3節(1)
文字数 7,130文字
「ルークッ‼ ルークゥッ!?」
悲痛な叫びが、陽のくれた砂漠に響き渡る。
悲鳴の主 リコリスは、誰の目にも手遅れであるルークのもとへと駆け出そうとするが、直様 エレンが抱きつく様にしてそれを制止させられてしまった。
「離してっ!! 離してよ!! ルークが、ルークがぁっ!!」
「駄目ですリコリスさん! 今は……今だけは堪えてください!!」
腰のあたりにしがみつくエレンを振り解こうと、必死にもがくリコリスであったが、制止するエレンの方も必死である。
何故なら、今まさに上半身のみの無慚な骸 と化したルークへ向けて、件 の大顎 がズシンズシンとその巨躯を揺らして向かって行ったからだ。
冷静さを完全に失った今のリコリスでは、あの怪物の新たな餌食になるだけである。
「いやぁ! いやだよぉっ、ルーク!?」
泣き叫ぶリコリスを尻目に、怪物は飛んで行ったルークの上半身のもとへとたどり着くと、再び大口開けてその亡骸 に噛り付いた。
その直前、リコリスの首筋に手刀が落とされ、彼女の意識を一時的に断ち切る。
ガクッと崩れ落ちるリコリスを、慌てて倒れないように抱きとめるエレン。
そのエレンをフォローする様にリコリスの身体を受け止めるのは、彼女に手刀を見舞った本人であるミハエルであった。
これ以上、彼女に相棒のあまりに惨たらしいな様 を見せないためであろう。
その顔はフルフェイスのギザミヘルムで隠されているため表情は窺い知れないが、垣間見える瞳からは、その気持ちが痛いほど伝わってきた。
「レオ、アイツ何て奴だ?」
その様子を尻目に、ディーンが先程「この大陸には生息していないはず」と口走った言葉を聞いていたのであろう、ルークの亡骸を平らげ ている巨体を睨みつけるレオニードへと声をかける。
視線をレオニードと同じ方向へと向けるディーンの表情には、隠す気など更々 無いのであろう怒りの色に満ちていた。
彼等の視線の先、ディアブロスをゆうに凌ぐその巨体は、陽の落ちたとは言え砂漠では嫌でも目を引く濃い緑色。
その深緑 の外皮からは、見るも悍 ましい図太い血管が、赤々と浮き上がっていた。
最大の特徴は首まで裂けた、上下ともに無数の極太な棘に覆われた大顎 。
全身是筋肉 の塊 といった、大きく盛り上がった四肢 は、巨大な頭部に対して、前脚部分のみ小さい。
現代に生きる読者諸君からすれば、かの有名なティラノサウルスを想像していただければ、イメージは掴みやすいかもしれない。
もっとも、禍々 しさはその非ではないが……。
「……俺も信じられないんだがな……」
応えるレオニードの声も重たい。
「暴飲暴食 、神出鬼没 。その名が示すあの大顎で、あらゆる存在を捕食する、東の大陸で最も恐れられる獣竜種 ……」
そこまで口にして、レオニードは一旦間をおいた。
視線の先の巨体は、ルークの“残り半分”をあっという間に平らげ、それでもなお喰い足りぬとばかりに唸り声をあげていた。
「……まさか」
そこまで聞いて思い当たる節があったのか、フィオールが絶句する。
「その“まさか”さ」
フィオールの声に応えて唇を強引に吊り上げるレオニード。
自然、他のメンツの視線が集まる中、努めて強気な口調で喋るのとが、これ程苦労する行為だとは考えもしなかった。
「みんな腹ァ括 るんだぜ。今目の前にいやがるのは、おそらくお前らが相対したどのモンスター共よりもタチが悪い」
それでも、名の通った“ラストサバイバーズの斬り込み隊長”たる自分が気圧されてはならない。
恐怖は伝染するのだ。
その自負があればこそ、レオニードはその身を奮い立たせて言い切った。
口にするのも恐ろしい、その怪物 の名を。
「アイツが悪名高き恐暴竜 、“邪悪なる大顎 ”だ……!!」
ゴアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッ!!!!!!!!!!
レオニードの言葉に応える様に、イビルジョーの咆哮 が被さった。
・・・
・・
・
「馬鹿なッ!? イビルジョーだと!?」
気球の中で、ムラマサの驚愕の叫びが響き渡る。
「フフフ。驚いたでしょ? 暴れん坊だからちょっと大変だったんだから」
その声に非常に満足そうな笑みを浮かべながら、まるでとっておきの悪戯 を披露するかの様に、真白 い童女が無邪気に笑う。
「フフフ……今度のも強敵よお兄様。その子はずっと土の中に閉じ込められてて、今とぉってもお腹が減ってるの。そりゃもう手をつけられないくらい」
身を乗り出さんばかりにはしゃぐシアを尻目に、ムラマサは胸中で叫んでいた。
…冗談ではない! それでは、強引に飢餓 期の状態にさせられたという事ではないか!
遠目からもよく見える。全身の古傷が浮かび上がり、禍々 しいその姿。
眼 は爛々 と赤く輝き、時よりバチッバチッと黒い火花を幻視させるその様は、まさに噂にある飢餓期の“ソレ”であった。
ここで少しだけ、読者諸君にイビルジョーの生態について説明させていただこう。
ディーン達が活動する西の大陸とは、大海を挟んで向かいに位置する東の大陸には、当然の事ながら西とは違った生態系が築き上げられており、そこに生息しているモンスターを狩るハンター達の組織もまた、西とは毛色の違ったものである。
西が様々な竜種のモンスターを“飛竜種”と分類するのに対し、東ではその種別わけは多岐に渡る(最近は西方もその影響を受け始めているのだが)。その中でも、二本脚で大地に立ち翼を持たずに陸地を主に行動する種を獣竜種と呼ぶ。
イビルジョーはその中でも最凶の名を欲しいままにする大物である。
獣竜種の中でも最大級の巨体を誇り、高い体温及びその体躯に比例した代謝を保つ必要性と貪欲かつ底無しの飢餓感から、眼に映ったものが何であろうと捕食のため無差別に襲いかかる習性を持っており、同属に対しての共食いどころか、時には自身の身体すら食いかねない。
その食性から、過剰な捕食によって周囲の生態系を崩壊させ、特定の生物を絶滅寸前に追い込んだ事例すらあるという。
特定のテリトリーを持たず、餌を求めて様々な場所を徘徊しており、移動に関する習性・生態も現状では解明されていない。その捕食対象は小中モンスターは勿論のこと大型モンスターでさえも例外ではなく、当然の事ながらハンター達もその捕食対象である。
全身を覆う筋肉が物語る様に、非常に攻撃力が高く、並の防具の装甲など、紙切れ同然の効果しか無いため、東の大陸ではこの神出鬼没の恐暴竜に運悪く出会ってしまい、命を落とすハンターが跡を絶たない。
激昂すると全身の筋肉が大きく盛り上がり、過去に獲物につけられた古傷が不気味に赤く浮かび上がると同時に傷口が開き、痛みそのものが更に狂暴性を増大させる要因となっていると言うが、ムラマサの危惧 する“飢餓状態”にあると、あまりの空腹に常に上記の激昂状態が続くのだという。
それ以外の詳しい生態については未解明な部分が多く、その狂暴性を含め東のハンガーズギルドでは、目下最重要調査対象となっている。
「……むう」
苦々しく唸ることしかできない。
そんなムラマサの表情が気に入ったのだろう。一層上機嫌になったシアは天上から見下ろす神にでもなったかのように、高らかに言い放った。
「さぁ、第二ラウンドよ!疲労困憊 負傷死傷 、準備不足に分不相応 。今度はさっきの様な中途半端な“色”じゃあ凌げはしないわ」
両手を広げ歌劇女優 のような口上。対して傍らの赤衣のルカは相変わらず何を考えているのか、フードに隠れた視線を眼下へと落とすのみである。
「魅 せて御覧 なさい“黒き者 ”。このシア・ヴァイスが試 ていてあげる! さぁ! さぁさぁさぁ!」
いよいよ興奮したシアは、嬉々とした表情で手すりから身を乗り出し、叫んだ。
「“いざや、舞台の幕を開け” っ!」
・・・
・・
・
ガアアアァァァッッッ!!!!!
巨大な顎が、一瞬前まで自分のいた場所を通過する。
一旦大きく振りかぶった鎌首を振り回す様に、イビルジョーがディーン目掛けて噛み付いてきたのを、彼は後退するのではなく、大胆にも懐に飛び込んで回避した。
背筋にヒヤリとしたものを感じながらも、イビルジョーの巨体の足元に潜り込んだディーンは、抜き身の太刀を一閃させる。
ぶっしゅぅと鮮血が舞うが、それは一瞬だけだった。
イビルジョーの盛り上がった筋肉が、直様ディーンに斬りつけられた左脚からの出血を押し留める。
「チィッ!」
右片手一本での袈裟斬りを振り抜いた姿勢で、自身の一撃の効果が薄い事を見てとったディーンの口から、忌々しげな舌打ちが漏れる。
「オラァッ!!」
ならば、手数を稼げばいいだけの事。
乱暴な呼気と共に降り抜かれた太刀の柄に左手を添えるや、全身をバネにするかのようにとって返す渾身の突きを、先ほど斬りつけた左脚に見舞うや、引き抜くと同時に一回転して更に、今度は両の手で握った太刀を目一杯振り下ろした。
再び鮮血が飛ぶが、先ほどと同じ様に出血はあっという間に治まってしまう。
驚くべき新陳代謝である。
「……くそっ」
焦るディーンはなおも追撃を試みるが、再び背筋に走った悪寒にその手を止める。
見上げれば、左脚に集中するディーンを踏み潰そうと持ち上がった、イビルジョーの野太い右脚が頭上にあった。
気付くのがあと0.5秒でも遅かったら……。
間一髪、横っ跳びで右脚の落下地点から脱したディーンだが、彼の危機はまだ終わらなかった。
有り余る巨体と膂力によって踏み鳴らされた砂の大地は大きく揺らぎ、ディーンの平衡感覚を一時的に奪う。
中国拳法は少林拳に、震脚 と言う技があるが、イビルジョーのただ踏みつけるという行為は、まさに読んで字のごとくである。
横っ跳びで回避はできたものの、踏みつけによって発生した振動でディーンはバランスを崩し、すぐに起き上がることができない。
そこを狙うつもりなのであろう。イビルジョーが再度鎌首を持ち上げて、ディーンに囓りつかんとする。
「……やらせはせんよ!」
ディーンに注視する恐暴竜のその死角となった左後方から、一気に回り込んできた影があった。
フィオール・マックールである。
彼は一気にイビルジョーの顎の下まで来るや、背中のマウントに設置していた銃槍 に手をかけるや一気に展開。そのままイビルジョーの顎まで振り上げ、迷わず引き金を引いた。
ガウンッ! ガウンッ! ガウンッ!!
立て続けに三回、撃鉄が打ち下ろされ、轟音と共に火柱が上がる。
その砲撃は、ディーンの斬撃と同じくイビルジョーへ大きなダメージを与えることは出来なかったが、ディーンがイビルジョーの攻撃から逃れるだけの、ほんのわずかな時間を稼ぐことはできたようだ。
何とか再び跳びすさったディーンのすぐ側を、ぶおんと嫌な音を立ててイビルジョーの大顎が通過した。
「一旦下がれ! ディーンちゃん!」
着地したディーンの脇をすり抜け、狩猟笛を担ぎながらレオニードが駆ける。
「そら……よっ!!」
ドン・フルートがすくい上げる様に、もとの体勢に戻ろうとするイビルジョーの顎に炸裂した。
レオニードは振り上げた狩猟笛を、勢いそのまま反転、先ほどとは逆方面からぶん回し、再び恐暴竜の顎を強 かに打ちつけたのだ。
それでもイビルジョーにはロクなダメージが入った気配はない。
苛立ちに満ちた瞳孔がギラリと彼を睨みつける。
「……ヤバ」
顔を引きつらせ、慌ててゴロンと自分から見て左側へと転がってその場を離れる。
と、その刹那。
バグンッ!
回避は何とか間に合い、あわや喰われるかといったところで危機を脱したレオニードが、急いでイビルジョーから距離をとる。
その隙にイビルジョーの足元に今度はイルゼが飛び込んだ。
自慢の大剣は背中に背負ったままで、代わりに右手に握るのは、先程までリコリスの使っていた片手剣、デスパラライズである。
「……シィッ!!」
鋭く吐き出された息に乗せ、瞬く間に上下に四度斬りつけると、最後に自身を時計回りにターンさせながらもう一撃食らわせてから、すかさずその場から離れる。
彼女の野生のカンが危険を訴えたのであろう。そしてそのカンは正しかった。
充分に距離をとった彼女が振り返ると、今まさにイビルジョーが再び脚を大地に踏み下ろしたところであった。
「ったく、面倒な野郎だ」
自然とイビルジョーを四方から取り囲むように陣取ったハンター達だが、そんな優位性など微塵も感じることが出来ない。
「まったくだ。魔王閣下が可愛らしく見えてしまうな」
ボヤくディーンに応えるフィオールだが、いつもの彼らの不敵な物言いにも、緊迫感は隠しきれていない。
それでも、軽口を叩いてきせるその気概は頼もしい。
「はっ。そこまで憎まれ口叩けるんならまだまだ大丈夫だな」
そう二人に声をかけてから、今度はイルゼへと視線を向ける。
「イルゼちゃん、そっちは大丈夫か?」
問いかけながらも、イビルジョーの動向から注意をそらさない。
イビルジョーは全身に浮き上がった古傷たちが痛むのであろうか、グルルと唸りながら彼らハンターを睨み付けている。
おそらくは、標的をどれにするかで迷っているのであろう。
一方、声をかけられたイルゼは、例によって「問題ない」とぶっきらぼうに返して、ぐるんと右腕を大きく回して見せた。
先の戦闘で左肩を負傷したようだが、右手の方は十全 であるらしい。
盾は使えないが、そもそも片手剣用の盾はランスやガンランスのそれとは違い非常に小さいことから、イルゼの身のこなしも相まって、これで丁度いいのかもしれない。
第一、相手はかの恐暴竜である。
今この場にいるハンター達の中で、装備面だけみて相応であると言えるのはレオニードだけだ。
フィオールの大盾ならまだしも、正味 片手剣用の小さな盾の有無など大した問題ではない。
「……来やがるぞ!」
最早完全に日の落ちた砂漠にディーンの声が響いて、レオニードは思考を中断する。
どうやらイビルジョーは、思案していた自分に標的を絞ったようだ。
…上等だ。
彼のアスールシリーズの頑強さであれば、ルークの様に一撃で命を奪われる事はあるまい。
…これ以上、俺の目の前で人に死なれてたまるかよ!
最後の生存者達 のレオニードは、胸中で覚悟を新たにするのだった。
ズシンズシンと迫り来るイビルジョー。
立ち向かうのはディーン、フィオール、レオニード、そしてイルゼの四人だ。
残りのエレン、ミハエル、リコリスの三人はこの場にはいない。
ミハエルの手刀で一時的に意識を失ったリコリスをベースキャンプへと運ぶのと、装備、経験値ともに未熟なエレンを戦線から遠ざけるためであった。
普通ならば、左肩を負傷したイルゼも戦線を離脱するところなのだろうが、五体満足のミハエルよりも防具性能が良いのと、何よりハンターとしての長い経験を積んでいる方がいいとの判断である。
武器は、拝借したリコリスのデスパラライズを使う事で左肩の負傷を補うという形をとった。
ディーンとフィオールの二人に関しても、ミハエルのザザミシリーズより幾分か頑丈な防具である。
そう考慮しての人選であった。
「よっしゃ! しばらく俺がこのデカブツを引きつける。みんな焦るんじゃねぇぞ! ちょっとずつ削って行くんだ!」
仲間たちに向かって叫ぶや、レオニードが腰を落としてイビルジョーの動きに備える。
返答が帰ってくる前にイビルジョーが動いた。
距離にして30メートル以上は離れていたはずの間合いを、一足飛びで零 にして飛びかかってきたのだ。
あの巨躯をして驚くべき跳躍である。
だが、そこは歴戦の勇者たるレオニード。イビルジョーの行動をある程度読んでいたのであろう、恐暴竜が着地する頃には、落ち着いて落下地点から離れていた。
「ハアァァッ!」
イビルジョーが着地の衝撃を両脚を曲げて吸収するその隙に、反撃とばかりレオニードが襲いかかる。
狙うのはその頭部だ。
悲痛な叫びが、陽のくれた砂漠に響き渡る。
悲鳴の
「離してっ!! 離してよ!! ルークが、ルークがぁっ!!」
「駄目ですリコリスさん! 今は……今だけは堪えてください!!」
腰のあたりにしがみつくエレンを振り解こうと、必死にもがくリコリスであったが、制止するエレンの方も必死である。
何故なら、今まさに上半身のみの無慚な
冷静さを完全に失った今のリコリスでは、あの怪物の新たな餌食になるだけである。
「いやぁ! いやだよぉっ、ルーク!?」
泣き叫ぶリコリスを尻目に、怪物は飛んで行ったルークの上半身のもとへとたどり着くと、再び大口開けてその
その直前、リコリスの首筋に手刀が落とされ、彼女の意識を一時的に断ち切る。
ガクッと崩れ落ちるリコリスを、慌てて倒れないように抱きとめるエレン。
そのエレンをフォローする様にリコリスの身体を受け止めるのは、彼女に手刀を見舞った本人であるミハエルであった。
これ以上、彼女に相棒のあまりに惨たらしいな
その顔はフルフェイスのギザミヘルムで隠されているため表情は窺い知れないが、垣間見える瞳からは、その気持ちが痛いほど伝わってきた。
「レオ、アイツ何て奴だ?」
その様子を尻目に、ディーンが先程「この大陸には生息していないはず」と口走った言葉を聞いていたのであろう、ルークの亡骸を
視線をレオニードと同じ方向へと向けるディーンの表情には、隠す気など
彼等の視線の先、ディアブロスをゆうに凌ぐその巨体は、陽の落ちたとは言え砂漠では嫌でも目を引く濃い緑色。
その
最大の特徴は首まで裂けた、上下ともに無数の極太な棘に覆われた
現代に生きる読者諸君からすれば、かの有名なティラノサウルスを想像していただければ、イメージは掴みやすいかもしれない。
もっとも、
「……俺も信じられないんだがな……」
応えるレオニードの声も重たい。
「
そこまで口にして、レオニードは一旦間をおいた。
視線の先の巨体は、ルークの“残り半分”をあっという間に平らげ、それでもなお喰い足りぬとばかりに唸り声をあげていた。
「……まさか」
そこまで聞いて思い当たる節があったのか、フィオールが絶句する。
「その“まさか”さ」
フィオールの声に応えて唇を強引に吊り上げるレオニード。
自然、他のメンツの視線が集まる中、努めて強気な口調で喋るのとが、これ程苦労する行為だとは考えもしなかった。
「みんな腹ァ
それでも、名の通った“ラストサバイバーズの斬り込み隊長”たる自分が気圧されてはならない。
恐怖は伝染するのだ。
その自負があればこそ、レオニードはその身を奮い立たせて言い切った。
口にするのも恐ろしい、その
「アイツが悪名高き
ゴアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッ!!!!!!!!!!
レオニードの言葉に応える様に、イビルジョーの
・・・
・・
・
「馬鹿なッ!? イビルジョーだと!?」
気球の中で、ムラマサの驚愕の叫びが響き渡る。
「フフフ。驚いたでしょ? 暴れん坊だからちょっと大変だったんだから」
その声に非常に満足そうな笑みを浮かべながら、まるでとっておきの
「フフフ……今度のも強敵よお兄様。その子はずっと土の中に閉じ込められてて、今とぉってもお腹が減ってるの。そりゃもう手をつけられないくらい」
身を乗り出さんばかりにはしゃぐシアを尻目に、ムラマサは胸中で叫んでいた。
…冗談ではない! それでは、強引に
遠目からもよく見える。全身の古傷が浮かび上がり、
ここで少しだけ、読者諸君にイビルジョーの生態について説明させていただこう。
ディーン達が活動する西の大陸とは、大海を挟んで向かいに位置する東の大陸には、当然の事ながら西とは違った生態系が築き上げられており、そこに生息しているモンスターを狩るハンター達の組織もまた、西とは毛色の違ったものである。
西が様々な竜種のモンスターを“飛竜種”と分類するのに対し、東ではその種別わけは多岐に渡る(最近は西方もその影響を受け始めているのだが)。その中でも、二本脚で大地に立ち翼を持たずに陸地を主に行動する種を獣竜種と呼ぶ。
イビルジョーはその中でも最凶の名を欲しいままにする大物である。
獣竜種の中でも最大級の巨体を誇り、高い体温及びその体躯に比例した代謝を保つ必要性と貪欲かつ底無しの飢餓感から、眼に映ったものが何であろうと捕食のため無差別に襲いかかる習性を持っており、同属に対しての共食いどころか、時には自身の身体すら食いかねない。
その食性から、過剰な捕食によって周囲の生態系を崩壊させ、特定の生物を絶滅寸前に追い込んだ事例すらあるという。
特定のテリトリーを持たず、餌を求めて様々な場所を徘徊しており、移動に関する習性・生態も現状では解明されていない。その捕食対象は小中モンスターは勿論のこと大型モンスターでさえも例外ではなく、当然の事ながらハンター達もその捕食対象である。
全身を覆う筋肉が物語る様に、非常に攻撃力が高く、並の防具の装甲など、紙切れ同然の効果しか無いため、東の大陸ではこの神出鬼没の恐暴竜に運悪く出会ってしまい、命を落とすハンターが跡を絶たない。
激昂すると全身の筋肉が大きく盛り上がり、過去に獲物につけられた古傷が不気味に赤く浮かび上がると同時に傷口が開き、痛みそのものが更に狂暴性を増大させる要因となっていると言うが、ムラマサの
それ以外の詳しい生態については未解明な部分が多く、その狂暴性を含め東のハンガーズギルドでは、目下最重要調査対象となっている。
「……むう」
苦々しく唸ることしかできない。
そんなムラマサの表情が気に入ったのだろう。一層上機嫌になったシアは天上から見下ろす神にでもなったかのように、高らかに言い放った。
「さぁ、第二ラウンドよ!
両手を広げ
「
いよいよ興奮したシアは、嬉々とした表情で手すりから身を乗り出し、叫んだ。
「
・・・
・・
・
ガアアアァァァッッッ!!!!!
巨大な顎が、一瞬前まで自分のいた場所を通過する。
一旦大きく振りかぶった鎌首を振り回す様に、イビルジョーがディーン目掛けて噛み付いてきたのを、彼は後退するのではなく、大胆にも懐に飛び込んで回避した。
背筋にヒヤリとしたものを感じながらも、イビルジョーの巨体の足元に潜り込んだディーンは、抜き身の太刀を一閃させる。
ぶっしゅぅと鮮血が舞うが、それは一瞬だけだった。
イビルジョーの盛り上がった筋肉が、直様ディーンに斬りつけられた左脚からの出血を押し留める。
「チィッ!」
右片手一本での袈裟斬りを振り抜いた姿勢で、自身の一撃の効果が薄い事を見てとったディーンの口から、忌々しげな舌打ちが漏れる。
「オラァッ!!」
ならば、手数を稼げばいいだけの事。
乱暴な呼気と共に降り抜かれた太刀の柄に左手を添えるや、全身をバネにするかのようにとって返す渾身の突きを、先ほど斬りつけた左脚に見舞うや、引き抜くと同時に一回転して更に、今度は両の手で握った太刀を目一杯振り下ろした。
再び鮮血が飛ぶが、先ほどと同じ様に出血はあっという間に治まってしまう。
驚くべき新陳代謝である。
「……くそっ」
焦るディーンはなおも追撃を試みるが、再び背筋に走った悪寒にその手を止める。
見上げれば、左脚に集中するディーンを踏み潰そうと持ち上がった、イビルジョーの野太い右脚が頭上にあった。
気付くのがあと0.5秒でも遅かったら……。
間一髪、横っ跳びで右脚の落下地点から脱したディーンだが、彼の危機はまだ終わらなかった。
有り余る巨体と膂力によって踏み鳴らされた砂の大地は大きく揺らぎ、ディーンの平衡感覚を一時的に奪う。
中国拳法は少林拳に、
横っ跳びで回避はできたものの、踏みつけによって発生した振動でディーンはバランスを崩し、すぐに起き上がることができない。
そこを狙うつもりなのであろう。イビルジョーが再度鎌首を持ち上げて、ディーンに囓りつかんとする。
「……やらせはせんよ!」
ディーンに注視する恐暴竜のその死角となった左後方から、一気に回り込んできた影があった。
フィオール・マックールである。
彼は一気にイビルジョーの顎の下まで来るや、背中のマウントに設置していた
ガウンッ! ガウンッ! ガウンッ!!
立て続けに三回、撃鉄が打ち下ろされ、轟音と共に火柱が上がる。
その砲撃は、ディーンの斬撃と同じくイビルジョーへ大きなダメージを与えることは出来なかったが、ディーンがイビルジョーの攻撃から逃れるだけの、ほんのわずかな時間を稼ぐことはできたようだ。
何とか再び跳びすさったディーンのすぐ側を、ぶおんと嫌な音を立ててイビルジョーの大顎が通過した。
「一旦下がれ! ディーンちゃん!」
着地したディーンの脇をすり抜け、狩猟笛を担ぎながらレオニードが駆ける。
「そら……よっ!!」
ドン・フルートがすくい上げる様に、もとの体勢に戻ろうとするイビルジョーの顎に炸裂した。
レオニードは振り上げた狩猟笛を、勢いそのまま反転、先ほどとは逆方面からぶん回し、再び恐暴竜の顎を
それでもイビルジョーにはロクなダメージが入った気配はない。
苛立ちに満ちた瞳孔がギラリと彼を睨みつける。
「……ヤバ」
顔を引きつらせ、慌ててゴロンと自分から見て左側へと転がってその場を離れる。
と、その刹那。
バグンッ!
回避は何とか間に合い、あわや喰われるかといったところで危機を脱したレオニードが、急いでイビルジョーから距離をとる。
その隙にイビルジョーの足元に今度はイルゼが飛び込んだ。
自慢の大剣は背中に背負ったままで、代わりに右手に握るのは、先程までリコリスの使っていた片手剣、デスパラライズである。
「……シィッ!!」
鋭く吐き出された息に乗せ、瞬く間に上下に四度斬りつけると、最後に自身を時計回りにターンさせながらもう一撃食らわせてから、すかさずその場から離れる。
彼女の野生のカンが危険を訴えたのであろう。そしてそのカンは正しかった。
充分に距離をとった彼女が振り返ると、今まさにイビルジョーが再び脚を大地に踏み下ろしたところであった。
「ったく、面倒な野郎だ」
自然とイビルジョーを四方から取り囲むように陣取ったハンター達だが、そんな優位性など微塵も感じることが出来ない。
「まったくだ。魔王閣下が可愛らしく見えてしまうな」
ボヤくディーンに応えるフィオールだが、いつもの彼らの不敵な物言いにも、緊迫感は隠しきれていない。
それでも、軽口を叩いてきせるその気概は頼もしい。
「はっ。そこまで憎まれ口叩けるんならまだまだ大丈夫だな」
そう二人に声をかけてから、今度はイルゼへと視線を向ける。
「イルゼちゃん、そっちは大丈夫か?」
問いかけながらも、イビルジョーの動向から注意をそらさない。
イビルジョーは全身に浮き上がった古傷たちが痛むのであろうか、グルルと唸りながら彼らハンターを睨み付けている。
おそらくは、標的をどれにするかで迷っているのであろう。
一方、声をかけられたイルゼは、例によって「問題ない」とぶっきらぼうに返して、ぐるんと右腕を大きく回して見せた。
先の戦闘で左肩を負傷したようだが、右手の方は
盾は使えないが、そもそも片手剣用の盾はランスやガンランスのそれとは違い非常に小さいことから、イルゼの身のこなしも相まって、これで丁度いいのかもしれない。
第一、相手はかの恐暴竜である。
今この場にいるハンター達の中で、装備面だけみて相応であると言えるのはレオニードだけだ。
フィオールの大盾ならまだしも、
「……来やがるぞ!」
最早完全に日の落ちた砂漠にディーンの声が響いて、レオニードは思考を中断する。
どうやらイビルジョーは、思案していた自分に標的を絞ったようだ。
…上等だ。
彼のアスールシリーズの頑強さであれば、ルークの様に一撃で命を奪われる事はあるまい。
…これ以上、俺の目の前で人に死なれてたまるかよ!
ズシンズシンと迫り来るイビルジョー。
立ち向かうのはディーン、フィオール、レオニード、そしてイルゼの四人だ。
残りのエレン、ミハエル、リコリスの三人はこの場にはいない。
ミハエルの手刀で一時的に意識を失ったリコリスをベースキャンプへと運ぶのと、装備、経験値ともに未熟なエレンを戦線から遠ざけるためであった。
普通ならば、左肩を負傷したイルゼも戦線を離脱するところなのだろうが、五体満足のミハエルよりも防具性能が良いのと、何よりハンターとしての長い経験を積んでいる方がいいとの判断である。
武器は、拝借したリコリスのデスパラライズを使う事で左肩の負傷を補うという形をとった。
ディーンとフィオールの二人に関しても、ミハエルのザザミシリーズより幾分か頑丈な防具である。
そう考慮しての人選であった。
「よっしゃ! しばらく俺がこのデカブツを引きつける。みんな焦るんじゃねぇぞ! ちょっとずつ削って行くんだ!」
仲間たちに向かって叫ぶや、レオニードが腰を落としてイビルジョーの動きに備える。
返答が帰ってくる前にイビルジョーが動いた。
距離にして30メートル以上は離れていたはずの間合いを、一足飛びで
あの巨躯をして驚くべき跳躍である。
だが、そこは歴戦の勇者たるレオニード。イビルジョーの行動をある程度読んでいたのであろう、恐暴竜が着地する頃には、落ち着いて落下地点から離れていた。
「ハアァァッ!」
イビルジョーが着地の衝撃を両脚を曲げて吸収するその隙に、反撃とばかりレオニードが襲いかかる。
狙うのはその頭部だ。