィオールがディーンへと視線を向ける。

 知っていたのかと、眼だけで問いかける自分の親友に、「いや、俺も詳しくは知らねぇ」と一言返してから、言葉を続けた。

「みんなには言わなかったが、俺がエレン(コイツ)と初めて会った時、エレンは正体不明の黒ずくめの集団に追われていた。俺が叩きのめしたんだが、そいつらがそんな事を言っていやがった」

 普段何も考えていない様なディーンにしては鋭い指摘であった。

「そ、そう! そうなのよ〜。フィーちゃん達には悪いと思うけれど、(おおやけ)にはできない理由で、エレンシア様を此処から一刻も早く遠い所へ逃がさなきゃならなくなったの」

 気をとりなおしたコルナリーナが、垂れ目がちな眼を精一杯引き締めて言い返す。
 言葉の端々に、『もうこれ以上関わるな』といった響きが、誰の耳にも感じられた。

「……エレン」

 友達になったばかりのリコリスが、悲痛な表情でこちらを見てくるのに対し、エレンは何も応えてあげられなかった。

「なるほど」

 是非に及ばず、だな。と、フィオールがため息混じりに呟く。

「そうだね」

ミハエルも、似たような表情で便乗する。

 そして……。


「……しゃーねーな」


 そうディーンが続いて言葉を出した。

 エレンは目の前が真っ暗になる様な思いだった。
 もう、彼等と一緒にいられなくなってしまうのだ。

 ディーンと共に、狩場を走り回れなくなってしまうのだ。

 そう思うと、足元が瓦解する様な錯覚すら覚える。
 偽り続けていた自分の過去が、エレン自身を捕らえにやってきたのだ。

…自業自得。なのでしょうね。

 自嘲気味な言葉が、彼女の中から滲み出て、より一層の虚無感を、その華奢な双肩に覆いかぶせてくる。

「ちょっ!? ちょっとみんな!?」

 リコリスが非難の声を上げるが、きっと覆す事は出来ないだろう。

 彼女を取り巻く問題は、おおよそ一介のハンター風情と何ら立場上変わらないディーン達では、到底対応し切れるものでは無いのだ。
 そして、それが想像できない仲間達では無い。

 今までが幸福すぎたのである。
 第一、本当に仲間達の事を思うのであれば……。

…これ以上、ディーンさん達とは一緒にいてはいけない。

 やはり、リコリスの声に反応を示すものはいない。

 皆、じっとコルナリーナの方を見ていた。

 視線を受けるコルナリーナは、男性陣が諦めてくれたものと理解したのであろう。

「理解してくれて良かったわ。流石はフィーちゃん」

 などと、大きな胸の前で手の平を合わせて安堵の表情を浮かべるコルナリーナ。
 エレンの方は、今にも泣き出しそうであった。


 ──しかし。


「何か、勘違いしていないか?」


 フィオールの声が、その場の空気を一変させた。

「理解なんかしていないよ? まだ僕達は、エレンちゃんから何も聞いていないもの」

 続けて言葉を引き継ぐのはミハエルである。

 えっ、と。
 やはりエレンの口から疑問符が声に乗って溢れるが、そんな彼女の頭の上に、ポンと乗っかる大きな手。

「止ん事なきが、どう止ん事ないんだか知らないがな。コイツはエレン・シルバラント」


 俺たちのチームで、仲間だ。


 と。
 ディーンが、エレンの頭に右手を乗せたまま、コルナリーナに真っ向から言い放つのだった。

「その仲間が泣きそうなのを、俺達が黙って見過ごすわけないだろうが」

「っ!?」

 思わず本当に泣き出しそうになる。
 だが、その前にディーンがエレンの頭を乱暴に撫で回すので、嗚咽の代わりに可愛らしい悲鳴がこぼれた。

「……ディーンさん」

 涙目で彼を見るエレンに、黒い瞳の青年はニッと歯を見せて笑いかけるのであった。

「ええっ!? ちょっと、困るよぉ。本当にまずいんですよ〜!」

 逆に、まさか言い返してくるなどとは想像だにしなかったのか、コルナリーナが今度は泣きそうな表情になる。

「ほんっとに、ヤバい人達が絡んでくるんですってば〜!」

 なんとか必死に説得しようとするが「すみません、ビスカヤーさん。ディーン君達、こうなっちゃうともうグラビモスでも動きませんので」と言う。
 ミハエルが苦笑気味だが有無を言わさぬ笑顔で返す上に、フィオールまでも「何も一切を拒否している訳ではない。協力しようと、言っているのだ。エレンさんの為にな」などと毅然として言い放ものだから、「うぐっ」とおし黙り、それ以上何も言い返せなかった。

 見れば、そばに立っていたネコチュウが「んにゃ」と可愛らしく胸を張って同意を示している。

 初めから、ディーン達はエレンをコルナリーナに無条件で引き渡す気は無かった様だ。

「何だよみんなっ! 一瞬本気で心配しちゃったじゃないかっ」

 リコリスが彼等に向かって、少し怒った様な表情で言うのに「誰に言っていやがる」などと返すディーン達だった。

「皆さん、あの……」

 本当は、コルナリーナの態度が示す通り、これ以上関わらせるべきではない。
 それはエレンだってわかっている。

 しかし嬉しさが優ってしまい、一体何と言えばいいのかわからなかった。

「気にするなって」
「きゃっ!?」

 何か言おうとしたエレンを、再び頭を乱暴に撫で付けて、ディーンが黙らせる。

「ただし! 今度こそ事情は詳しく聞かせてもらうからな?」

 そう言うディーンに、エレンは本気で涙目になって頷くのであった。

「で、ビスカヤーさん(・・)。まずは此処から離れなければならないんだろう?手短に話してもらおうか」

 フィオールが困り果てていたコルナリーナへと、問いかける。

「むぅ、フィーちゃん。何でそんなに他人行儀なの? お姉さん悲しい」

「今はそんな事を言っている場合なのか?」

 くすん。
 とわざわざ口に出して悲しさアピールをして見せるコルナリーナだが、冷静にフィオールにツッコミを入れられ、少しだけバツが悪そうにしながら、「むぅ」と諦めた様に口を開いた。

「わかったわよぉ。兎に角、まずは場所を変えましょう。早く此処から移動しないと……」

 そこまでコルナリーナが口にした時であった。


 突如、ハンターズギルド・レクサーラ支部に大音量のファンファーレが響き渡ったのである。


「ニャ、ニャにごとニャ!?」

 ネコチュウが素っ頓狂な声を上げる。

 かなり格式高そうなそのファンファーレは、おそらくレクサーラの中央噴水広場に面したこのギルドの外で吹き鳴らされているのだろう。

 演奏は次第にその調子を上げていき段々と参加する楽器も増え、しまいにはステアドラムやドラまでもが打ち鳴らされ出した。

「そんな!? 早すぎるわよぉ!」

 コルナリーナも泣きそうな顔を更に深めて悲鳴じみた声を出す。
 無意味にド派手なファンファーレに聴き覚えがあるのか、エレンが「これってまさか……」と呟くのを背後にかばう様に前に立ったディーンが、親友達に言う。

「まずいな」と。

 彼の二人の親友は、彼にならってエレンの両サイドに立ちディーンの言葉にうなづいてみせる。

「リコリス、ネコチュウもこっちへ」

 突然緊張感を走らせた三人に、驚いた一人と一匹は、言われるがままミハエルの言葉に従った。

「迂闊だったな」
「ああ、ギルドどころか、中央噴水広場ごと囲まれてやがる」

 やはり、自分達にも少なからずの動揺があったのだろう。それでも、まさかここまでの状況になるとは思いもしなかった。

「も〜!フィーちゃん達が素直に話を聞いてくれないからぁ〜!」

 向かいに立つコルナリーナが涙目で言う。

「エレン、これもその“止ん事なき御方”って奴の差し金ってヤツか?」

 先程以上に鋭い視線でディーンが背中越しにエレンへ問いかける。

「いえ、これは……」

 そうエレンが言葉を紡ごうとした時であった。


「ファルローラ殿下の、おなぁ〜りぃ〜〜〜!」


 ギルドの外から、やけに大きな声が聞こえて来た。

「えっ!?」

「ファルローラ……殿下って……」

 その内容に、ミハエルとリコリスが思わずキョトンとした声を出した。
 フィオールに至っても「まさか……」と驚きを隠せぬ様子である。

 唯一ディーンだけ、こっそりネコチュウに「誰?」などと聞いて、ネコパンチでツッコミを食らっていたが。

 そんな彼らをよそに、コルナリーナがサッと動き、自身がギルドへと入って来たスイングドアとディーン達との動線上から退いて、恭しく(こうべ)を垂れる。

 その直後であった。

 バタンッと再びスイングドアが勢いよく開くと、煌びやかな鎧兜をその身にまとい、金の刺繍をあしらった真っ赤なマントで装飾された騎士達が六人。
 入って来た入り口を挟む様にピタッと二列に整列したかと思うと、列の中心から無闇にくたびれた老人が、矢鱈(やたら)と豪奢な衣装に身を包んで入ってくるや、今にも折れそうな声でその場の皆に言い放った。


「皆の者、控えおろう! ファルローラ・ラケーネ・シュレイド殿下の御成(おなり)でありますぞ!」

 ヨボヨボと震え声であるが、なんとかギルド全体へと響いたのか、周りのハンターやスタッフ達が、慌てて姿勢を正す中、ようやく一人すっとぼけていたディーンの脳内で、その“御成あそばした”ファルローラ殿下の悪名(・・)とが一致した。


「ああっ! あの“わがままな第三王女”か!?」


 思わず空気を読まない大きな声を上げてしまったディーンに、眼前の無闇にくたびれて矢鱈と豪奢な衣装の老人が、大慌てで「こ、これ……」などと注意をしようとしたが遅かった。


「無礼者っ!」


 少女特有の甲高い声と共に、無意味に派手なファンファーレを上げさせ、必要以上に派手な装飾を部下にまとわせ、そしてこの場を包囲させた張本人が入り口から怒鳴り込んで来たのであった。

 肩口でボブカットに切りそろえられた金髪と、大きな翡翠色をした瞳が愛らしい姫ではあるが、その性根たるや外見とは正反対である。

 やれ『帽子にしたいから眠鳥ヒプノックの羽根を取ってこい』だの、『魚拓をとりたいから溶岩竜(ようがんりゅう)ヴォルガノスを狩ってこい』だの、しまいには『火竜リオレウスを飼いたい(・・・・)から捕獲してこい』などと言い出し、それぞれの希望をハンターズギルドへ依頼してくる、王朝史上“最凶”の迷惑王女。

 それがファルローラ・ラケーネ・シュレイド。
 通称“わがままな第三王女”であった。

 年の頃なら十二〜三歳と言ったところだろうか。
 普通ならば生意気盛りといった感じなのだろうが、彼女の場合はやる事なす事全てが規格外なので、かけらも可愛らしいとは思えない。

 そのファルローラは、ディーンの無礼な口調に憤慨した様子で、ギルドの入り口からずかずかとやって来ると、眼前の無礼者に対し(ちゅう)を下さんと、(まなじり)を吊り上げて何かを口にしようとしたが、ディーンの背後に立つ人物を見るや、突如として不機嫌な表情を一転させた。


「姉上っ!」


 輝かんばかりの笑顔で叫ぶ様に言うファルローラの言葉に、そう呼ばれたエレン当人と、コルナリーナを含むファルローラ側の人間以外の全員の声が見事に揃ったのだった。


「「「「「姉上ぇぇぇっっっ!!!???」」」」


「ファルローラ王女。私は……」

 “姉”と呼ばれたエレンが、おずおずとファルローラへと応えようとするが、エレンが何かを言おうとするが、それ以上はうまく言葉が出てこない様だった。

「姉上って、お前……」

 流石のディーンもこれは予想外だったらしく、表情を曇らせるエレンをついまじまじと見つめながら呟く。

「ふん!」

その呟きを耳聡く拾ったファルローラが、驚くディーンを嘲笑う。

「そうじゃ、無礼者め。お前の後ろに立っておられるのは、わらわの姉上、エレンシア・シルフィ・シュレイド姫。本来の第三王女じゃ!」

 勝ち誇った様に言い放つファルローラの言葉に、皆が驚愕する中、ディーンは動揺を隠せぬままエレンを見つめ、彼女はその視線を、まっすぐに受け止められはしなかった。



…To be continued.
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