第14話「痩せっぽちのバラッド」

文字数 2,470文字

 雲雀(ひばり)(さえず)りが好きだった。あの春の訪れを告げる優雅な歌声を聞くと、何故か安心できたものだ。

 (かじ)りかけの硬いパンをミルクに浸しながら口に運んでいると、兵隊たちが雲雀を追い立てて、すべてを台無しにして去っていった。

 気がつくとソルト・アンは枯れた大地に立っていた。

 周囲には沢山の(ひつぎ)が整然と並べられ、地平線の彼方にまで続いている。

 随分と自分は遠くまで来てしまったような気がして、もう帰れないのだという思いだけが彼女の中に重たい石となって居座っていることに気づくと唖然(あぜん)となった。

 ――雲雀の声?

 何処(どこ)かで鈴のような音が鳴っている。それは彼女の耳元で心地良く弾んでは反響を繰り返す。

 雲雀ではないけれど、その音は雨のように優しく少女の五感に染み渡り、気持ちを安心させてゆく。

(これ)がお前の世界か……寂しい風景だな」

 ソルト・アンが振り返ると、一人の青年が近くの棺に腰を下ろしている。

 長い白百合色の髪。派手な(あけ)色の着物と下駄。そして鋭い切れ長の瞳。

久遠(くおん)……獅子丸(ししまる)

 青年は抜き身の太刀(たち)を肩に担いでいた。太い柄の(かしら)には風鈴が下がっていて、さっきから聴こえる涼しい音色は其処(そこ)から響いていた。

此処(ここ)はお前の原風景が反映された世界だ」

 妖刀『名残狂言(なごりきょうげん)』は短い小太刀だが、相手の深層心理へ入ると長い太刀(たち)へと姿を変える。どちらが真の姿なのか、獅子丸本人にも分からない。

「お前、先の世界戦争の犠牲者だったんだな」

 深層世界では斬られた者の生い立ちが妖刀を通して所有者へと流れ込んでくる。ソルト・アンは吸血鬼だから、人を()めた経緯までが獅子丸の脳裏へと焼き付けられる。

 ――餓死寸前のところで伯爵に血を吸われたのか。

「これが貴方(あなた)の見せる幻……」

「幻というよりは夢に近いかもな」

「夢だって幻でしょう」

 ソルト・アンは覚めた視線で獅子丸を見据えた。

 夢の中で何度もマリア様に会った。助けを求める声は、とうとう聖母には届かなかった。

現世(うつしよ)は夢、夜の夢こそ(まこと)……なんてな」

 獅子丸の言葉ではない。作家志望の友人の口癖だった。

「現世のほうが夢かもしれないし、夢だと思い込んでいた世界が実は現実かもしれない。ま、どっちも等しく儚いことに変わりは()ぇ」

 ソルト・アンは獅子丸の云うことに返答はぜず、ただ一言だけを口にした。

「私は死ぬのね」

「そうだ」

 簡素なやり取りだった。

 獅子丸の持つ妖刀『名残狂言』の能力は、斬りつけた相手に夢を見せることが出来る。

 夢は意識の最深部にまで届いて、強い影響力を残す。

 その効果は様々で、人格を変えて別人に作り変えたり、記憶を上書きして敵を味方にしたり、残酷な悪夢を見せて精神を殺したり、もちろん自殺をさせることも可能だ。

 要するに斬られたら最後、どんなに抗おうと精神面を乗っ取られてしまう。そういう意味での一撃必殺である。

「もし生まれ変わることが出来たら、何になりたい?」

「……人間」

 無愛想な吸血鬼は控えめな口調で語り出した。

「父様と母様が居て、毎日温かいスープとパンを食べられて、柔らかいベッドのある……誰もが笑顔の、戦争の無い世界」

 彼女は看護婦を目指す、何処(どこ)にでもいるような少女だった。戦争が無ければ夢を叶えていたかもしれない。

「分かった。次はそんな世界に生まれ変われるよう祈ってやるよ」

 不器用な笑顔でソルト・アンが微笑むと、獅子丸が棺に妖刀『名残狂言』を突き立てる。すると荒涼とした大地一面の棺の全てに長い太刀が突き刺さって、まるで墓地のような光景になった。

 幻の丘に建つ、静かな夢の霊園で、刀の柄から下がった風鈴が一斉に涼しい音を立てた。

 ――雲雀だ。春を連れて、雲雀が帰ってきた。

「ありがとう……獅子丸」

「俺に礼なんか云うんじゃねぇよ」

 その言葉はソルト・アンの意識の中で呟いたのか、現実に戻ってから口に出たものか、獅子丸本人にも判断がつかない。

 目の前では僅かに黒い塵のようなものが風に舞いながら、夜の隙間へと散ってゆくところだった。

「何も残らねぇんだな。吸血鬼って」

 云いながら妖刀を鞘に納める。

 ――果たして伯爵は悪であるのだろうか。

 獅子丸は(おのれ)に問いかける。

 少なくとも戦争という時代の流れに巻き込まれたソルト・アンからすれば、伯爵は天使のように映ったかも知れない。少女を縛り付ける恐怖と貧困から救ったのだから。

 伯爵が戦争を起こすために暗躍したとしても、それは時間の問題というやつで、いずれ争いは起こっただろう。

 それが人の造る国家というものの救われない一面であろうから。

「貴方、存外ロマンチストだったんですね。獅子丸くん」

 戦いにケリがつき、現れた(かすみ) 月彦(つきひこ)の表情はいつも通りの営業スマイルだった。

「らしくないぜ。助太刀なんて」

「そうですね。確かにボクらしくなかったかもしれません」

「……その羽織り、女物だな」

「まぁ、ボクらしくないボクというのも、たまには良いじゃありませんか」

 月彦は何処か遠く、獅子丸の視線の届かない果てを見ているようだった。

「貴方はこれからどうしますか? 吸血鬼はまだ本命が残っていますよ」

「帰って寝る。(みぎわ) 蘭丸(らんまる)が出てきたんなら俺の出る幕はもう無ぇし。悔しいがアイツは俺より強ぇ」

 情が移ったわけではないが、獅子丸はもう伯爵に向けて妖刀を抜けない気がした。悪とか正義にハッキリとした線引きがあるとは思っていないが、自分の中に疑問を抱えたまま戦えるほど器用ではない。

「変わりましたね、貴方。以前なら、伯爵は俺が()る! と息巻くところでしょうに」

「いろいろ疲れるんだよ。名残狂言(コイツ)と一緒にいると。それより月彦さんこそどうするんだい? また似合わない助太刀にでも行くのかい?」

「そうですねぇ……」

 (しば)し考え込むと、何かを振り切るように声を出した。

「京都へでも行きますか。あそこは今、百鬼夜行のようですから」

 獅子丸は深い溜め息を一つ、夜の谷間へ落とし込むと上を向いた。

「それじゃ、俺も付いて行くぜ。借りを返さないままってのは後味が悪いからな」

 二人の妖刀使いは、そろって惨劇の病院を後にするのだった。
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