第9話「狂い咲き」

文字数 2,698文字

 妖刀『落花葬送(らっかそうそう)』は刃長66・6センチ。鞘に収めた刀の刃を、上に向けて身に付ける打刀(うちがたな)の形だ。

 妖刀はどれも平安時代以前に造られたとされているから、江戸時代の様式であるというのは不自然極まるのだが、そこはなんといっても振るう者を人ならざるモノに変える刀である。時代考証などするだけ無意味の産物なのであろう。

「つまり、この桜は結界ということね。これほどのものを瞬時に現出(げんしゅつ)せしめるとは……妖刀とは大したものだわ」

 瑠璃姫(るりひめ)は心底感心しているような口調で視線を浅葱(あさぎ)に向けた。

 結界の中にノコギリが居ない。『落花葬送』の結界は使い手が自由に取り込む者を選別できるらしい。

「婆の知っている前の使い手は、ここまで見事な桜を咲かせることは出来ませなんだが」

 桜の本数、枝ぶり、開花具合で結界の強度も変わる。もちろん、満開なほど強固な結界となる。

 これで戦う場がやっと整ったというわけだ。

「桜は散り、梅はこぼれ、椿(つばき)は落ちる。牡丹(ぼたん)は崩れて、菊は舞う……と()うのですよ。(ちな)みに朝顔は萎む(・・)です。日本人は花の見頃の終わりを多彩な言葉で(いろど)りつつも惜しんだのですね。花が人々の生活にどれだけ無くてはならないものかが推し量れます」

 桜のザワザワと揺れる枝の音が過剰に耳に入ってくる。異質だ。妖刀が作りだした異界である。

 (うるさ)い沈黙の中で、瑠璃姫と藍婆(あいばば)、そして浅葱の視線が交差する。険悪と諦観(ていかん)、そして静穏(せいおん)

「私が何を云いたいか分かりますか? 『能力』です。この妖刀はね、花の(きわ)の表現に因んだ死に場所を用意することができる。なかなか粋な趣向でしょう?」

 世には刀が通じない妖というものが存在する。霧や煙の妖や、音の怪などがそうだ。

 妖ではないが、藍と瑠璃姫の二人も同じく刀が届かない。

 そんな相手に限り、浅葱は『落花葬送』の能力を使う。そして使ったら最後、相手は絶対に助からない。

「貴女方は此処(ここ)で桜の花のように命を散らすことになる。私からの文字通りのはなむけ(・・・・)だ」

 浅葱は微笑む。自分の言葉に一瞬だけ酔ったことと、(がら)にも無く多弁であることが可笑(おか)しくもあったからだ。

「考え直せ浅葱。姫様を殺せば、お前もお(とが)めを受けることになる。すぐに解放すれば今回の無礼を無かったことにするよう婆から当主に進言してやろう」

 命乞いなのであろう。藍はどんな形であれ、瑠璃姫に生きていて欲しいらしい。

「婆殿が瑠璃姫に拘る理由は分かります。貴女は彼女の世話役だった。でも、結局のところ貴女方はいつかノコを殺すでしょう」

 ――この二人には今日、ここで死んでいただく。自らの首一つでノコの命が守れるのならば安いものだ。

 強い意志を秘めた水色。それが雨下石(しずくいし) 浅葱(あさぎ)の本質だ。

「ねぇ、藍。この桜の結界、破れそうよ」

「なんと!」

「試してみますか?」

 妖刀の結界である。術式の結界ではないから、術式で破ることは不可能であるはずだ。

 瑠璃姫が利き腕を一本の桜の木の幹に添える。瞳がぼぉ(・・)と光って、まるで青い炎が揺れているようである。

「空蝉の、世にもにたるか花さくら。咲くと見しまにかつ散りにけり」(※1)

 古今和歌集。詠み人しらずの一節が桜の園に響き渡る。

「残りなく、散るぞめてたきさくら花。ありて世中はてのうければ」(※2)

 こちらもまた詠み人しらずの和歌の一節。瑠璃姫の声は言霊(ことだま)となって、くるくると木々の間を飛び回ってゆく。

 すると風も無いのに桜の花びらが一つ、二つと散り始め、ついには桜吹雪となって三人に降り注いでゆくのだった。

「おお!」

 老人が瑠璃姫の力に思わず感嘆の息を漏らす。

 そして薄桃色の最後の光が散ったとき、瑠璃姫は重い咳を一つした。

 浅葱の刃が彼女の胸を貫いている。

「なに……これは」

 視界の隅では藍婆が倒れていた。多分、死んでいる。

 桜吹雪に紛れて浅葱が斬り殺したのだ。

「確かに貴女は強い。否、強すぎた。だから油断をしましたね」

 結界を破るのに夢中になって、危険な男が目の前にいることを一瞬忘れた。

 その刹那(せつな)を見逃す浅葱ではない。

 生まれたときから強く、敗北を知らない。瑠璃姫は外の世界を知らずに育った。強敵と(まみ)える機会すら与えられない環境は、彼女に残心(ざんしん)という経験を学ばせなかったのだ。

「やはり貴女は憐れな人だった……」

 刀が引き抜かれると、美しい瑠璃色の髪を僅かに(なび)かせながら、彼女はゆっくりと(たお)れた。

 何かを云おうとして果たせず、吐血してから動かなくなった。

「まさか妖刀の結界を内側から破れる者がいるとはね。私も流石(さすが)に驚いたよ」

 瑠璃姫の(まぶた)を閉じながら、浅葱は彼女の(まれ)なる能力(チカラ)に敬意を送った。



 浅草、凌雲閣(りょううんかく)。この12階建てのモダンな展望塔に伯爵とソルト・アン、久遠(くおん) 獅子丸(ししまる)の姿があった。

 最上階の眺望室で、三人は雨下石家で起きた些細(ささい)な私闘を見守っていたのだ。

「瑠璃姫、やられたね」

 ソルト・アンの一言は無愛想な表情に相応しく、感情無く淡々として空気を伝った。

「そうですね。彼女、もっと出来る子だと思ったんですけど、相手が雨下石 浅葱では仕方がないかもしれません。でもまぁ、役目は果たしたといえるかも」

 浅葱は二人を殺した罪で処刑されるだろう。

 妖刀を使って身内の者を斬ったのだ。それも斬ってはならない瑠璃姫を。そこは特に厳しい家風でもある。

「まるで師匠を知っているような口振りだな」

 獅子丸が問う。

「ふふふ。私が以前この国に来たとき、私を追い返したのがあの男なのだよ」

 伯爵は愉快そうにステッキを鳴らした。

「どうでもいいけど、お前らよくこの距離から屋敷の中が見えるな」

 いくら望遠鏡を覗き込んでも、獅子丸には雨下石家の中を覗き見ることは出来ないのだった。
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