第14話「痩せっぽちのバラッド」
文字数 2,470文字
気がつくとソルト・アンは枯れた大地に立っていた。
周囲には沢山の
随分と自分は遠くまで来てしまったような気がして、もう帰れないのだという思いだけが彼女の中に重たい石となって居座っていることに気づくと
――雲雀の声?
雲雀ではないけれど、その音は雨のように優しく少女の五感に染み渡り、気持ちを安心させてゆく。
「
ソルト・アンが振り返ると、一人の青年が近くの棺に腰を下ろしている。
長い白百合色の髪。派手な
「
青年は抜き身の
「
妖刀『
「お前、先の世界戦争の犠牲者だったんだな」
深層世界では斬られた者の生い立ちが妖刀を通して所有者へと流れ込んでくる。ソルト・アンは吸血鬼だから、人を
――餓死寸前のところで伯爵に血を吸われたのか。
「これが
「幻というよりは夢に近いかもな」
「夢だって幻でしょう」
ソルト・アンは覚めた視線で獅子丸を見据えた。
夢の中で何度もマリア様に会った。助けを求める声は、とうとう聖母には届かなかった。
「
獅子丸の言葉ではない。作家志望の友人の口癖だった。
「現世のほうが夢かもしれないし、夢だと思い込んでいた世界が実は現実かもしれない。ま、どっちも等しく儚いことに変わりは
ソルト・アンは獅子丸の云うことに返答はぜず、ただ一言だけを口にした。
「私は死ぬのね」
「そうだ」
簡素なやり取りだった。
獅子丸の持つ妖刀『名残狂言』の能力は、斬りつけた相手に夢を見せることが出来る。
夢は意識の最深部にまで届いて、強い影響力を残す。
その効果は様々で、人格を変えて別人に作り変えたり、記憶を上書きして敵を味方にしたり、残酷な悪夢を見せて精神を殺したり、もちろん自殺をさせることも可能だ。
要するに斬られたら最後、どんなに抗おうと精神面を乗っ取られてしまう。そういう意味での一撃必殺である。
「もし生まれ変わることが出来たら、何になりたい?」
「……人間」
無愛想な吸血鬼は控えめな口調で語り出した。
「父様と母様が居て、毎日温かいスープとパンを食べられて、柔らかいベッドのある……誰もが笑顔の、戦争の無い世界」
彼女は看護婦を目指す、
「分かった。次はそんな世界に生まれ変われるよう祈ってやるよ」
不器用な笑顔でソルト・アンが微笑むと、獅子丸が棺に妖刀『名残狂言』を突き立てる。すると荒涼とした大地一面の棺の全てに長い太刀が突き刺さって、まるで墓地のような光景になった。
幻の丘に建つ、静かな夢の霊園で、刀の柄から下がった風鈴が一斉に涼しい音を立てた。
――雲雀だ。春を連れて、雲雀が帰ってきた。
「ありがとう……獅子丸」
「俺に礼なんか云うんじゃねぇよ」
その言葉はソルト・アンの意識の中で呟いたのか、現実に戻ってから口に出たものか、獅子丸本人にも判断がつかない。
目の前では僅かに黒い塵のようなものが風に舞いながら、夜の隙間へと散ってゆくところだった。
「何も残らねぇんだな。吸血鬼って」
云いながら妖刀を鞘に納める。
――果たして伯爵は悪であるのだろうか。
獅子丸は
少なくとも戦争という時代の流れに巻き込まれたソルト・アンからすれば、伯爵は天使のように映ったかも知れない。少女を縛り付ける恐怖と貧困から救ったのだから。
伯爵が戦争を起こすために暗躍したとしても、それは時間の問題というやつで、いずれ争いは起こっただろう。
それが人の造る国家というものの救われない一面であろうから。
「貴方、存外ロマンチストだったんですね。獅子丸くん」
戦いにケリがつき、現れた
「らしくないぜ。助太刀なんて」
「そうですね。確かにボクらしくなかったかもしれません」
「……その羽織り、女物だな」
「まぁ、ボクらしくないボクというのも、たまには良いじゃありませんか」
月彦は何処か遠く、獅子丸の視線の届かない果てを見ているようだった。
「貴方はこれからどうしますか? 吸血鬼はまだ本命が残っていますよ」
「帰って寝る。
情が移ったわけではないが、獅子丸はもう伯爵に向けて妖刀を抜けない気がした。悪とか正義にハッキリとした線引きがあるとは思っていないが、自分の中に疑問を抱えたまま戦えるほど器用ではない。
「変わりましたね、貴方。以前なら、伯爵は俺が
「いろいろ疲れるんだよ。
「そうですねぇ……」
「京都へでも行きますか。あそこは今、百鬼夜行のようですから」
獅子丸は深い溜め息を一つ、夜の谷間へ落とし込むと上を向いた。
「それじゃ、俺も付いて行くぜ。借りを返さないままってのは後味が悪いからな」
二人の妖刀使いは、そろって惨劇の病院を後にするのだった。