第36話 世界平和の願い(3)
文字数 2,024文字
佳代が行った教会は、大きな礼拝堂があった。ドーム上の屋根があり、近代的でおしゃれな建物だった。LGBTの虹色の旗も飾ってあり、今風な雰囲気がある。
日曜礼拝に行くと、イメージとは違った。
礼拝堂に人はいっぱいだが、9割以上は60歳以上だった。どう見ても年寄りが多い。若い人がいるかと思ったら、実習中の神学生だった。自分と同じぐらいの若者は皆無のようで、居心地が悪い。
それに牧師は、とんでもないコロナ脳だった。コロナ脳は、陰謀論界隈の言葉だ。極端にコロナを怖がり、意味もない対策に奔走する人の事をさす。
「マスクして! 隣人を無闇に怖がらせるのってどういう神経してるの? 少しぐらい我慢して」
佳代は陰謀論好きとしてマスクをしていなかったが、注意されてしまった。無理矢理マスクをさせられ、手指を消毒され、距離をとった席に座らされた。佳代は腹が立って仕方ない。後でコロナ脳牧師だとSNSで拡散してやる。
肝心の説教も退屈で、眠りそうだった。「神は愛です」「LGBTを認めましょう」「創世記は神話で進化論は本当です」としか言わない。子供の頃に見たチャリティー番組を思い出し、あくびを噛み殺す。「愛は地球を救う」とも言いそうな勢いだったが、さすがにそれは言ってなかった。
ここって教会?
やっぱ陰謀論者が言ってる、日曜礼拝をやっている教会は欺瞞なのかも?
すっかり失望し、教会から出て近所を歩いていると、神社があった。あやかし神社という森に囲まれた神社だった。
そういえば陰謀論界隈では、日本の神社は元々はユダヤ教とルーツが同じという論もあった。日ユ同祖論という。それは別に信じないが、教会よりマシな気がしてきた。
誰もいない静かな神社で散歩しても良い気がしてきた。鳥居をくぐり、手水舎で手をあらう。
しんと静かな神社で、気が引き締まってくる。マスクや消毒を強制されないし、神社の自由な空気を満喫する。さっきの教会のつまらなさと比較すると、神社はエンタメ要素があるようで面白い。おみくじや絵馬、お札なんかも遊び心がある。御朱印も集めたくなった。神社が舞台のファンタジー小説なども楽しいのが多い。それに「聖書を読みながらも神社を肯定する自分」って寛容で広い心の持ち主だではないか。だんだんと自惚れてきた。
この神社は、神主がいないようで、お守りなどは売っていないが、自由な空気が心地いい。
『佳代、ねえ、佳代』
気づくと、目の前に天使がいた。白い羽根を背負い、金髪碧眼のイケメンだった。
「あなた、誰?」
『私は、大天使ミカエル』
信じられなかったが、そういう事もあるような気がした。なんせ神社はユダヤ教とルーツも同じらしい。ユダヤ教の経典でもある旧約聖書には、天使も出てくる。神社にミカエルがいても不思議じゃない。
ミカエルは、佳代の想像通りにイケメンで、白く輝いていた。眩しい光に、佳代は片目を瞑りそうになった。もしかしたら、陰謀論に目覚めた自分に特別に出会わせてくれたのかもしれない。コロナ脳が知らない陰謀を知っている自分って頭良くて素晴らしいのかもしれない。気分がふわふわと高揚してきた。これは次元上昇というやつだろう。
「ミカエル、何で世の中には戦争があるの。世界平和にしてよ。いじめも無くして」
『うん、でも。人の善悪は人それぞれだから』
「神様が善悪を決めてるんじゃないの?」
『そうだけど、正しい人は誰もいないって聖書に書いてあるでしょ? 人間同士で許し合う。みんなで、色々な価値観を認めあおう。ね? 感謝して、ありがとうって言ってポジティブな気持ちや波動でいれば、世界は平和になるよ』
ミカエルの声はドロドロに甘く、その通りだと思った。
『教会なんて行かなくていいんだよ。偉そうな牧師に従いたくないでしょー? 什一献金もカルトみたいだよね? 人と裁きあうのはダメだよ。裁いてはいけません。人それぞれの価値観を認めて、個人的に神様に繋がれば、いいんだよ。そうすれば世界は平和になるかもよ』
そう言うと、ミカエルは柔らかく微笑んだ。
こうして佳代は、教会に通わず個人的にイエス・キリストに繋がる無教会派野良クリスチャンになった。福音も聞かず洗礼も受けなかったが、これも自由で良い気がした。
そもそも教会で集まる意味もわからない。オンラインで聖書の勉強もできるじゃないか。
わからない所があれば、あやかし神社に行ってミカエルに質問すると、聖書の事も教えてくれた。
個人的に善悪の基準を持ち、お互いに人それぞれの価値観を認め、許し合い、感謝をするのが、世界平和になる鍵だと教えてもらった。実際そうだと思う。ミカエルに教えて貰うようになってから聖書は開いていないが、それでいいと思う。ミカエルの教えは耳に心地よく、いくらでも聞いていられた。
よこうして佳代は、子供の頃からの謎の答えを見つけた。これからの世界は平和になっていくような気がした。
めでたし、めでたし?
日曜礼拝に行くと、イメージとは違った。
礼拝堂に人はいっぱいだが、9割以上は60歳以上だった。どう見ても年寄りが多い。若い人がいるかと思ったら、実習中の神学生だった。自分と同じぐらいの若者は皆無のようで、居心地が悪い。
それに牧師は、とんでもないコロナ脳だった。コロナ脳は、陰謀論界隈の言葉だ。極端にコロナを怖がり、意味もない対策に奔走する人の事をさす。
「マスクして! 隣人を無闇に怖がらせるのってどういう神経してるの? 少しぐらい我慢して」
佳代は陰謀論好きとしてマスクをしていなかったが、注意されてしまった。無理矢理マスクをさせられ、手指を消毒され、距離をとった席に座らされた。佳代は腹が立って仕方ない。後でコロナ脳牧師だとSNSで拡散してやる。
肝心の説教も退屈で、眠りそうだった。「神は愛です」「LGBTを認めましょう」「創世記は神話で進化論は本当です」としか言わない。子供の頃に見たチャリティー番組を思い出し、あくびを噛み殺す。「愛は地球を救う」とも言いそうな勢いだったが、さすがにそれは言ってなかった。
ここって教会?
やっぱ陰謀論者が言ってる、日曜礼拝をやっている教会は欺瞞なのかも?
すっかり失望し、教会から出て近所を歩いていると、神社があった。あやかし神社という森に囲まれた神社だった。
そういえば陰謀論界隈では、日本の神社は元々はユダヤ教とルーツが同じという論もあった。日ユ同祖論という。それは別に信じないが、教会よりマシな気がしてきた。
誰もいない静かな神社で散歩しても良い気がしてきた。鳥居をくぐり、手水舎で手をあらう。
しんと静かな神社で、気が引き締まってくる。マスクや消毒を強制されないし、神社の自由な空気を満喫する。さっきの教会のつまらなさと比較すると、神社はエンタメ要素があるようで面白い。おみくじや絵馬、お札なんかも遊び心がある。御朱印も集めたくなった。神社が舞台のファンタジー小説なども楽しいのが多い。それに「聖書を読みながらも神社を肯定する自分」って寛容で広い心の持ち主だではないか。だんだんと自惚れてきた。
この神社は、神主がいないようで、お守りなどは売っていないが、自由な空気が心地いい。
『佳代、ねえ、佳代』
気づくと、目の前に天使がいた。白い羽根を背負い、金髪碧眼のイケメンだった。
「あなた、誰?」
『私は、大天使ミカエル』
信じられなかったが、そういう事もあるような気がした。なんせ神社はユダヤ教とルーツも同じらしい。ユダヤ教の経典でもある旧約聖書には、天使も出てくる。神社にミカエルがいても不思議じゃない。
ミカエルは、佳代の想像通りにイケメンで、白く輝いていた。眩しい光に、佳代は片目を瞑りそうになった。もしかしたら、陰謀論に目覚めた自分に特別に出会わせてくれたのかもしれない。コロナ脳が知らない陰謀を知っている自分って頭良くて素晴らしいのかもしれない。気分がふわふわと高揚してきた。これは次元上昇というやつだろう。
「ミカエル、何で世の中には戦争があるの。世界平和にしてよ。いじめも無くして」
『うん、でも。人の善悪は人それぞれだから』
「神様が善悪を決めてるんじゃないの?」
『そうだけど、正しい人は誰もいないって聖書に書いてあるでしょ? 人間同士で許し合う。みんなで、色々な価値観を認めあおう。ね? 感謝して、ありがとうって言ってポジティブな気持ちや波動でいれば、世界は平和になるよ』
ミカエルの声はドロドロに甘く、その通りだと思った。
『教会なんて行かなくていいんだよ。偉そうな牧師に従いたくないでしょー? 什一献金もカルトみたいだよね? 人と裁きあうのはダメだよ。裁いてはいけません。人それぞれの価値観を認めて、個人的に神様に繋がれば、いいんだよ。そうすれば世界は平和になるかもよ』
そう言うと、ミカエルは柔らかく微笑んだ。
こうして佳代は、教会に通わず個人的にイエス・キリストに繋がる無教会派野良クリスチャンになった。福音も聞かず洗礼も受けなかったが、これも自由で良い気がした。
そもそも教会で集まる意味もわからない。オンラインで聖書の勉強もできるじゃないか。
わからない所があれば、あやかし神社に行ってミカエルに質問すると、聖書の事も教えてくれた。
個人的に善悪の基準を持ち、お互いに人それぞれの価値観を認め、許し合い、感謝をするのが、世界平和になる鍵だと教えてもらった。実際そうだと思う。ミカエルに教えて貰うようになってから聖書は開いていないが、それでいいと思う。ミカエルの教えは耳に心地よく、いくらでも聞いていられた。
よこうして佳代は、子供の頃からの謎の答えを見つけた。これからの世界は平和になっていくような気がした。
めでたし、めでたし?
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