第17話「見廻り組」

文字数 6,419文字

 さる神社の社務所(しゃむしょ)の奥にある待合所には、帯刀した者たちが十人ほど集まっていた。

 本来は祈祷(きとう)などを申し込んだ者が待つ部屋であるが、今夜は見廻(みまわ)り組の集合部屋となっている。

 二十代から三十代の男性で構成され、屈強な者もいればスラリとした体格の者もいるし、精悍(せいかん)な者もいれば無表情な者もいる。皆、様々だが一様(いちよう)只者(ただもの)ではない雰囲気を纏っている。

 手練(てだ)れ。と、言ってしまって良いのだろう。

 まだ十代の蘭丸(らんまる)(いぶか)しげな視線を投げられたが、彩子(さいこ)の弟子だと分かるとすぐに歓迎された。

「ほう。彩子さんの弟子かい!」

「彩子殿の弟子なら安心だ」

「甘酒飲むか? 体が温まるぞ」

 蘭丸は人見知りで神経質なところがある。他人との交流は生きていくうえで大事な要素であることは分かっているのだが、どうにも上手くやれない。

 初めての場で緊張して、話しかけてくる者たちに型通りの挨拶をするのが精一杯であった。本来なら蘭丸のほうから見廻り組先輩の方々へ挨拶をしなければいけないのだが。

 いつの間にか場の雰囲気、会話のやり取りなどが彩子を中心に回っていることに気づく。察するに、彼女は皆から慕われているようである。

此処(ここ)では師匠は随分と人気者なんですね」

「含みのある言い方だな」

 (みぎわ)の家には近所の人たちが訪ねてくることなど滅多にあることではないから、それが蘭丸には意外だった。

 単に妖刀使いだから敬意を払われているというわけでもなさそうで、和気藹々(わきあいあい)とした温かい雰囲気がある。

 蘭丸はその光景を、輪の外側から不思議そうに眺めていた。

 (しばら)くすると巫女たちが寿司の桶を運んで座敷へと入って来た。御神酒(おみき)もある。

「豪勢ですね」

「せめてもの……さ。今夜が最後の食事になる者も居るかもしれないからな。神社方も気を遣ってくれているんだ」

 それは自分かもしれないと、蘭丸も気を引き締める。

蘭丸(お前)も遠慮せずに食べておけ。でないと、朝まで体が持たないぞ」

 彩子の隣に腰を下ろして、蘭丸も寿司に手を伸ばすが味などよく分からない。(がら)にもなく、思った以上に緊張しているようだ。

「師匠、一つ疑問に思うことがあるのですが」

 彩子は詰まらなさそうに大トロを摘まみながら、弟子の質問を(うなが)した。

「年が明けても参拝客というのは陽が昇り始めてから神社にやって来るわけですよね」

「まぁ、そうだ」

 神社に着くまでに(あやかし)に遭遇すれば死ぬ。わざわざ夜にやって来る物好きなど居ない。

「では師匠や見廻り組の出番など、殆ど無いと思うのですが」

「よく気がついたな。その通りだ」

 蘭丸は呆気にとられた。では、何のための集まりなのか。

「その殆ど(・・)というのが重要なんだ」

 物足りなさそうに茶を啜ってから、彩子は言葉を繋ぐ。

「つまり、わざわざ死の危険を冒してまで初詣に来る者がいるんだよ」

 蘭丸の細く長い眉が懐疑(かいぎ)に歪む。そんな命知らずがいるとは思えない。

 彩子が近くの巫女に御神酒を所望すると、蘭丸の表情があからさまに曇った。家で散々酒を呑んできたのに、まだ呑むのかと呆れているのである。

「命の危険を冒して願掛(がんか)けした者の願いは聞き届けられる」

「そんな莫迦(ばか)な」

「そうだ。莫迦なことだ。そんなわけは無い」

 ところがそんな流言に惑わされて、夜にやって来る者が少ないながらも居るという。

「命を賭けて願ったのだから、私の願いは必ず叶う。叶うはずだ。叶わなければならない。思い込みというのは厄介なものさ」

「それで死んでしまっては、元も子もないのでは?」

「そうは言うがね。例えば親が余命幾ばくも無い不治の病に掛かってしまったとする。医者にもどうすることも出来ない。子供に出来ることといえば、神頼みくらい。そんな心境なら流言にも乗りたくなるかもしれない」

 彩子は(さかずき)の中の酒を一気に(あお)った。瞳の中で何かが揺れる。

「事情は人それぞれだと思うが、藁をも掴みたい気持ちで必死なのだろうさ」

 そんな人たちの行動を否定するのは簡単だが、思い留まらせるのは容易ではない。

「この御神酒と同じさ。神聖なお酒を頂くことで、神様の霊力を体内に取り込み妖と対峙(たいじ)した時に少しでも勝つ確率、生き残る確率を上げる。だが、実際に神力が宿るわけではないだろう? 年末年始の見廻り組の仕事は、そんな愛すべき莫迦者どもの保護というわけだ」

「彩子ちゃんは相変わらず身も蓋も無い言い方をするねぇ」

 体躯(たいく)の良い男が蘭丸の隣に不躾(ぶしつけ)に座った。癖のある髪に不精髭が印象的な壮年。妙に愛想が良いが、不思議と威厳のようなものも(かも)している。

「確かに酒を呑んで強くなるなら、こんなにラクなことはない。でもまぁ、(げん)(かつ)がないよりはマシさ」

 男が蘭丸に酒を勧めてくる。

「いけるクチなんだろう? 彩子ちゃんの御弟子さんだもの」

「蘭丸は下戸(げこ)なんだ」

 素っ気無い声で彩子が蘭丸の気持ちを代弁した。

「あらまぁ。ソイツは残念」

 言いながら、男は豪快に盃の中の酒を飲み干した。

 彼は小田切(おだぎり) 秋津(あきつ)という。(みぎわ)の家が建っている地区の見廻り組の組長ということで、蘭丸も先ほど挨拶を済ませている。

「彩子ちゃんが今年も参加してくれて嬉しいよ」

 妖刀『電光石火』を持つ渚 彩子をちゃん(・・・)付けで呼ぶ人間に、蘭丸は初めて出会った。彩子の気性から不本意な呼ばれ方であろうから、一喝の元に訂正されるだろうと予想していたら、(こと)(ほか)本人は冷静で何事も無かったように盃を(くちびる)に当てている。

 意外であった。

 予想外は他にもある。

 この部屋に入った時、蘭丸はすぐに見廻り組の面々を見回した。おおよその実力は、振る舞いと眼光の鋭さで分かる。

 ――皆、自分よりも弱い。

 それが蘭丸の見立てであった。若さゆえの傲慢(ごうまん)、というわけではない。蘭丸は強者に師事している。ここ最近はさらなる強者と寝食を共にしている。その生活の中で、彼は相手の僅かな隙を探そうと集中して過ごしていたのだ。

 どんな時でも、日常そのものが修行。そんな蘭丸自身の生真面目さが、ある程度相手の実力を()(はか)(すべ)を身に付けさせたといえる。

 一度だけとはいえ、浅葱と剣を交えたのも大きい。

 渚 彩子と雨下石(しずくいし) 浅葱(あさぎ)。二人には寝食時でさえ(スキ)というものが無かった。

 ところが見廻り組の連中ときたら、食事中とはいえ隙だらけなのである。

 ――これでは俺一人で全員を斬り殺せてしまうではないか。

 溜め息の後、蘭丸は慌てて首を横に振った。慢心は禁物。己の最大の敵は己自身だ。

「殺し屋でもあるまいに……」

 蘭丸は冷たい夜風に当たろうと席を立って参道に出た。

 (りん)とした空気が心地良い。神社は聖域だ。余程の大妖でなければ入ってくることが出来ない。

 境内(けいだい)では誰也行燈(たそやあんどん)が幻想的な淡い光を揺らしながら、蘭丸を見守っている。

 白く染まった息が夜気(やき)に溶けて、闇が心身に降り積もっていく。

 蘭丸は冬の、特に夜の匂いが好きだった。

 鼻の奥を刺激する空気は清澄(せいちょう)で、どこまでも冷たく輝いているように孤独だ。まるで自分が一振りの、抜き身の刀になった心地さえする。

 気が研ぎ澄まされて、騒がしい室内に居るよりも落ち着く。

 蘭丸は暫し闇を見つめていたが、閃光の如く身体を返して刀の(つか)に手をかけた。既に抜刀の構えを取っている。

「ちょっと待った!」

 後ろに立つ小田切 秋津が慌てて叫ぶ。蘭丸は姿勢を正して非礼を深く詫びた。

「背後に気配を感じると、体が自然に動いてしまうもので」

 蘭丸は音無しの頃から背後に敏感なのだ。元殺し屋の哀れな習性といえる。

壬祇和(みぎわ)一心(いっしん)流は暗殺剣だからねぇ。怖い怖い」

 小田切は安堵(あんど)の溜め息をつきながら、力の無い声を上げるのだった。

「組長殿は壬祇和の剣に覚えがあるのですか?」

 他に言いようがあるところを、彼は暗殺剣(・・・)と言った。ただでさえ「暗殺」という言葉には過敏に反応してしまう蘭丸である。

「僕も昔、師事していたんだよ。彩子ちゃんの父君(ちちぎみ)だったけどね」

「兄弟子……だったのですか」

 壬祇和一心流の元門下生であれば、実力の程は測れない。暗殺剣ゆえ、他者に己の力量を悟らせないよう訓練されるからだ。暗殺者が普段から如何(いか)にもな風貌では話にならない。

「そんな御大層なもんじゃない。僕は中許し《初許しの次。下から数えて二番目の伝位》にも届かなかったんだから」

 小田切は照れ臭そうに頭を掻いた。彩子への馴れ馴れしい態度は同門ゆえ、幼馴染みゆえであったからなのか。蘭丸は納得した。

「僕と違って、彩子ちゃんは凄かったよ。女だてらに、なんて言うと怒られそうだけどね。どんなに頑張っても、埋められない才能の差というものはあるのだと思い知らされた」

 何故か蘭丸の脳裏に雨下石 浅葱の影が()ぎる。



「師匠は、いつ頃から妖刀使いになったのですか?」

 特に聞きたいわけではなかった。間が持たなかったのだ。

「んー? そうさなぁ。ちょうど君くらいの年頃だったかな。それから間も無くして父君が亡くなってからは、(すさ)んだ生活をしていたみたいだったけど……」

 その頃から「鬼の彩子」などと呼ばれ出し、町へ出ては無闇矢鱈(むやみやたら)と妖を斬り伏せていたのだという。

「父一人、子一人の親子だったからねぇ。いろいろあったんだろうなぁ」

 秋津は夜空を見上げた。まるで虚空に過去が映し出されているかのように。

「三年くらい前から、見廻り組にもちょくちょく顔を出してくれるようになってね。妖刀使いが居ると戦力が何倍にもなるから正直、大助かりだよ」

 丁度、蘭丸を弟子に取った頃と時期が重なる。

「それだけじゃない。彩子ちゃんが普段、(にら)みを利かせてくれるからこの町の妖被害は他所(よそ)の町と比べて格段に少ないんだぜ」

 蘭丸の息は、闇に一際白く浮き出た。

 たまに所用と言って居なくなる彩子が、実はそんな功徳(くどく)を行なっていたとは夢にも思わなかったのだ。

「この町の者は皆、彩子ちゃんに感謝しているんだ。見廻り組への参加も無料奉仕だからね。妖刀使いなら普通、金を取る。なかなか出来ることじゃない」

 もう間も無く日付が変わる。年が明ければ見廻り組は神社から外に出て、妖と一戦、二戦交えることとなるだろう。

 もしかしたら小田切 秋津は、喋ることで緊張を紛らわせているのかもしれない。

「それにしても、彩子ちゃんは丸くなったよなぁ……。何か心境の変化でもあったのかなぁ。ねぇ、蘭丸くん?」

「秋津、余計なことは言うな」

 まるで夜鳥(やちょう)のように気配も無く、彩子がいつの間にか二人の後ろに居た。

「それと皆の前で私のことをちゃん(・・・)付けで呼ぶのは止めろ!」

 やはりちゃん(・・・)付けで呼ばれることには不本意だったようで、秋津の顳顬(こめかみ)に拳を当てて責め立てる。

「たっ、ちょっと待った。褒めたんだよ僕は」

「昔からお前のお喋りは悪癖(あくへき)なんだ」

「痛い、痛い」



 この他愛も無い騒動を、鳥居(とりい)の上から見下ろしている者たちがいた。

「呑気な連中だねぇ」

 闇に輝く青い瞳と青い髪。洋装の少年が退屈そうに呟く。この寒空の下で、身震い一つしていない。

「ほんに(ぬる)い奴らよのう。ままならぬ(まが)が、この神社へと近づいていることに気づいてもいないのだから」

 豪奢(ごうしゃ)な着物を纏った美女が少年の隣で薄く(わら)った。足元まで届いた長い髪と白い肌。(よわい)二十と二、三といった容姿である。しかし、その美貌は人が持つには(かな)わぬもので、まさしく妖艶と云ってしまってよかった。

 (ぬえ)は亜緒に言われなければ、この姿でいることが多い。それは群青(ぐんじょう)に憑いていた頃の名残(なごり)だ。鳥居の上だというのに、二人は危なげも無く(くつろ)いでいる。

亜緒(あお)ちゃん、お寿司貰ってきたけど食べる?」

「食べる」

 洋装の少年が開けた口へと甲斐甲斐(かいがい)しく寿司を運ぶのは、巫女服姿に眼鏡を掛けた二十歳前後の女性。頭からは狐の耳、腰からは尻尾が生えている。寿司も適当に見繕って持ってきてしまったものだが、彼女の姿を見ることが出来る者は限られているのだから仕方がない。

「おい、狐。我が次期当主に馴れ馴れしいぞ。本殿《神社でいう神様が住まう建物》へ引っ込んでいろ」

本殿(あそこ)は退屈なんだよ~」

 程よい具合に力の抜けた声で、狐耳の女性が不平を言う。

「まぁまぁ。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)御眷属(ごけんぞく)様が、わざわざ持て成してくれているんだから」

「我は狐を好かぬ!」

 鵺は妖退治の大家(たいか)として名高い雨下石家に(まつ)られる存在である。その矜持(きょうじ)が邪魔をするのか、稲荷神社に祀られている御狐様と馴れ合うつもりは無いようだ。

 どちらも祀られる存在同士、仲良くすれば良いのにと亜緒は思うのだが鵺の言動に口を挟むつもりは無い。彼はいざこざ(・・・・)というものに無関心であった。

(ぬえ)ちゃんは意地悪だね~。御神酒もあるよ」

「呑む」

「亜緒よ、何故ゆえこんな(ところ)に居なければならない。年越しくらい屋敷でゆっくり迎えようぞ」

「んー? 此処(ここ)にいれば何か面白いものが見れそうだから」

(ぬし)は落ち着きが無いのぅ」

 鵺が呆れたように溜め息をついた。

「それにしても皆、何でこんな所にわざわざ参りに来るかな」

「亜緒ちゃん、それ営業妨害とモラハラ~」

「本当は稲荷神社が怖いところだって、知らないんだろうな」

「でも願い事は速攻で叶えちゃうからね~」

 ここの稲荷神社は狛狐(こまぎつね)の石像が宝珠(ほうじゅ)(くわ)えているから諸願成就(しょがんじょうじゅ)となる。

 願いは叶い易いが、見合った代償を人生の何処(どこ)かで支払うことになるのだ。

「亜緒ちゃんだって、いつか私に何か願い事をするかもしれないよ? 例えばピンチに陥ったときとか」

 狐耳の女性はヘラヘラと締まりなく、どこか嬉しそうだ。

(われ)が憑いているのだ。そんな窮地(きゅうち)は間違っても起こらぬわ!」

 鵺が機嫌悪そうに言い放つ。

 (から)になった盃が鳥居の上から滑って割れた。
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