第14話「パートナー」

文字数 6,110文字

 頭痛がした。

 頭痛なんて(ぬえ)にとっては初めてのことだから、戦いの中でこの不快をなんと認識するべきか戸惑う。

 沃夜(よくや)から貰った一撃が効いているのか、それとも彼の持つ強大な霊力に()てられたからか。

 もしかしたら、人の体特有の不調というヤツかもしれない。

 亜緒(あお)が大怪我をした可能性もある。鵺は亜緒に憑いているようなものだから、亜緒が受けたダメージに影響を受けてしまうこともあるのだ。

『貴女、頭痛も知らないの?』

 意識の何処かで誰かが呆れた。それとも笑ったのか。どちらにしても鵺は声の正体を知っている。

 瞑想類(めいそうるい) 現子(うつつこ)。鵺にとっては、現在の姿の素体となった黄泉帰りの少女だ。

 ――これが人の云う頭痛……というもの。

 鵺はなんだか嬉しくなって、不快の中で自然と笑みが零れてしまった。そして、理解する。

 ――ああ、そうか。私は人を、人と云うものを愛しく――。

 迫る沃夜相手に鵺の意識のベクトルが外向きに変わる。

 結界に切り取られた異空間。

 閉じられた檻の中で二つの思惑が剣戟(けんげき)となってぶつかり合い、響く。

 鵺は亜緒の元へと駆けつけるため。沃夜は紫の勝負を邪魔させないため。

 私の行動こそが()だ。と、言わんばかりにどちらも譲らない。譲るわけにはいかない。

 果敢に攻める鵺に対して、沃夜は徹底して護りの構えだ。

 十と一つの刃が交差して()れ違っては、また再び対峙する。

 鵺の斬撃を受けながら、沃夜はある種の違和感を感じ取っていた。

 手応えが無さ過ぎるのだ。霊格が落ちたとはいえ、ここまで顕著(けんちょ)に凌ぎやすいというのは()せない。

 鵺の不調を知らぬ沃夜は、罠の存在を警戒した。

 一方で鵺は攻め(あぐ)む自分に対して焦りを感じていた。

 刃の振り、敏捷性、足運び、技のキレ、どれをとっても精彩を欠く。

 罠の存在など無い。鵺の攻撃が俊敏さに欠けるのは不調の影響もあるが、大部分は彼女の心に曇りがあるからだ。

 要因は根本から異なる二人の行動原理にある。

 どちらも連れ合いのことを考えての行動であることは間違いない。

 違いがあるとすれば沃夜は紫を信じての、鵺は亜緒を心配しての戦いということだろう。

 その思いが鵺の心を掻き乱すのだ。

 パートナーとしての心の持ちようは、自分よりも沃夜のほうが正しいのではないか?

 そんな疑念が鵺の脳裏を掠めて、身のこなしに余計な重さを()いてしまう。

 鵺の行動の裏には、亜緒の実力を信用していないという心理も隠れている。

 鵺はその事実に、やはり何処かで気づいているのだ。

 だから自分は亜緒の力になれないのではないか。

 蘭丸(らんまる)なら、もっと亜緒を信じて行動するのではないか。

 人と融合したときに生まれてしまった心と云う厄介な感情が鵺を振り回す。

 それは(まつ)られるモノとしても守護者としても、余計な思いであるのかもしれない。

 鵺が沃夜の剣に押されるのは、彼の絶対的な信念からくる疑心無い気迫の差、ゆえだ。

 沃夜の剣には迷いが無い。

「心、此処に(あら)ずだな。祀られるモノ……」

 鵺は頭痛の中で沃夜の声を聞いた。あの、空気に響き渡るような良く通る低音。

 気がつけば、いつの間にか結界の端へと追い詰められていた。

「悪いが物騒な両腕は斬り落とさせてもらう。覚悟されよ」

 沃夜が上段から振り下ろした刀は、しかし途中で流れが止まった。止まってしまったと云ったほうが良いかもしれない。

 後方から十の鋭い爪が彼の背に突き刺さっている。

 鵺の爪は伸縮自在だ。自身、試したことは無いが百メートル程度は伸びるだろう。それ以上伸ばしても扱いきれない長さとなる。

 結界の広さは長さ五十メートル、幅三十メートル、高さ四十メートルの直方体だ。

 その空間を越えると、丁度結界の反対側に出る。出口が入り口と零距離で繋がっている。

 鵺の指先が後ろで歪曲空間の境界に刺し込まれていた。

 爪が結界の反対側から伸びて、鋭い槍のように沃夜の背に突き刺さったのだ。

「なるほど。雑な戦い方が気にはなっていたが、そういうことか」

 沃夜は石畳に刀を突き立て、膝を突いた。

 当然、急所は外してある。沃夜に死なれては鵺も困るのだ。

 頭痛がする。もう、声は聞こえなかった。

 鵺は漆黒の空に両手をかざすと、大きく息を吸った。

 鏡面界の中で上手くいくか分からないが、暗雲を呼ぼうと集中する。

 * * * * * * * * * * * * *


 (むらさき)は亜緒を『客死静寂(かくしせいじゃく)』の中に捉えきれないもどかしさ(・・・・・)に苛立っていた。

 いくら相手が神気を纏っているとはいえ、展開を終えた『客死静寂』は最強無敵の妖刀である。

 こうも亜緒に梃子摺(てこず)るということは、使い手が未熟ということだ。

 紫の体内に仕込まれた武器の中で『客死静寂』は最も新しい。施術を行なったのが今年の春の頃。

 まだ慣れていないというのもあるが、元々熟練を必要とする扱いの難しい妖刀なのだ。

 一方で亜緒のほうも余裕があるわけではない。

 突出した空間把握能力と動体視力、瞬発力、筋力、反射神経、そして数秒先を()知る慧眼(けいがん)と神速を駆使して何とか鋼糸(こうし)の刃を()(くぐ)っている。

『すご~い。亜緒ちゃん、サーカスに就職出来るよー』

 玉響(たまゆら)が亜緒の身体能力に感心する。

「玉響。ちょっと神気の治癒力について聞きたいんだけどさ」

『なに~』

 ペラペラと厚みの無い声が返ってくる。いきなり叩き起こされた低血圧の欠伸(あくび)から出たような声。

「もし首を落とされても大丈夫なのかね?」

『わかんな~い。試しに落とされてみれば~』

「冗談じゃない!」

 感情が平坦な上、声音も緩やかなせいか玉響の言葉はただでさえ頼りなく聞こえる。

 断定もしないから、手足が落ちてもくっ付くかどうかという怪しさだ。

 治癒力に関してはアテにし過ぎないほうが良さそうである。

 跳び、伏せ、時に回転しながら亜緒は『客死静寂』の形無き線形の波紋から逃れる。

 紫は神速の動きを目で追うことが出来ないから、半ば出鱈目(でたらめ)に妖刀を振り回し続けている。

 亜緒のほうは動きを止めればコンマ数秒でバラバラだ。

 運指(うんし)で操っているのであろう鋼糸は十本以上ある。二十か三十か、それ以上だ。

 紫の殺気も、刃が空気を裂く音も感じない。『客死静寂』は気配と云うものを相手に悟らせない。

 そういう妖刀だ。

 それが何よりも厄介なところで、だから頼れるのは慧眼による直視だけ。そして刃を避けながら隙間を見つけて後方へと下がる。

 反撃を考えるなら前進なのだろうが、やはり紫とは距離を置くのが正解だ。

 紫に近づけば近づくほどに線形の刃は密に重なっているから、零距離からの反撃を狙って突っ込んでいけば一瞬でミンチになってしまう。

 まさに攻防一体で隙の無い妖刀だと、斬られながらも亜緒は感心する。

 もちろん、死合っている本人としては相手の武器を賞賛してばかりもいられない。

 非常に不利なこの状況で、何とか打開策を見出せなければ亜緒を待っているのは死だ。

 おそらく有効なのは逃げてしまうことだろう。紫はともかく、『客死静寂』とは()り合わないのが一番良い。

 一端退却するというのも立派な戦術である。

 そのためには鵺を見つけなければならない。

()っ!」

 死角からの攻撃に左手首から血が吹き上がり、すぐに止まる。

 これ以上血を失うのは避けたいが、絶えず揺らぎ続ける鋼線に触れずというのはやはり難しい。

 飛び跳ねて避けた着地点にのたうつ(・・・・)鋼糸を見つけて、亜緒は咄嗟(とっさ)に式神を出す。

 顕現(けんげん)した鬼を踏みつけて刃を避ける。

 糸が絡みついた式神は細切れになって裂けた。

『亜緒ちゃん、ゲス~い』

 亜緒の返事は声にならない。一瞬でも気を抜いたら『客死静寂』に絡め取られる。

 斬り刻まれながら逃げ回ることしか出来ない。結局、追い詰められているのは亜緒のほうなのだ。

 不意に額へと水滴が落ちて跳ねた。二つ、三つと降ってくるそれは、瞬く間に滝のような豪雨になった。

 辺り一面が雨の音で埋め尽くされる。怒鳴り声すら通りぬける隙間も無いほどの水の落下。

 あっという間に其処此処(そこここ)が水溜りだらけになって、境内(けいだい)はさながら湿地帯のようだ。

 雨はそれほど重く、激しい。

 (だいだい)に揺れている赤い細身柱の灯篭の灯りが幾つか消えた。

「鵺だな」

 頭上に渦巻く暗雲を感じて、亜緒に不敵な笑みが宿る。

 豪雨は『客死静寂』封じになるかもしれない。

 全方位から襲ってくる鋼糸の刃は、おそらく土中か水中が死角だろう。

 今の状況は水の中とは云えないまでも、紫にとって好ましくない事態であるはずだ。

 鋭い動きは確実に鈍るし、亜緒を視認することも難しくなる。

 逃げる好機であるかもしれない。

 激しい雨に紛れて後方へと退く。鵺はおそらく神社の裏手にいるはずだった。

 感覚を研ぎ澄まし、鵺の気配を探ってみるが何も感じない。

 ――妙だ。と、思った。

 明らかに異常な事態であった。ただでさえ玉響の影響で感覚は鋭くなっているはずなのに、鵺を何処にも感じることが出来ない。

 嫌な予感がした。

 反射的に亜緒は全速で後方へ跳んだ。しかし、気づくのが遅かった。紫の気配が『客死静寂』で消されていたというのもある。

「甘いなぁ、亜緒くん。雨程度で防げるもんなら、そら妖刀とは云わしまへんやろ?」

 全身から吹き出た血はすぐに雨で流されて、痛覚と眩暈(めまい)だけが体に残った。

 確かに甘かったのかもしれない。滝のように落ちてくる雨とはいえ、『客死静寂』は妖刀だ。

 豪雨ごときで封じられるわけがない。

 それどころか紫は、鋼糸を広範囲に展開させて亜緒の居場所を探り当てたのだった。

『妖刀使いぃぃぃ! あっち行け!』

 玉響が敵意を込めて紫を嫌悪する。

「落ち着け玉響」

 妖刀に選ばれた者は神様から嫌われるというのは、案外本当なのかもしれない。

 紫の息が荒い。足場の悪い環境で滑ったのかもしれない。彼は肋骨が折れているのだ。

 亜緒ほどでは無いが、紫もまた満身創痍(まんしんそうい)なのだ。

「紫。お前、妖刀の扱いにまだ慣れていないだろう?」

「何故、そない思いますのや?」

「お前が『客死静寂』を自在に扱えたなら、僕はとうに死んでいるに決まっているからさ」

「亜緒くんが目にも留まらぬ速さで動き回るから、捕まえるんに少々難儀したはるだけや」

 言い終えると紫は咳き込んだ。口元に当てた手から鮮血が(したた)る。その姿は痛々しい。

「なぁ。今回は痛み分けということにしないか?」

 紫が着物の袖で血を拭いながら冷笑する。侮蔑(ぶべつ)の視線が亜緒へと向けられていた。

「無理するなよ。肋骨が折れているはずだ。早く処置しないと死ぬぞ」

「亜緒くんは死ぬんが怖いんか?」

 紫の質問に返事を返すことが出来ない。また、答える必要も認めなかった。

「大事なもんがあると、やっぱり人は弱なってまうんやね」

「紫。死を恐れないことを強さとは云わない。生きる辛さから逃げないことが強さなんだ」

「そない()(ごと)で今更僕が引くとでも思うんか?」

 半端な覚悟で雨下石(しずくいし)家に噛み付いたわけではないのだ。自らの死を()ってしての覚悟である。

 亜緒が呪符を二枚取り出す。

「式は僕には効かへんよ?」

 そんなことは亜緒にも分かっている。目くらまし程度にはなるだろうという、策とも云えぬ気休めだ。

「何故、お前は僕を殺したがる?」

「過去をみな壊して強うなるためや」

 紫の指がしなやかに踊る。

「せやから亜緒くん、僕のために死んだってや」

 亜緒が呪符を放つ。二枚の札は四枚から八枚、十六、三十二へと倍倍に増えて一瞬で六十四体の鬼が一斉に紫へと向かう。

 物量の力技は、しかし紫の腕の一振りで全てが微塵に裂けて消えた。

 真っ向から『客死静寂』に挑んでも()ず、勝つことは出来ない。

 近くで鏡が割れた。そんな気がした。

 砕けた異空間の欠片(カケラ)は鵺の可憐を映し、沃夜の忠誠に傷を付けながら夜に散る。

 『客死静寂』の鋼糸が鏡面界の歪んだ境目を斬り裂いてしまったのだ。

 沃夜が結界を解いたわけではない。紫の不慣れからくる手元の狂いであった。

 紫は雨に濡れながら舌打ちした。この妖刀は本当に扱いが難しい。斬らなくてもよいモノまで斬ってしまう。

 境内の建物にしても、ここまで壊すつもりはなかったのだ。

 鏡面界が壊れ、鵺は亜緒の元に、沃夜は紫の(かたわ)らへと跳んだ。

「沃夜、すまんな。怪我させてしもたか」

 背中の傷を認めて紫が沃夜を案じた。

「この怪我は祀られるモノに不覚を取った私の未熟さゆえ。それよりも紫様のほうが――」

「大事あらへん。それよりも神社入り口の見張りを頼むわ」

 言葉を遮って沃夜を自身から遠ざける。『客死静寂』は沃夜をも斬りかねない。

「雨を止めてくれ」

 亜緒が鵺の耳元で囁くと、天の底が抜けたような激しい神立(かんだち)は嘘のように止んだ。

 鵺が一際大きな雷を紫の頭上へ落としたが、電光は真上で四散すると地上を少しだけ伝ってやがては消えた。

 『客死静寂』の鋼糸を集めて稲妻を散らしたのだ。

 結界をも裂く妖刀である。雷など斬って当然なのだろう。

「鵺、紫の妖刀には気をつけろ。頃合いを見て退く」

 言ってはみたものの、逃げる隙を紫が与えてくれるとも思えなかった。




 神社の外、闇の向こうから鳥居を潜ろうとする者がいた。

 墨黒色の着流しに漆黒の刀を持ち、夜を溶かしたような長い髪を風が撫でてゆく。

 その般若(はんにゃ)の面を付けた人物を沃夜が見咎(みとが)めた。

「ここは通行止めです。妖殺し」

 沃夜が『童子切安綱(どうじきりやすつな)』を鞘から抜いた。

「それでも、通らせてもらう」

 面の男が刀の柄に細く長い指を置くと、沃夜は知らぬ間に倒れていた。
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