第15話「残酷なれど美しき」

文字数 3,937文字

 亜緒(あお)は校舎から見て鬼門の方角に桃の実を置いた。

 それから窓という窓に札を貼ってゆく。

 札には漢字を崩したような文字が書かれていて、蘭丸(らんまる)にはその意味を読み取ることは出来ない。

「何故、俺を引き止めた?」

 亜緒がワザと自分を(とど)めたことには気づいていた。

 何か意味があることなら、その理由を確かめておきたい。

「皆で一緒に校舎に入る必要が無いからさ」

 飄々(ひょうひょう)とした声。だが、その一言で相方の言いたいことを理解する。

 連携である。

 長年コンビを組んできた亜緒と蘭丸ならともかく、ノコギリと月彦(つきひこ)の戦い方は予測もつかない。

 (つたな)い連携は隙を作り、其処(そこ)を突かれれば命を落すことも充分にありえる。

 加えて屋外ならともかく、屋内では多勢よりも一人のほうが(かえ)って動き易いものだ。

「今頃はノン子と月彦も校舎内で別行動を取っているはずだよ」

 そもそも一人一人が妖退治のエキスパートなのである。

 一人で妖と渡り合うことが出来なければ、今日にでも死んでしまったほうがいい。

 彼らが身を置くのは、そういう世界なのだ。

「ノン子は鬼に引けを取るほど弱くない。月彦に至っては、まず()られることがない」

「どういうことだ?」

 ノコギリの兄である亜緒が言うのだから、彼女の実力は本物なのだろう。

 何といっても雨下石(しずくいし)家の娘である。

 しかし、月彦は分からない。

 妖刀を持っているからといって、絶対に勝てるわけではないのだ。

 現に蘭丸は死んだ妖刀使いを一人知っている。

「もしかして『月下美人』の能力を知っているのか?」

 亜緒の言い方は、そんなふうにも取れる。

「いんや。ただ、月彦は自分の刀の能力を他人に見せたくないんじゃないかと思ってね」

 話が()れる。この青年は昔から肝心なことは表に出さないのだ。

 世にある五振りの妖刀には、それぞれに異なる能力が宿っている。

「『電光石火』と『月下美人』は同じ妖刀でも違うということさ」

 淡々とした物言いで、亜緒は札を貼った校舎の窓に今度は無色透明の液体を一振り掛けた。

「何だこの匂いは」

 思わず蘭丸は高く形の整った鼻を押さえた。それでもツンとしたキツイ匂いが鼻腔(びこう)を刺す。

「気付けの一種だ。鬼は刺激臭を嫌うからね」

 後は裏鬼門に(ひいらぎ)の葉を置けば結界は完成する。

「僕らは校舎の表と裏から別々に入る。上手くいけば逃げる鬼を挟み撃ちに出来るかもしれない」

 蘭丸は亜緒が作戦らしきものを考えていたことが意外だった。

 いつものように出たとこ勝負なのだと思っていたのだ。

 それほど今回の敵は一筋縄では行かないということなのかもしれない。

 札を貼り終えると、亜緒は蘭丸のほうを向いた。

 いつもの(とぼ)けた感じが消えて、凛とした厳しさに引き締まっている。

「蘭丸、今回ばかりは人を斬る覚悟で挑め!」

 声音からも強い意思が感じられた。

「校舎の中に居る生徒は一方が鬼、もう一方が人だ。二分の一の確率なんだ。見かけた生徒は問答無用で斬ってしまえ!」

「オマエらしくないことを言う……」

 それでも蘭丸は人の方は助けたい。否、斬りたくない。

「蘭丸、君は死ぬにはまだ早すぎる」

「珍しく心配性だな。俺の腕は買ってくれているものと思っていたがな」

「買っているさ……。だから君を失いたくないんだ」

 ささめくような亜緒の言葉は、蘭丸に届く前に薄闇の中へと転がって消えた。

「結界は張り終わったようだな。俺は表から入るから、オマエは裏から行け」

 亜緒は静かな瞳で黒い着流しを着た色白の相方を見送った。

 容易く信念を曲げるような男でないことは分かっている。

 それでも尚、言わずにはいられなかった。

 亜緒は裏鬼門に柊の枝葉を置くと裏口から校舎の中へと入った。



 二階の教室では鋭い金属音が響いていた。

 『月下美人』の(みね)と、誄の長く伸びた鋭い爪が交わって耳障りな音を立てている。

 月彦が小山内(おさない) (るい)の心を斬ると、彼女の様子は変わった。激変といっても良い。

 耳まで裂けた口には牙。釣り上がった目尻。

 そして頭からは一本のツノが禍々(まがまが)しく存在を主張しながら伸びている。

 もう小山内 誄の没個性な個性など残っていない。

 月彦の目の前に居るのは、紛れも無い鬼であった。

「よくも私に醜いカタチ(・・・)というものを与えてくれたな!」

 鬼は月彦に呪いの言葉を投げつけながら、狂気の爪を振り回す。

「気が合いますね。ボクも美しいものにはカタチが無いと思っているクチでして」

 思い出、夢、そして音楽。どれも月彦が美しいと想い焦がれるものたちだ。

 だから(おぬ)が気に入らなかった。だから形を与えた。

 正直、月彦に口を開く余裕は無い。

 それほど形勢は彼に不利だ。

 素早い動きと怪力は月彦の斬撃を避け、そして圧倒する。

 身に迫ってくる爪は、まるで十本の鋭い刃だ。

 吹き荒れる狂気と殺意の嵐を月彦は刀の峰で受け、無駄の無い身のこなしで(かわ)し続ける。

 双方共に隙は無いが、攻める者と護る者。この立場の違いは、いずれ決する勝敗の行方に繋がっていた。

 刀を深く斬り込ませることが出来れば、鬼の魂を滅することが出来る。

 もしかしたら、誄を人に戻すことも可能かもしれない。

 本来、『月下美人』は鬼のような憑き物相手には最も相性が良い妖刀だ。

 しかし、斬撃が当たらないのではどうすることも出来ない。

 月彦は剣術に()けた男ではないが、何処かの流派を極めていたとしても状況は何も変わらなかっただろう。

 それほどまでに圧倒的な戦闘力の差は、そのまま人と鬼の差でもあった。

 鬼退治が伝説になるはずである。月彦はその困難を五感の全てを使って噛み締めていた。

 重いのだ。

 空気が、視線が、声が、力が、動きが、存在感そのものが重く全身に纏わり付いてくる。

 鬼と相見(あいまみ)えるということは、自身の死と向き合うことなのだ。

 ついと鬼の気配が消えた。

 さっきまでの嵐が嘘のように、教室内が静寂で満たされている。

 まるで月彦一人だけが室内に(たたず)んでいるかのようだ。

 ――逃げた? まさかね。

 逃げる理由が無い。

 この教室の何処かに必ずいる。見えないが、居る。確実に。

 気配も殺気も消して、月彦の死角から様子を窺っているはずだ。

 ――なるほど。隠れ鬼とはよく云ったものです。

 名付けた亜緒の直感的な理解に感心する。

 どうやら形勢はさらに悪く月彦に傾いているようだった。

 何時(いつ)、何処からやってくるか知れない瞬間の恐怖と戦うことになった。

 もちろん、この場から月彦自身が逃げ出すことは(もっ)ての(ほか)である。

 一つ息を吸おうとした瞬間の間だった。

 胸につかえるような違和感を感じて、その正体を確かめようと視線を落とす。

 鬼の長く伸びた鋭い爪が、深々と月彦の心臓を貫いて背中から飛び出ていた。

「先のお返しじゃ」

 鬼が残虐な笑みとともに勝ち誇った。

 月彦は二歩ほどよろめいた後、刀を鬼に向けて薙いだ。

 鬼は素早く月彦から離れたが、着地に失敗して倒れた。

「油断、しましたね……」

 月彦の言葉に鬼が(わら)う。しかし、立ち上がることが出来ない。

「勘違いしないでください。油断したのは貴女でボクじゃない」

 何事も無かったように、月彦は営業スマイルのような笑みを浮かべて立っている。

 貫かれた胸からは血も出ていない。

「お前は何故……生きている?」

 手応えはあった。確かに致命傷だったはずだ。

 鬼は床に伏したまま孔雀緑(くじゃくみどり)の着流しを着た青年を見上げた。

 驚きで細い目が見開かれている。

「元々死んでいる者を殺そうなんて、無理な話ってことです」

 『月下美人』の刀身がぼうと(あお)く輝くと、月彦の傷が塞がってゆく。

「どうやらボクは百年以上も前に死んでいるみたいなんですよ」

 鬼は懸命に立ち上がろうとするが、足が言うことをきかない。

 月彦の刀を多少なりとも受けてしまったようだ。

「どうして死んだのかも分かりませんし、死ぬ前の記憶もありません。でも笑顔で死んだらしいから、きっと満足して亡くなったのでしょう」

 笑顔は月彦のデスマスクなのだ。死んだときの表情がそのまま張り付いている。

「分かっているのは自分が死人であることと、『月下美人』がボクを生きているように見せているらしいということだけです」

 『月下美人』の能力は二つ。

 一つは形無き観念を斬ること。もう一つは死人を所有者に選び、仮初めの命を与えること。

 そして『月下美人』の所有者になった者が、「霞 月彦」の名を襲名するのだ。

「本当に美しくて残酷な姫なんですよ。この刀……」

 だからこそ彼は命を、生命を嫌う。死ぬことが出来ない故に、羨望を込めて嫌悪する。

 月彦は無表情と変わらない笑顔で刀を鞘へと収めた。
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