第6話「猫騙し」

文字数 4,741文字

 シャンデリアが緩く居間を照らす灯りの中に、鍋島(なべしま) 小夜子(さよこ)の可憐な姿があった。

 洒落(しゃれ)たエプロンドレスを着て、ティーカップを(かたむ)けて、少し不機嫌。

 昨日までは特別な「内緒」が手に入って、ご機嫌だった。

 あの(まと)わり付くような倦怠(けんたい)何処(どこ)かへ行ってしまって、(かえ)って退屈という存在の面影を少しだけ懐かしく思ってしまうほどには幸せだった。

 それなのに、今日はもう憂鬱(ゆううつ)

 幸福なんて長くは続かないことを小夜子は知っていたが、それでもあと一日くらいは気分の良い自分でいたかった。

 神様は本当に意地悪だと思う。

 テエブルの上に置かれた沢山(たくさん)のナイフが、落胆(らくたん)の原因であった。

 溜め息が一つ、穏やかな午後の気だるい空気に溶けてゆく。

 人を傷付けるための凶器というものを小夜子は好かない。嫌悪さえ、する。

 憧れていた雨下石(しずくいし) 桜子(さくらこ)からそんな物騒なものが大量に見つかったことは衝撃だったし、許せなかった。裏切られた気さえして、訳も無く悔しい。

「私はあなた達が思っているよりもずっとずっと、繊細で壊れやすいの。今回のことがとてもショックで、どうしたら良いのか分からないのです」

 小夜子は部屋中に転がる沢山の猫の縫いぐるみたちに話しかけていた。

「あなた達なら、心が裂けるほどの私の悲しみを分かってくれますわよね?」

 小夜子は椅子(いす)から離れると、縫いぐるみの一つ一つにナイフを刺して(まわ)った。ちょうど心臓の位置だ。

「痛いでしょう? 苦しいわよね? 私も同じ。でも友達って、痛みさえ分け合うものじゃない?」

 丁寧に、慎重に、小夜子はナイフを一本ずつ縫いぐるみの中に深く深く沈めてゆく。

 そんな動作をナイフの数だけ繰り返すと、部屋は(しかばね)だらけになってしまった。すると不思議なもので、小夜子の気持ちは随分(ずいぶん)と軽くなるのだった。

 それはきっと、痛みを分け合ったせいなのだと思って、友情とはなんて美しいものだと思わずにはいられない。

「友達って、やっぱり良いものだわ」

 小夜子に笑顔が戻る。桜子とも本当の意味で友達になれたなら、どんなにか素晴らしいことだろう。

 想像するだけで居ても立ってもいられなくなって、一本だけ残したナイフを手に取る。

 それから小夜子は隣室へと続く扉を開けた。

 隣部屋は仏間(ぶつま)である。

 そこには両手足を縛られたノコギリが、物のように横たわっていた。

 顔の(そば)に置かれた吸い飲みは、水分補給が出来るように小夜子が置いたものだ。

「狸寝入りはお止めになって」

 小夜子の声にノコギリは目を開けた。表情からは疲労の色が読み取れる。

 べつに狸寝入りをしていたわけではない。自身を絶えず浅い睡眠状態に置くことで、体力の消耗を極力避けているのだ。

 小夜子が運んできたものは水さえ口にするのは危険だし、熟睡など持っての(ほか)である。この状態であれば、何も口にしなくても(かろ)うじて三日は健康な状態を保つことが出来るのだ。

 人の気配を感じ取ることも可能なので、寝首をかかれることもない。

 雨下石家に伝わる人体と精神の制御術の一つ。『夢鏡(ゆめかがみ)(うつつ)(きわ)』。

 本来は待ち伏せや伏兵(ふくへい)、敵地で内部工作の後に身を隠す必要が(しょう)じたときに使うものだが、今回のような窮地にも有効だ。

 結果殺されるとしても、ノコギリは最後の最後まで(したた)かに反撃の機会を(うかが)っているのである。

「私ね、ずっと考えておりましたの。どうして桜子さんに私の術が効かなかったのか」

 持っていたナイフで、小夜子が桜子の白い二の腕に(あか)い線を引く。

「それは貴女(あなた)の本当の名前が別に()るから」

 なぜ偽名を使っているのか。尋常ではない数のナイフを所有していたのか。小夜子には見当もつかないが、桜子と友達になるためには本当の名前を知る必要がある。

 小夜子の魅了の呪術には手順が必要だ。

 先ず、四つ葉のクローバーを対象者に見せること。

 四つ葉のクローバーが見つかる確立は十万分の一。

 本来は黒魔術に使用する呪草であり、見つけた本人が他人に見せることで、見せた相手から幸せを奪うことが出来る。

 次に眼帯を外して、左目のアパタイトと対象者の視線を合わせなければならない。

 アパタイトは「(あざむ)く・(まど)わす」という意味を持つ天然石だが、色鮮やかで透明度の高いものは宝石として加工される。その中でもごく(まれ)に猫の目のような光の筋が見られるものがあり、その石はアパタイト・キャッツアイと呼ばれ重宝(ちょうほう)されるのだ。

 小夜子の持つアパタイト・キャッツアイは希少(きしょう)な黄金色で、魔眼(イビル・アイ)としての力を秘めたものである。

 呪草と魔眼で対象者の心を奪うのだが、その際には相手の名前を呼ぶことと、「魅せる」という単語を声に載せるという言葉の条件も必要とされる。

 呪物と言葉、それぞれ二つずつ。計四つの条件をクリアしなければならない。

 それが『小夜子の魅了の呪術』の仕掛けだ。

 条件は満たしていたはずなのに、術は失敗した。四つの条件のうち、唯一名前だけが小夜子のどうにも出来ない部分である。

 家の外では「桜子」と別名を名乗っているノコギリだからこそ、術を回避できたのだ。名で縛る(しゅ)は彼女に一切(いっさい)の効果が無い。

 しかし呪術の残滓(ざんし)のせいで体の自由が数分間奪われてしまい、結局は縛り上げられる結果となってしまった。それでも、精神を持っていかれずに済んだのは大きい。

「迷子の迷子の桜子さん。貴女の本当の名前は何ですか?」

 弾んだ声で小夜子が問う。もちろん素直に教えてくれるはずもないのだが、桜子に構うのが楽しくて仕方ないといったふうだ。

「縄を(ほど)いてくださらない?」

「解いたら貴女の本当の名前を教えてくれますか?」

 笑顔で小夜子は桜子の二の腕に二本目の紅を引いた。

「どうしてそんなに私の名前に(こだわ)るのです」

「名前とは魂のカタチ、生と死の幻想に不可欠なもの。それに友達同士って、本当の名前で呼び合うものでしょう?」

 (あい)も変わらず小夜子の紡ぐ言葉は抽象や観念が入り乱れていて、ノコギリには理解できない。また、小夜子の友達になったつもりも無かった。

「私の中って、とても(から)っぽなの。魂が何処にも見当たらないのよ」

「何を言って――」

「生きていることと、死んでいることに一体どれだけの差があるというのかしら?」

 差というよりも、生と死は対極に位置するものではないのか。

 小夜子が真剣に口にする言葉の意味は、おそらく誰にも通じないだろう。

聡明(そうめい)な貴女なら、魂が人の何処にあるのか知っているのでしょう?」

 魂の()()など、普段から誰も意識していないものだ。また、明確に説明できるものでもない。

「何を聞かれようとも、アナタに教えることなど何一つありません!」

 あからさまな拒絶を突きつけて、ノコギリは黙した。

 目の前の少女が呪術の(たぐい)を使うのは分かったが、本人は(すで)に壊れているとしか思えない。

 小夜子は例の(ごと)(しば)ぼうっ(・・・)としていたかと思うと、突然立ち上がって仏間から出て行ってしまった。

 てっきり害されるものと思っていたから、ノコギリは取り()えず安堵(あんど)の息をついた。

 それにしても、この家は奇妙すぎる。

 小夜子の言動は元より、ノコギリが閉じ込められているのは仏間であるから、家人(かじん)の出入りがまるで無いというのもおかしい。

 両親らしき人物も初日以来見かけないし、何より人の気配を感じない。

 二階建ての大きな洋館だというのに、まるで小夜子以外は誰も人が居ないようだ。

 突然、嫌な視線を感じてノコギリは仏壇を見上げた。猫が一匹だけ映った写真が遺影(いえい)のように飾られている。

「白猫……」

 遺影は一つだけで、他には無い。

 四角いモノクロオムの中で、猫がニャアと鳴いた。

 聞き覚えのある声に、ノコギリは慧眼(けいがん)を向けた。瞳に力を込める。



 小夜子は厨房(ちゅうぼう)に転がる包丁を握ったところだった。

「桜子さんとは、もう絶交よ!」

 絶望に瞳を(うる)ませながら廊下に飛び出すと、意味も無く足元の縫いぐるみに刃を突き立てる。

「どうして! どうして! どうして! どうして!」

 繰り返す疑問の(たび)に、縫いぐるみは形を失っていく。

 小夜子には、桜子がどうして自分を受け入れてくれないのか理解できない。

「あの()は意地悪だ! 私は友達が欲しいだけなのに!」

 呼び鈴が鳴った。

 その音は小夜子を多少冷静にさせたかもしれない。

 客人など、滅多に来ない家である。

 ()ず、警察であることを疑う。桜子の親が失踪届けを出した可能性は充分にあるし、女学院から鍋島 小夜子に辿り着くことは容易(たやす)い。

 この場合、対応するのが正解なのか? 居留守を決め込むのが正解なのか?

 (わず)かな逡巡(しゅんじゅん)の末に、小夜子は扉に手を掛けた。警察だったとしても、魔眼を使って誤魔化す方法はいくらでもあるし、やはり彼女は変化やスリルを楽しむ好奇心旺盛な少女なのだった。

 隙間から確認できた来客は、洋装の青年ただ一人。

 風に(なび)く青い髪を、小夜子は何処かで目にした記憶がある。

 ――アメンボ アイウエオ先生。

 思い出すのに時間は掛からなかった。印象的な容姿で自殺の行動心理とか語っていた、教師らしくない教師。分かるような分からないような内容であったが、小夜子にとっては興味深い話であったのを覚えている。

 あの先生なら魂の在り処、生と死の価値や意味を答えてくれるかもしれない。小夜子の中に期待の明かりが(とも)る。

 隙間越しに目が合うと「やぁ……」と挨拶めいた反応をされて、小夜子は気恥ずかしい思いで小さく頷いてみせた。

「あのう……。家庭訪問ですかしら」

 ずっと学校をサボっていた小夜子は、亜緒(あお)(いま)だにクラス担任を続けていると思っているのだ。

「違う違う。僕はそんな無意味なことをしに来たわけじゃないよ」

 亜緒の瞳の青は深く澄んで、小夜子に何時(いつ)だったか家族で行った湖を思い出させた。詳しくは思い出せないけれども、確かに行ったという記憶がある。

「君の中に横たわる、空っぽの真ん中を埋めるために来たのさ」

 小夜子は自分の胸の内側を覗かれたような気がして、目を伏せて恥らう。彼の瞳の色も、不思議だ。初めて見たときにも、同じ感想を持った。

「そういうわけだから、お邪魔するよ」

 青い影がスッと小夜子を通り過ぎて、いつの間にか玄関からホールの中へ入ろうとしていた。

 小夜子も慌てて後を追う。
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