2節(8)

文字数 5,281文字

・・・
・・



 ところ代わり、城塞都市ヴェルドである。

 ディーン達が出発してから、既に4日が過ぎようとしていた。

 もう日も沈もうとしており、城下では富裕層も貧民街も同様に、家人が夕餉(ゆうげ)の仕度に取り掛かっている頃だろう。

 エレンはと言えば、日がな一日特に何もすることが無いせいか、与えられた客間の窓辺に腰掛けて、屋敷から見える山間に沈みゆく夕陽を、見るともなく眺めていた。

 傍の小机に置かれた厚手の書物は開かれたままになっており、窓から流れ入る風に、パラパラとページがめくれていくが、窓辺に憂う少女の気持ちを引きつけることはできないようだった。
 それでも、以前に比べれば随分マシではあるのだ。

 あまり目立った動きは出来ないので、手持ち無沙汰からこの四日間、屋敷の隅から隅というところまで、かっちりきっちりしっかりさっぱり掃除し尽くし、マックール夫人を狂喜乱舞させたり、屋敷のシェフと一緒になって、やたら豪勢なディナーをこさえて、皆を喜ばせてみたりするのは、とても有意義だったのは間違いないのだが、何かが決定的に足りていないのである。

「今頃は、もうシキの国に着いているんでしょうか?」

 呟く声が、風に乗って流れていく。

 思い出されるのは黒髪の快男児の、あの遠慮のない笑顔であった。

 日課のトレーニングも済ましたし、マックール夫人の手持ちの本などは、ほぼほぼ読破済みだし、流石にマックール卿の書斎に入るのは気がひける。

 暇を持て余すなんて感覚を、まさか自分が感じる日が来るとは、思いもよらないエレンであった。

 ふぅ……。

 もう何度目かわからないため息が零れ落ちる。
 辛気臭い事この上ないが、自分自身じゃ止めようがなかった。

「あらあら。退屈そうですねぇ」
「ホントだ」

 不意に、そんな彼女にかかる声があった。
 振り返ったエレンの視界に、ブロンドの美しい女性と、亜麻色の髪の活発そうな少女が映り、彼女の表情にようやく彩が戻ってきた。

「コル。リコリスさん。やだ、見ちゃってました?」

 恥ずかしそうに言うエレンに、リコリスは「見ちゃってましたよ〜」などと彼女をからかいながら、顔を背けるエレンの頰などを突いてみせる。

 コルナリーナも、「まぁまぁ。エレン様もだいぶ乙女になっちゃってぇ」などと、リコリスに便乗してエレンをからかうものだから、エレンも「もう!」と怒ったふりをして、二人の友人(・・)に応えるのであった。

 リコリスだけではないのだ。
 今ならわかるような気がする。

 コルナリーナ・ビスカヤー。
 彼女も確かに、主従以上の情を持って、自分に接してくれていたのであると。

 一方通行ではなかったのだとわかるようになった事は、ディーン達と出会ったからこそのものであると思うと、自然と誇らしい気持ちになるエレンであった。

「ごめんねエレン。こんな、閉じ込めるような状態になっちゃって」

 不意に、リコリスがそう言って、パラパラと風でめくれる本を閉じて言うものだから、エレンは首を思いっきり振って言うのである。

「いいえ! 皆さんこそ、私なんかの為に、すごい頑張って動いてくれてますし!」

 エレンの言う通りである。
 ディーン達がシキの国に向けて出立してから、リコリス達は本当に駆け回ってくれたのである。

 フィオールとミハエルは、騎士団の方から王都内部の情報収集に奔走してくれているし、保守派に目をつけられているはずのコルナリーナでさえ、今までのコネクションを最大限に活用し、フィオール達のフォローを行なっているのだ。

 そして、リコリスとネコチュウは、できる限りエレンのそばにおり、彼女に良からぬ輩が近付かない様にと目を光らせている。

 今は、ネコチュウが屋敷の周りを巡回しているところであろう。

 コルナリーナも、極力エレンの周囲に気を配っている様であった。

 そして何より大きいのが、彼女達の拠点となっているマックール邸である。

 流石に先の暗黒時代平定の英雄である。

 王国軍元帥ですら、フィン・マックールの言葉には逆らえないと、民草は噂しているのだが、それがまさかあながち間違っていないとは、実際にフィンの屋敷に来てみて思い知らされた。

 これなら万全だとそう思いたいのだが、出立時のディーンの、あの彼らしからぬ心配そうな瞳を思い出し、例えようのない胸騒ぎを覚えるエレンであった。

「そう言えば、フィオールさん達は?」

 このままの流れでは、エレンはひたすら(へりくだ)るだけなのは、短いが密度の濃い時間を共にしたリコリスにはよくわかっているらしく、素早く話題を変更する。

「ああ。フィーちゃん達は今日も情報収集みたい。バーネット卿ってば、かなりの秘密主義らしくてねぇ。なかなか尻尾を掴ませてくれないみたいよ〜」

 すかさずそれに便乗するコルナリーナであるが、実際問題バーネット卿の目的など、確たる情報は得られていないのであった。

「お義父様も、折を見ては国王陛下へ謁見を求めているみたいだけど、こっちもかなりガードを固めちゃってるみたいでね」

 もう完全に引きこもっちゃってるみたいなのよ〜。と、困った様に笑いながらうそぶいて見せるコルナリーナに、思わず苦笑を漏らすエレンとリコリスであった。

 しかし、和やかに流れていた時間は、唐突に終わりを告げる事となる。

「ニャ、ニャー!?」

 慌てふためいてエレンの客間へと駆け込んで来たネコチュウの声に、エレンとリコリス、そしてコルナリーナは何事かと身構える。

「た、大変ニャ!」

「落ち着いてよネコチュウ。どうしたのさ、いったい?」

 リコリスが駆け込んで来た彼を受け止めて、問いかける。
 臆病そうに見えて、いざという時は肝が座るのがネコチュウである。

 その彼がこうまで慌てるのも珍しい。

 一体何があったのだろうと、三人が顔を見合わせた時であった。

「いつまで待たせる気かね?」

 陰気な声が、彼女達のいる二階の下、マックール邸のロビーから聞こえてくる。

「まさかっ!?」

 あまりの大胆さに、コルナリーナが驚愕の声を上げる。

「ネコチュウ、マックール夫人は!?」
「もう安全な場所に隠れてもらってるニャ!」

 リコリスが緊張の面持ちで聞くと、すでに気を利かせてあるネコチュウが返す。つくづく優秀なアイルーであるが、今は彼を褒めている時間は無さそうだった。

「……叔父上」

 エレンが複雑な表情で呟く。
そう。一階玄関ロビーで声を張り上げた主は誰あろう、彼らが理屈抜きで最も警戒していた男。
 ルドルフ・シルフィ・バーネット子爵その人なのであった。

 マックール邸のロビーは広い。

 王城と目と鼻の距離にかなりの土地を頂戴し、広い庭と合わせて広大な敷地を有するのに比例して、かなりの大きさを誇るお屋敷である。
 邸の門をくぐり、兵士達の訓練場としても使える広い中庭を抜けた先には、訓練兵の仮宿舎にもなる大きなマックール邸が見えてくる。

 当然、数十人を一堂に納められるよう設計されたマックール邸のロビーは、ロビー内で練習試合が組める程のスペースがあった。

 玄関の大きな両開きの扉を開ければ、吹き抜けの天井に、質素ながらも趣味のいい空間が広がっており、そのまままっすぐ進めば二階へと続く大階段。
 左右へは、訓練兵の寝泊まりできる仮宿舎と、使用人達の部屋や大食堂といった設備へと抜けるための通路口が見える。

 その玄関のドアの前で、使用人の中でも責任のある位置にいる初老の男性が、必死に言葉を並べて足止めをするその人物こそ、エレンの叔父、ルドルフ・シルフィ・バーネットその人であった。

「何用でしょうか? バーネット卿」

 二階から姿を現したコルナリーナが、大階段を下りながら彼へと声をかける。

「余程お急ぎでいらしたようで。御髪(おぐし)が乱れておいでですわよ」

 コルナリーナの言う様に、一体何処をどれほどの速度で走ればそうなるのであろうか、バーネットの衣服や頭髪は、普段の彼とは思えぬほど乱れていた。

 対するバーネットは、自分よりも高い位置から話しかける無礼に露骨に顔をしかめながら、ふんと鼻を一つ鳴らして見せると、陰湿な声音で応えるのだった。

「叔父が姪御を迎えに来たのだ。とっととエレンシアを出せ」

 ぶっきらぼうにそう言う。
 だが、彼らとしては当然それを認めるわけにはいかない。

 使用人達にも徹底している事を、コルナリーナは繰り返すのみである。

「異な事を仰いますね、バーネット卿。せっかくお急ぎでいらっしゃったのに申し訳ありませんが、ここに貴方の姪御様であらせられる方はいらっしゃいません。マックール卿のご子息のご猟友(りょうゆう)が滞在していらっしゃるだけですわ」

 そう。
 この屋敷に滞在しているのは、“エレン・シルバラント”なのだ。

 王宮保守派の使者が来ようが、国王直属の執事長が来ようが、コルナリーナ達は頑としてこれを譲らなかったし、当然ながらマックール卿も自身にくる要請や言動を突っぱねた。

 文句があるならハンターズギルドを通せ。この一点張りである。

 王国軍を実質取り仕切っているフィン・マックールだからこその姿勢であるが、本土を一歩外に出れば、大型モンスターの脅威に晒されるこの大陸に置いて、ハンターズギルドと揉め事を起こして、いいことは一つもない。

 それは、王国であっても同じなのである。

 彼らは誰にも従わない。
 己が腕と知恵と勇気のみで、この辺境の地を渡り歩くのである。

 一騎当千の猛者どもが集うハンターズギルドは、王国軍であっても下手に手を出せない上に、彼らの協力を失っては、本土を脅かすモンスター達を退けることは不可能なのだ。

 だからこそ、彼らは王家に対して強気に出れるのである。

 第一エレンシア姫の存在は王家では秘匿とされていた事であり、王家側はハンターズギルド側へ抗議もロクに出来ないはずだ。

「フン。とんだ茶番だな」

 いかにも面白くなさそうに吐き捨てるバーネット卿。

 だが、いかな崇龍(ドラクル)子爵と言えど、この状況では引き下がるを得ないはずだ。

「申し訳ございません。バーネット卿」

 ギロリと睨み返してくるバーネットに少しも動じる様子を見せる事なく、コルナリーナが低頭する。

「“クロックス”め」

 忌々しそうに呟くバーネット卿に、コルナリーナは胸中で嘆息する。
 正直。この陰気な男は好きになれない。

 どちらにせよ彼にはこの状況を覆す方法は無いはずである。このまま二、三こと愚痴を言って帰るだけであろう。
そうは思うが、楽観する様な仕草は表に出さずに、コルナリーナは言葉に出さずに拒絶の意を示してみせるのだった。

 しかし。

「……まったく」

 不意に、得も知れぬ悪寒が走ったかと思うと、コルナリーナは思わず叫んでいたのだった。

「パーガンさん! その方から離れてくださいっ!」

 バーネット卿のそばで、先ほどまで彼を留めていた初老の使用人に向けて警戒の声を飛ばす。

 理屈はない。
 理屈はないのだが、彼女も英雄(フィン)に幼少の頃から武芸の手ほどきを受けた身である。

 だからわかったのだ。

 バーネット卿から突如発せられたモノが何なのか。
 ハンターや熟練の騎士達は、おそらくソレを“こう”表現するのだろう。


 殺気(・・)と。


「では、力尽くでいただいて行くとする」

 あくまで陰気に言うバーネットだが、まるで館内の空気が、彼を中心に渦巻いているかの様な錯覚さえ覚える程、彼の纏う雰囲気が激変した。

「くっ!?」

 咄嗟に身体が反応できたのは僥倖(ぎょうこう)であった。

 コルナリーナは一気に階段を駆け下りると、何事かと狼狽えるばかりの初老の使用人の襟首をむんずと掴むや、強引に後方へ引っ張り倒した。

 悲鳴をあげて倒れるパーガンと呼ばれた使用人だが、一拍遅れて彼の胸元にひらりと舞い落ちて来た、彼の襟元にあったはず(・・・・・・・・)タイ(・・)と、眼前で護身用に腰にさしていた細剣をいつの間にか抜きはなっているバーネット卿を見て、ひいとひきつる様な声をあげた。

 彼とて部門の家の使用人である。

 自身に心得がなかろうと、自身が斬り付けられたのだと言うことは理解できる。

 もし、一瞬でもコルナリーナが自分を引き倒さねばどうなっていたことか。

「パーガンさん、下がってください」

 バーネットから目をそらさぬまま言うコルナリーナに、一にも二にもなく頷くと、初老の使用人は礼を言って急ぎその場から退散するのであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み