15節「明日を照らす光 7」

文字数 3,266文字

私たちが治療室から戻ると、お母さんが反射的にこちらを向き、私たちの元へ駆けてきました。そして、縋るように夢月くんの腕を掴みます。


机の上にはティーカップが2つ。

蓮夜さんと話をしていたようです。

……無事、終わりました。

今日からは普段通りのヨウタに戻りますよ。
夢月くんの屈託のない笑顔からは、その言葉が

嘘ではないことが十分に伝わるはず。

あ……あああ……

ありがとうございます……

ありがとうございます……!

お母さんは夢月くんから手を放し、

涙を堪えて深々とお辞儀をしてくれました。

紫吹、話がある。

このまま外に来てくれ。

……了解。

その顔、相当面白いものが見れたみたいだね?

その判断はお前に任せる。行くぞ。

吏星さんに声をかけられた蓮夜さんは、

椅子から立ち上がって少し笑いました。


そのまま2人でお店の外へ。

恐らく、ヨウタくんの夢の世界で

起きたことを話すのでしょう。

…………。
まだ仕事は完全には終わっていません。

私たちは彼女に、伝えなければならないことがあります。


ヨウタくんが夢魔に憑かれた理由……。

それを彼女に分かってもらわないと、ヨウタくんの身に同じ不幸が降りかかってもおかしくないのです。

…………。
え……?

家にお母さんがいない寂しさをごまかして……何とか良い子でいようって必死になって……

そうやって抱え込みすぎたのが、今回の原因の1つ……みたいです。

…………。

お母さんは伏し目がちで夢月くんの話に

耳を傾けてくれています。


しかし……その顔が醸す空気は完全なる"無"。


怒るでも嘆くでも耽るでもなく、

人形のような顔で目線の先を見詰めています。

お母さん、これからもヨウタのそばにいる時間を、増やしてあげることはできませんか?

少しずつで良い!

ヨウタに時間を――

くぐもった低い声で淡々と一言、彼女は答えました。

一瞬だけ、右の眉毛がピクりと跳ねたような気がします。

え?

ご存知かもしれないですけど、私……独りでヨウタを育てているんです。

お金もない。頼れるところもない。

生きるだけで毎日必死で……。

無表情を貫いていたお母さんの目には、

次第に涙が溜まり彼女の顔を歪ませます。


やがて声も少しずつ震え始め、

語尾は掠れてほとんど聞こえなくなりました……。

でも……

でもどうしようもないんです……!

あの子に不自由ない生活を送らせてあげたいと思うけど……そのために頑張ったら、それだけあの子を傷付ける……!

滂沱と溢れる涙を流しながら、虚ろな目で

彼女は私たちに訴えかけました。


「お前たちに何が分かる」

そんな言葉を必死で飲み込んでいるのが、

彼女の言葉と表情から伝わってきます。

私……

私これ以上どうしたら良いって言うんですか……!?
…………。
――返す言葉が見つからない。

何も言えない。何もできない。


彼女が抱えている闇の深さを、

私は想像し切れていなかった。


その不甲斐なさだけで胸が一杯になって、

どうすることもできませんでした。

…………。
それは夢月くんだって同じなはず……。

でもこのままじゃヨウタくんは……。

(夢月くん……)

無意識に、彼の方を見ている私がいました。


何となく、今の彼なら答えを出せるのではないか、

無責任にもそう思えてしまったからです。

……そのことを――
……悲痛な面持ちで優しく穏やかに、

夢月くんは提案を口にしました。

え……?

そんなことできるわけが……

子供だからって、距離を置かないであげてください。ヨウタは……お母さんのこと、とってもよく考えてる。

自分が何をしたら良くて、何が駄目なのか……本当によく分かってるんです。

だからこうやって、自分で自分を傷付けてしまっていた。
年齢も違う。経験も違う。

置かれている状況も違う。


普通に考えれば、夢月くんの言葉は

絶対に彼女の心には届かないはずです。

…………。

でも夢月くんはその"内容"を

彼女に伝えようとしていませんでした。


ただ「自分は貴女の力になりたい」と、

その気持ちを前面に出して、決して彼女の在り方を否定しないように言葉を紡いでいきます。

全部じゃなくていい……少しだけでいいんです……。ヨウタにお母さんの本当の気持ち、伝えてあげてください。

ヨウタは……ママの力になりたいと本気で思ってます。お母さんもそのヨウタの気持ちに、寄り添ってあげてください。
その言葉1つ1つは軽々しく聞こえるかもしれない。

でも宿る気持ちが本物ならば、届くものもある。

親と子だからって、壁を作らないで……。

――――――――

"ヨウタくんのため"ではなく"2人のため"。


2人の気持ちを聴いた夢月くんだけが

かけられる、柔らかい言葉。


それが彼女の心を包んで行くのが、

その表情から分かりました。

…………。
…………。

ほんの少しの沈黙が流れます。


お母さんが何かを言いたそうに、

でも言いたくなさそうに口をパクパクさせていると……

治療室から覚束ない足取りで

ヨウタくんが出てきました。


お母さんの大きな声を聞いて、

動かずにはいられなかったのでしょう。

ヨウタ!

もう身体は大丈夫なの!?

うん……。

お兄ちゃんが治してくれたから。

あぁ良かった……!  心配したのよ……!  あなたがいなくなったら、私……!

しゃがみ込んでヨウタくんと目の位置を合わせたお母さんは、そのままヨウタくんを強く強く抱き締めました。


ヨウタくんは嬉しさに顔を歪ませ泣きそうになりながらも、しっかりとした声でお母さんに喋り始めました。

ママ……

え……?

驚きのあまりお母さんはヨウタくんを解放。

そのままの体勢で彼の話に耳を傾けます。

今までママが頑張ってくれてるから……僕も独りで頑張らなきゃって思ってた。

でも、僕――
ヨウタくんは今度は自分からお母さんに抱き付いて、

顔をお母さんの肩の辺りに埋めました。

――本当はママと一緒にいたかった。

毎日独りで家にいるの……

寂しかったんだ。

ヨ、ヨウタ……

泣きそうな声を押し殺して……。

お母さんにはその顔を見せようとせずに、

必死で自分の気持ちを伝え続けます。

だから僕……

もっとママとお話ししたい。

ママが僕のために頑張ってくれてること、知ってるよ。

ママの辛そうな顔も、見たくない。

僕ももっとママに自分のきもちをお話しするから……ママも僕に自分のきもちをお話しして……

ごめんね、ママ。

いつもありがとう……。

――――――――
きっと今まで聞いたこともなかったであろう、

自分の息子の正直な気持ち。


それを知ったお母さんは――

――今一度、彼を思いっきり抱き締め、

嗚咽を上げて涙を流し始めました。

ヨウタ……!

ごめんねヨウタ……!

まるでそれが、自分からの答えである、

そう言わんとするように……。

ヨウタ……ヨウタ……!!

ママ……ママぁ……!!

それを聞いたヨウタくんも安心したのか、

釣られるように声を上げて泣きました。


そしてそれこそがきっと……ヨウタくんがずっとしたくてもできなかった、「お母さんに甘える」ということの第一歩だったのだと私は思います。

…………。
しばらくの間私たちは、大きな声を上げて泣きじゃくる2人の親子を、微笑ましくも見守り続けました。


これで本当に本当に……

最高のハッピーエンドです。

…………。

……もちろんだよ。

感傷に浸る夢月くんからの問いに、

私は思った通りの言葉を返します。

夢月くんが……

夢月くんだから救えたんだよ。

さっき……

お母さんに夢月くんがあの言葉をかけられなかったら、私たちはきっとこの結末を迎えられなかった。


そう思えるほどにこの一件は複雑で、一瞬の選択が明暗を分けることの連続でした。

精一杯、胸を張って良いと思う!

だからこそ最後の最後で、最良の選択を

導いた夢月くんは本当にすごい。


それを……

全てを見届けた私は知っています。

こうしてヨウタくんの治療という

長い長い戦いが幕を閉じました。

――お、終わったみたいだね。
……あぁ。

何度もくじけそうになる時があったけど、みんなで

乗り越えることができて本当に良かったです!


生まれ変わった夢うさぎ亭はこれからも、

"4人"で一生懸命頑張ります!

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登場人物紹介

天崎 そら(あまさき そら)(20)※一章時

主人公。人々を悪夢から救う"夢うさぎ亭"で働く一般女性。

自分よりも相手のことを優先する心優しい性格で、大抵のことは受け止めてしまう。

一章では夢うさぎでの経験から、自分の意見を言う勇気を持てるようになった。

(※本作では主人公の個人設定はフリーなため、定まった容姿は存在しません)

早乙女 夢月(さおとめ むつき)(19)※一章時

まだ夢の世界で夢魔を祓ったことがない半人前の夢想師。

前向きで明るく裏表がない天真爛漫な性格で、深く強く他人の気持ちに寄り添える豊かな人間性を持つ。

そのおかげで、夢の世界を現出するために必要な「心のパイプ」を繋ぐところまでは誰よりも完璧にこなすことができ、秘めたるポテンシャルは天才的。

しかし、その事実を本人はまだ自覚できないでいる。

宝生 吏星(ほうしょう りせい)(24)※一章時

夢の空間の現出を得意とする夢想師。

他人のことを真剣に考えすぎてしまう性分で根が優しい。

反面、冷静で効率主義かつ真顔で言葉遣いがきつい。そのため人に避けられやすく、本人も少し気にしている。

実直で真面目すぎる苦労人気質。不測の事態に陥ると熱くなりやすい一面も。

夢うさぎの実質的なリーダーとして振る舞っている。後輩である夢月の指導について、自分とあまりにタイプが違うことにかなり悩んでいるらしい。

紫吹 蓮夜(しぶき れんや)(不明)※一章時

夢魔の駆除を得意とする夢想師。

天性のルックスと王子様気質により何もしなくてもモテる美男子。

いつもニヤニヤとしていて、何を考えているのかよく分からない。

自分の身内をからかって遊ぶのが趣味で周りも手を焼いているが、他人が本心から嫌がることは絶対しないバランス感覚を持っているため、何故か憎まれない。

吏星とは付き合いが長く、お互いがお互いの"扱い方"を熟知している節がある。

ヨウタ(5)

一章の核となる少年。来年度から小学生。

ある理由で夢魔に憑かれてしまい、夢うさぎを訪れる。

幼稚園などに通えておらず、家に1人でいる時間が長い。

テレビやおもちゃを心の拠り所にしており、最近は特撮作品ブレイブテイカーがお気に入り。家で何度も繰り返し見ては元気を貰っている。

ヨウタの母(33)

一章に登場。

息子 ヨウタの悪夢を治すため、夢うさぎを訪れる女性。

夢想師の治療には原則本人しか招待されないが、ある理由から付き添いが認められている(ただし、治療の実態を知ることはできない)

佐藤 アキラ(さとう あきら)(30)

一章に登場。

悪夢の治療を受けに夢うさぎ亭を訪れる研究者。

仕事の重圧に負けまいと日々頑張っているが、家族の理解を得られないことに頭を悩ませている。

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