第23話「聞か猿こと」

文字数 4,181文字

 彩子(さいこ)蘭丸(らんまる)は揃って赤い絨毯の敷かれた廊下を歩いていた。妙にフワフワとした歩き慣れない足元の違和感が少し気になる。

 成明(なりあきら)邸は広すぎるのだ。生活空間とは別に応接室、ホール、子供室、使用人室、撞球(ビリヤード)室などなど。事務室や食堂に至っては二つもあって、広い厨房に加えて配膳室なんてものもある。

 (あやかし)と契約して得た富は莫大なものであった。

 蘭丸と彩子は邸の見取り図を片手に、実際に屋敷の中を歩いて部屋の配置などを確認しているところだ。

「蘭丸、君はどう見る?」

 彩子は屋敷内の警備体制を弟子に言わせてみた。

「私と師匠を合わせて妖退治屋が十名。かなり強力な結界も張ってありますし、半端な妖は邸内に侵入することすら不可能と見ます」

「実に模範的な回答だね」

 彩子は懐から煙草(タバコ)を取り出すと一服つけた。大衆臭いゴールデンバットの煙が、場違いな空気の中を泳ぐ。

「結界はともかく、妖退治屋が多すぎる。それが問題だ」

「何か気になることでも?」

 確かに退治屋の中にはチンピラのような(やから)も混じっていて玉石混淆(ぎょくせきこんこう)という有様であったが、蘭丸の見たところでは腕が立ちそうな者も数名居たから、全く頼りにならないわけでは無さそうである。

「致命的なのは、まるで統制が取れていないことだな」

 烏合(うごう)(しゅう)、というわけだ。

「いっそのこと、師匠が皆を統率したらどうです?」

 彩子は妖刀使いという点で他の妖退治屋よりも格が上だ。もしかしたら、皆が素直に従うかもしれない。

「それは無理だな。成明氏が狒狒(ひひ)を討ち取った者には特別報酬を出すなどと公言した以上、それぞれが単独で動くだろう」

 娘を思うこととは()え、何から何まで余計なことをしてくれる。彩子は報奨金を取り消すよう言ったのだが、断られてしまった。

「まぁ、(まと)め役など(がら)では無いから、私としては結果何も変わりはしないのだが……厄介な問題がもう一つある」

 師弟は二階への階段を上りながら会話を続ける。

「相手が狒狒だということだ」

「それは今更でしょう?」

 狒狒を退治することが依頼内容であり、彩子はその仕事を受けて此処(ここ)に居るのだ。

「蘭丸は狒狒という妖をどう捉えている?」

「身の(たけ)八尺《約二~二・五メートル》はある猿人(えんじん)のようなもので力も強く、体が大きい割に動きも速いとか。依頼人を護りながらというのが少々手を焼きそうですが、師匠の敵では無いでしょう?」

 いくら素早いと云っても妖刀『電光石火』の(はや)さに比べれば、それはやはり遅いのだ。

「それじゃ野生の猿やゴリラとあまり大差が無いじゃないか」

 彩子は溜め息とともに紫煙(しえん)を吐いた。

「彼らを妖たらしめているのは、その能力に()るところが大きい」

「それは――」

 蘭丸は二の句が継げなくなって、言葉が喉の辺りで全て泡のように消えてしまった。妖の知識が貧弱すぎる。彼はもっと妖怪のことを知る努力をしなければならない。

「師匠は狒狒を斬ったことがあるのですか?」

「ある。一度だけな」

「狒狒とはどのような妖でしたか?」

 毛深い猿のようなと云われても、今の蘭丸にはピンとこない。あまり手強そうではないイメエジだ。

「人の言葉を解し、発する。人の心を読む。未来を見通し、予言をすることがある」

 猿人系の妖怪の線引きは曖昧で、サトリなども狒狒と呼ばれることがあるという。

「そして、人を喰らう」

 何気ない彩子の口調だったが、蘭丸の表情は鋭く動いた。

「嫁などと抜かしているようだが十中八九、喰らうつもりだろう」

 便宜(べんぎ)上の婚約であったのか。狒狒がそれほどの妖ならば、力ずくで娘を喰ってしまっても良さそうなものである。

「とにかく心を読む能力が厄介なんだ。相手の心を惑わせてくる。私は妖刀の加護があるから心を読まれることは無いが、お前はそこ(・・)に気をつけろ」

 確かに厄介な能力だ。無心で戦うといっても無理だろうし、蘭丸には狒狒の言葉から耳を(そむ)けるしか有効な戦い方は無さそうである。

「俺がどんな動きでどんな攻撃をするか。そういうことも狒狒には筒抜けということですね」

「そういうことだ。ただ、分かっていても避けられない攻撃というのもある。そこはお前の日頃の修行の成果が試されると云ったところか」

 彩子は嬉しそうにホールの中にある吸殻入れへと吸いかけの煙草を投げ入れた。

「狒狒は私と蘭丸の二人で退治する。他の者は単に障害物と割り切って行動しよう」

 そのほうがシンプルで良い。それに――、

「どうせ他の者に狒狒を斬ることは出来ないよ」

 今宵、この館は狒狒の餌場になると彩子は考えている。おそらくは殆どの者が喰われてしまうだろう。自分と蘭丸という例外を除いては。

「おおっと、そりゃ聞き捨てならねぇなぁ」

 背後から良く通る太い声が二人の足を止めた。

 振り向くと金ピカの着物袴に赤い下駄、腰には竹筒を下げた長身の男が立っていた。燃えるような赤い髪は逆立ち、手に持った刀を肩に担いでいる。

「俺は久遠(くおん) 獅子丸(ししまる)。一応、狒狒を仕留めるつもりで此処に来た……アンタの云う障害物の一人だ」

 細い目を更に細めて、大胆不敵に(わら)ってみせる。その顔は楽しそうでもあり、(にら)んでいるようにも見えた。

 集められた妖退治屋の中でも一際(ひときわ)目立っていた男だ。もちろん、悪い意味で。

「気に(さわ)ったかな。私は事実を述べたに過ぎないのだがね」

 彩子が薄く笑う。目の前の男の姿は、やはり可笑(おか)しい。まるで歌舞伎の連獅子だ。

「俺が狂言(きょうげん)吹いてるってのかい?」

 獅子丸が刀を下ろして鞘から抜こうと手をかけると、同時に蘭丸も刀の柄に手をかける。

 ――金ピカが鞘から少しでも刃を抜き次第、死んでもらう。

 獅子丸の立つ位置は、(すで)に蘭丸の間合いだ。

「およしなさい。とても今の貴方(あなた)(かな)う御二人ではないですよ」

 と、軽い声が獅子を押さえた。

「月彦殿?」

 現われたのは孔雀緑(くじゃくみどり)の着物に不自然な笑顔を貼り付けた妖刀使い。(かすみ) 月彦(つきひこ)

「久しぶりです彩子さん。また会いましたね。蘭丸くん」

 蘭丸は溜め息を吐いた。出来れば会いたくなかった一人だ。妖刀使いとはいえ、この青年からは何やら得体の知れないものを感じる。

「月彦さん、この俺がこいつ()に遅れを取るっていうのかい?」

「獅子丸くん、もっと相手の実力を見極める目を養いなさい。貴方は今、命拾いをしたんですよ?」

 獅子丸は月彦には逆らえないらしく、不満そうな態度とともに黙ってしまった。

「月彦殿、蘭丸を知っているのか? いや、それよりも何故貴方が此処に?」

「僕はクリスチャンですからね。神の御導きです」

 月彦が居るということは、妖退治屋は全部で十一人ということになるのか。

「貴方とはいつも意外な(ところ)で会うな」

 月彦も妖刀使いなのだから、妖退治の場に居ても何ら不思議は無い。しかし、何故か不思議とそぐわない印象があるのだ。

「今回の仕事は金の払いが良いので二つ返事ですよ。もっとも、今回ボクは彼のお目付けという役どころなんですけどね」

 月彦は久遠 獅子丸を二人に紹介した。

「彼は浅葱(あさぎ)さんの一番弟子です。相当の腕前ですから足手(まと)いにはならないと思いますよ」

 もしかしたら、本当に狒狒を倒してしまうかも。と、月彦は笑顔で付け足した。

「一番弟子は次期当主様じゃなかったのかい?」

 やはり雨下石(しずくいし) 浅葱の厳しすぎる稽古には付いていけなかったのだろうか。

「次期当主は年が改まって早々、破門にしたそうですよ。何でも不真面目極まりないとかで」

「それはまた……」

「温厚な彼が珍しく怒っていました」

 彩子は神社で会った青い髪と瞳の少年を思い出して、思わず納得してしまった。二言三言(ふたことみこと)会話しただけであるが、かなりムラっ気のありそうな、気紛れな人物に思えた。

「俺だって別に弟子ってわけじゃ……」

 獅子丸が拗ねたように口を尖らせた。彼には彼の、言いたいことがあるようだ。

「はいはい。そういうの、もういいですから。名を上げたいんでしょう? 狒狒を討てば久遠 獅子丸の名は業界の端々(はしばし)にまで知れ渡りますよ」

「名を売りたいのか? 少年」

「彼、妖退治屋として早く独立したいんですよ。浅葱さんからは十年早いと止められているんですけどね」

 代わりに月彦が返事を返す。

「と、まぁそういう訳なんで宜しく」

 何がどう宜しくなのか分からない挨拶を残して、二人は去っていった。

「浅葱殿の弟子ならば、そこそこ腕は立つかもな」

 雨下石 浅葱は自分の修行に耐えられそうな者しか弟子にしない。それでも怪我人、挙句(あげく)は死んでしまう者までいるのだ。五体満足でいるということは、それだけで彼の実力の証明にもなっている。

「そうですね」

「なんだい。素っ気無いな。獅子丸とか云ったっけ? 見たところ君と歳も離れてなさそうだし、友人を作る絶好の機会かもしれないぞ?」

「ああいう粗暴で派手なのは苦手なんですよ」

「君はそんなだから友人が出来ないんだ。人と云うものは()ず、付き合ってみないと分からないものだよ?」

 彩子は以前から蘭丸の交友関係の無さを心配していた。友達と呼べる者が一人も居ないというのは、やはり不安である。

 他人に無関心な蘭丸にもいつか、対等な目線で接し合うことが出来る友人が現われることを彩子は(せつ)に願っているのだ。
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