第16話「予兆」

文字数 4,621文字

 世間は大晦日。

 日常から外れた喧騒に沸く賑わいなど何処(どこ)吹く風。

 (みぎわ) 彩子(さいこ)は座敷で(だん)を取りながら、蓮根(れんこん)の丸煮を一齧(ひとかじ)りしながら、ほどよい辛さと歯ごたえに頬を緩ませた。

 蘭丸(らんまる)が台所で(こしら)えている御節(おせち)料理から頂いてきた一品である。

 赤唐辛子と酢の絡みが丁度良く、これがまた熱い(かん)に良く合う。

 蘭丸が人形神(ひんながみ)を斬ってから三日が経った昼下がりの安寧(あんねい)だ。

「ところで浅葱(あさぎ)殿、帰らなくてもよいのかい? いつまでも門下生達を放っておくわけにもいくまい?」

 芳醇(ほうじゅん)吟醸酒(ぎんじょうしゅ)の旨味を楽しみながら、彩子は(さかづき)(あお)った。繊細な香りが鼻腔(びこう)に心地良く残る。

「門下生なんて居ないよ。皆、事故にあって辞めてしまった」

 勢いもよく、彩子が口内に含んだ酒を吹き出した。あまりに突然のことで、浅葱は真正面からその飛沫を受け止めてしまった。

「彩子殿……」

 不満気な御主人に、すぐさま女人形(にょにんぎょう)たちが湯で絞ったタオルを持って顔を優しく(ぬぐ)う。

「まさか君、まだアレをやっているのか?」

 彩子が(むせ)ながら言った。

 浅葱の弟子になるということは、常に怪我を約束されたようなものだ。

 彼は門下生に対し、あらゆる角度からナイフを投げつける。それは唐突に、何の躊躇(ちゅうちょ)も無く飛んでくる凶だ。

 弟子達はそのナイフを避けるなり、弾くなりしなければならない。出来なければ怪我、もしくは命を落とす者もいる。

 浅葱(いわ)く、常に隙無く気を張るための訓練ということだが、彩子は度を越した行為だと思っている。

「これでも手加減をしているんだ。だいたい、あの程度のナイフを避けられないクセに、私から剣の手解(てほど)きを受けようというのが間違っているよ」

 深い溜め息と共に彩子は首を横に振った。無敵の剣客が必ずしも良い師匠になるとは限らない。浅葱はそんな言葉を体現したような男だ。

 非常識なことを悪びれも無くやってのける。雨下石(しずくいし)家の者達は、そんな(やから)が多い。

「次期当主様にも怪我をさせたのか?」

亜緒(あお)には手加減無しで投げているのだがね。今のところ私のナイフは掠りもしていない」

「凄いじゃないか」

 彩子は素直に感心の声をあげた。

「凄いものか。アイツは数秒先の未来が見えるから避けやすいんだ。反射神経は、まぁまぁ良いようだが」

 それはそれで充分に優れていると彩子は思う。雨下石家の血ならではという注釈が付くが。

「だからこそ、蘭丸くんは私の理想なんだがなぁ」

「冗談ではない。私は蘭丸を『立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は孤高の(やいば)』といった具合に仕上げたのだから、傷モノにされては(たま)らないよ」

「分かってないな、彩子殿。蘭丸くんなら、私のナイフくらい簡単に(さば)いてしまうよ」

 茶で一息つきながら、浅葱は嬉しそうに微笑んでみせた。

「それは……うん、そうかもな」

 彩子が(がら)にも無く赤面する。蘭丸が褒められると、何故か自分まで照れ臭くなるのだ。

「先日の件は報告したろう?」

「人形神を斬った話かい?」

「その時に確信した。蘭丸くんには天性の殺しの才がある。彼こそ私の捜し求めていた理想の弟子だとね」

 彩子は酒を()いでから、呑まずに盃の中で揺らぐ水面(みなも)を眺めていた。水面は行灯(あんどん)(だいだい)を反射して、ぐるぐると頼りない世界を揺らしていた。

「しかし、重要なのは彼自身の気持ちだ」

「そこなんだよ。蘭丸くんが私の弟子になることは決して無いだろう」

 浅葱は座卓に突っ伏した。武の天才が珍しく落ち込んでいる。それほどまでに蘭丸の決意は固い。

 浅葱が此処(ここ)から離れないのは、単純に蘭丸に対する未練からなのだ。

 強引に連れ去ろうとすれば、彩子が『電光石火(でんこうせっか)』を構えて立ち塞がるだろう。

 出来れば浅葱は彩子と対立したくない。どちらが強いかという問題ではなく、彩子を殺そうとすれば、雨下石家当主であり、兄でもある群青(ぐんじょう)が止めに入ってくるのを知っているからだ。

 どうも群青は渚 彩子を気に入っているらしい。渚家に厄介になることを告げたとき、粗相(そそう)の無いようキツク言われたし、その口調には恫喝といっても遜色ない凄みが含まれていたのである。

 ご馳走も群青が運ばせるように言いつけたのだ。いくら彩子が妖刀使いだからといって、普通ここまでの特別扱いはしない。

 こうなると浅葱としては文字通りのお手上げ。何も出来ないのである。

「さておき、年末に雨下石家の人間がそれほど暇を持て余すとは思えないが」

「ところが瑣末(さまつ)ごとは私の出る幕ではないし、殆どの大事は我が当主様と月彦殿がやってしまうんですよ」

 その分、自分はラクが出来ると浅葱は愉快そうである。

「月彦殿は元気かい?」

 もう随分と会っていない友人の名を、彩子は懐かしそうに口にした。

「それ、聞く意味あります?」

「まぁ、全く無いのだけれどね」

 妖刀『月下美人(げっかびじん)』を持つ(かすみ) 月彦(つきひこ)は老いや怪我、病気とは無縁の場所に居る。存在の大半が彼岸(ひがん)彷徨(さまよ)っているような男だ。

 少し笑いながら、彩子は(ようや)く盃に口を付けた。懐かしい口当たりに酔う。

「それに彩子殿も充分、暇そうに見えますが」

「私と蘭丸は夜から見廻(みまわ)り組に参加するんだ。今夜は徹夜だよ」

 見廻り組は祭りなどの催しものが行なわれる際に、妖事(あやかしごと)の警戒をして回る集団である。当然、皆が帯刀を許可された者たちで、場合によっては妖を斬り伏せることもある。

「見廻り組ですか。私も付いて行こうかな。冷やかし半分に」

「いや、是非とも来ないで頂きたい」

 雨下石家の者が参加すると、皆に余計な緊張を()いる。彼らを動かすには大金が要るというのが常識だし、格が違いすぎて何処(どこ)に配置するにもバランスが悪く、持て余す。

 原則、雨下石家は大妖専門なので、結果、(ろく)なことにならない。

「しかし、意外だな。あの(・・)雨下石 浅葱がウチの蘭丸を弟子に欲しがるなんて」

 含みを持った言い方であった。

「私は渚 彩子ともあろう者が、彼に壬祇和(みぎわ)一心(いっしん)流を継がせたことが意外だったよ。君が弟子を取らなかったのは、暗殺剣を歴史の闇へ葬るためだと思っていたからね」

「そのつもりだったのだが、事情が変わったんだ」

 (しば)し間が()く。火鉢の上で銅壷(どうこ)が静かに湯気を立てる音がする。

「『電光石火』が次の所有者を探し始めた」

 妖刀は所有者の死期を感じ取ると、次の主を求めて準備を始める。

 具体的には刀に触れても死なない人間が現れ始め、その者が次の妖刀の所有者になると()われている。

「次の使い手はあの子だろう」

「なるほど。文字通りの後継者というわけですか。しかし、それも所詮は流言(りゅうげん)。事実、妖刀については分からないことばかりというのが実情だ。まだ貴女(あなた)が死ぬと決まったわけではない」

 浅葱の声に僅かながらの感傷が混じる。出来れば死んで欲しくないという思いからなのか。それとも、彼には彩子の近い未来が見えているのかもしれない。

「それでも万が一、私が亡くなるようなことがあれば、浅葱殿には蘭丸の後見人(こうけんにん)になって欲しいのだ」

 一方的な頼みなのは分かっている。しかし、彩子には浅葱以外に頼れる人物がいない。

「私は、蘭丸くんをそのまま自分の弟子にしてしまうかもしれないよ?」

「それでも構わない。都合の良い頼み事なのは充分に承知している」

 彩子は火箸で挟んだ炭で煙草に火をつけた。吐き出された紫煙(しえん)が緩やかに揺蕩(たゆた)う。

「貴女は変わったな。以前はもっとギスギスした雰囲気を感じたものだったが」

「そうだったかな」

「話は分かった。もしものことがあれば、蘭丸くんのことは任せておいてくれ(たま)え。決して悪いようにはしない」

「すまない……感謝する」

「だから安心して死んでくれて良い」

 余計な一言に、彩子は呆れて眉根を寄せた。

貴方(あなた)は詩や花を()でるわりにはデリカシーというものが無い」

 浅葱は柔らかな笑顔で応えた。

 彼は温もりというものに何の価値も見出さない。興味があるのは人形だけ。そして浅葱にとって、人形は死人と大差が無い。それは生者よりも、死者に関心の天秤が傾いているということなのかもしれない。

 出会った頃から変わらない。死に寄り添って微笑む男。

「まぁ、良いか。私はきっと、貴方のそういうところすら気に入っているのだろうし」

 他人事のように呟くと彩子は立ち上がり、台所まで歩いてゆくと割烹着(かっぽうぎ)姿の蘭丸の背中を突いた。

「酒が無くなった。もう一本燗をつけてくれないか?」

 蘭丸が料理の手を止めて彩子を一睨(ひとにら)みする。

「酒はあるが、もう無いです!」

 禅問答めいた受け答えに、一瞬ワケが分からず呆気(あっけ)に取られる。

「いつからそんな意味の通らない意地悪をするようになったんだい? 私は君の師匠だぞ。もっと(うやま)いたまえ」

 言った後に大欠伸(おおあくび)をするものだから、師匠の威厳とやらも飛んで何処かに失せる。

「では師匠様は泥酔(でいすい)しながら見廻りをするおつもりですか? 暇があるなら御節の用意を手伝っていただきたい」

「うっ……それは面倒だから嫌だ」

「そんなんで俺が居なくなったらどうするんです」

蘭丸(キミ)は居なくならないだろう?」

「俺だっていつ命を落すか分からないってことです」

 事実、帯刀者が妖と戦って死ぬ確率は高い。蘭丸だって例外ではないのだ。

「初めての見廻り組で緊張するのも分かるがね。やってみると案外、大したことないもんだぞ」

 幾度も修羅場を潜り抜け、妖刀まで持っている彩子に助言されても気休めにもならない。

「そりゃ、師匠には戯れ半分なのかもしれませんが、俺が帯刀を許されたのはつい先日のことですよ」

 人形神とは違い、積極的に人を襲ってくる妖ばかりであるのは間違いない。蘭丸にとっては、今夜が初の実戦なのだ。緊張するのも無理はない。

「君のことは死なせないよ。私が全力で守るのだから……」

 言葉は小さく、その背に届くほどでは無かったけれど、彩子の声には何人(なんぴと)も侵すことの出来ない決意というものが溢れていた。
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