第20話「雪月花」

文字数 4,287文字

 やはり商店街は店と()う店が閉まっており、閑散としていた。分かっていたことだが、屋台の一つも見当たらない。今思えば、(てい)よく追い出された感がある。

 彩子(さいこ)は独りになりたかったのかもしれない。

 見廻り組の全滅と、宮司(ぐうじ)巫女(みこ)(まも)れなかった不甲斐(ふがい)なさ。蘭丸には「気にするな」と言っておきながら、妖刀使いとしての矜持(きょうじ)が彼女を責め立てているのだ。

 雨下石(しずくいし) 浅葱(あさぎ)



 彼なら彩子の泣き言、悔しさを包んであげられるのだろう。

 二人の関係は蘭丸(らんまる)が思っている以上に長く、深い。妖刀使い同士、理解できる部分も多いのかもしれない。

 彩子から見れば、蘭丸はまだまだ子供なのだ。なんにしても、蘭丸では愚痴の聞き手にすらなれない。弟子に弱音を吐く師匠というのも世に存在しないだろうが、自分自身の無力さを思い知る蘭丸であった。

 見上げれば、また雪でも降ってきそうな空だ。どんよりと重く、圧し掛かってきそうな雲の天井。

 溜め息を一つ吐き出すと、蘭丸は来た道を引き返す。雪を踏みつける硬い音を聞きながら、また足に伝わる感触を味わいながら、ゆっくりと歩く。なるべく帰りは遅いほうが良いに違いない。

 時折(ときおり)、吹き抜けてゆく風の冷たい(とげ)が、蘭丸に春の訪れの遠いことを教えて去ってゆく。

 誰も居ない商店街はいつも賑やかなぶん、静寂が際立って蘭丸を独りにさせるのだった。

 雪ではしゃぐ子供達の声を遠くに聞きながら、蘭丸は引きずり始めた足を止めた。

 誰かが楽器を弾く音が聴こえるのだ。それ自体、何ら妙なことでは無いのだが、不思議と耳に絡みつく音色である。

 ――ヴァイオリンの音? とは少し違うようだ。

「ふむ……」

 短い思案の末、蘭丸は静かな歩みを曲に合わせながら音を辿ることにした。暇潰しである。

 辿り着いた先は空き地のような場所。誰も寄り付かないのか、足跡一つ無い()(さら)の雪が積もったままだ。

 一本の梅の木に、僅かながら白い花が狂い咲いている。

 その木に寄り添うように、弦楽器に弓を当てている少女が一人。袴姿の典型的な女学生だ。

 蘭丸は(しばら)く演奏を聴いてみることにした。

 もちろん、何を弾いているのか曲名までは分からない。おそらくはクラシックの曲なのだろうと漠然と感じるだけである。彼が音楽と云うものを真面目に聴くのは今、この瞬間が初めてかもしれない。

 演奏が終わると、少女はペコリと軽い会釈(えしゃく)をした。蘭丸はその仕草につられて形ばかりの拍手で応える。

「聴いてくれて、ありがとう」

 透き通るような、良く通る声だった。

「練習すれば、もっと綺麗なヴァイオリンの音が出せるようになるんじゃないかな。俺の経験で僭越(せんえつ)なのだが、努力は君を裏切らないだろうから」

 少女は笑顔を曇らせると、ドシドシと雪を踏みつけながら蘭丸の傍まで近づいて来た。どうやら蘭丸の言葉に、何やら気に入らないところを見つけたらしい。

貴方(あなた)……名前は?」

(みぎわ)……蘭丸(らんまる)

 少女の勢いに気圧(けお)されて、思わず本名を名乗ってしまう。

「あのね。この楽器はヴィオラって云うの。ヴァイオリンでなくてヴィオラ!」

「びぃ……おら?」

 ()頓狂(とんきょう)な調子で繰り返す。

 蘭丸は少女が持つ楽器の名前を初めて知った。元々音楽には関心を持たない男である。

「だからヴァイオリンと同じ音は出なくて当たり前なの!」

「そうか。これは失礼した」

 謝罪するものの、蘭丸にはどちらも形状の似た楽器なのだから変わらないだろうという程度の認識だ。

 突然、蘭丸の頭の上にフワリと(てのひら)が置かれるように、雪玉が載った。

「まさか当たるとは思わなかった。もしかして、期待外れだったかな」

 声の方向には孔雀(くじゃく)(みどり)の着物を(まと)った青年が一人、雪の中に(たたず)む。

 いつから居たのか、まるで気配を感じなかった。

 蘭丸は頭の上の雪を払いながら、青年を(にら)んだ。腰に刀を差しているから只者(ただもの)でないのは分かる。しかし、妙であった。それほどの手練(てだ)れには見えない。巫山戯(ふざけ)ているほどに隙だらけなのである。

 もしかしたら、蘭丸が今までに出会った剣客の中で一番弱いかもしれない。(いや)、弱く見える。

 ――「いいか蘭丸、強いやつほど自分の実力を隠すのに()けている。第一印象に惑わされるな」

 彩子の言葉が蘭丸の頭の中を回った。油断は常に大敵だ。

「彼女はバッハの無伴奏パルティータを五度下げて弾いているんですよ。本来はヴァイオリンの曲ですが、ヴィオラの独奏曲なんて無いですからね」

 剣は弱そうだが、音楽の知識には強いようだ。

「ではヴァイオリンで弾けば良い」

 蘭丸の反応は味も()()も無い。

「これがヴィオリストの練習なんですよ。ヴァイオリンの曲をヴィオラで弾くには音を五度下げる必要があるんです」

 まるで異次元の話を、弱そうな剣客は語り続ける。

「シューマンの『おとぎの絵本』も半分はピアノが主役みたいなものですが、ヴィオラはオーケストラのバランスを取るのにとても重要な楽器なんですよ」

 うんうんと得意気な表情で頷く少女。まるで二対一で蘭丸が責められているようだ。

「貴方は?」

「ボクは(かすみ) 月彦(つきひこ)。彼女のファンです」

 茶色い髪。整った顔立ちには、絶えず涼やかな笑顔が張り付いている。が、浅葱の自然な笑みに比べて彼の笑顔は不自然だった。まるで無理に作っているような得体の知れなさがある。

 浅葱の笑顔は穏やかさの奥に剣客特有の殺気を秘めているが、月彦からは殺気どころか(けん)というものを全く感じない。

 月彦の笑顔は、例えるならば出来の悪い贋作(がんさく)のようだ。

「人間の方に演奏を聴いてもらえるなんて、今日は素晴らしい日になりました」

「一応、ボクも人のつもりなんですけどねぇ」

 二人の会話に蘭丸は違和感を覚えた。

 目の前の少女と青年は、(みずか)らを「人では無い」と言っているかのようだ。しかし、(あやかし)にも見えない。

「ふむ……」

 まぁ、人であれ、妖であれ、他人に危害を加えなければ、蘭丸は好んで刀を抜くことも無い。それだけの話だ。

「いつか。いつの日か私のヴィオラを聴いてくれた人から花束を貰うのが夢なんです」

 少女は語る。瞳を輝かせながら、まだ見ぬ未来の光景を。

「素敵な夢ですね」

 二人の会話についてゆけない。どうやら今日の蘭丸は疎外感に付き纏われる日らしい。

「蘭丸くんも剣だけでなく、たまには芸術というものに触れてみては如何(いかが)ですか?」

「芸術とやらで妖が斬れれば苦労はない」

 蘭丸がぶっきら棒に言い放つと、二人は何やら内緒話を始めた。蘭丸の耳には入ってこないが、彼の無粋なところを(あげつら)っているのに違いない。

「ふんっ!」

 蘭丸が鼻息荒く場を立ち去ろうとすると、雪玉が再びフワリと頭の上に載っかる。

「彼女の演奏には、まだ続きがあるみたいですよ? 折角(せっかく)だし、聴いていきなさい」

 フッと軽く笑うと蘭丸は(かが)んで雪を握り込み、月彦に向かって投げつけた。

「くの! くの! くの!」

 掴んでは投げ、掴んでは投げの繰り返し。大人気無(おとなげな)いにも程があるほどに本気である。しかし、月彦はその冷たい塊をひらりひらり(・・・・・・)と華麗に避けて見せるのだった。

「そんな乱れた心ではボクに雪玉を当てることは叶いませんよ?」

「うるさい! 大体、何故お前は俺が剣術の心得があることを知っている!」

 名は少女に名乗ったのを聞かれていたとしても、刀は外套(コート)で隠れている。蘭丸が帯刀者だと知るすべは無いはずなのだ。

()いて言えば、歩き方でしょうか。貴方、ボクの知っている達人と足運びが似ているんです」

 無駄がなく静かで、隙が無い。見る人が見れば、蘭丸は自分が只者ではないことを公言しながら歩いているようなものだ。

「貴方は何者だ?」

 蘭丸は手を止めて、雪玉の代わりに二度目の同じ質問を(とう)じた。今度は声に重さが乗っている。

「ボクは只の音楽好きのお兄さんです」

 嘘だ。と思ったが、重ねて追求する気にもなれない。蘭丸は白い溜め息をついた。目の前の青年が自ら素性を語ることは無さそうだ。

「本当に美しいモノは決して人の目には映らないものです。夢や想い、憧れ……音楽もまた(しか)り」

 そうは思いませんか? 月彦の問いに蘭丸は沈黙で答えた。彼は「美しい」という情を感じたことが無いから、返答のしようが無かったのだ。

 そして、積もりそうな沈黙を吹き飛ばしたのは少女の声だった。

 彼女のほうを見ると、笑顔からコロコロとした小さな笑いがいくつも転がり落ちて、辺りの雪を滑ってゆくところだった。

「どうやら貴方は彼女に気に入られたようですね」

「俺には君の言うことがさっきから理解できない」

 少女の仕草も、単に男二人の子供じみたやり取りを笑っているとしか思えない。だが、おかげで頭が冷えた。

 今は行き場が無いし、蘭丸は少女の演奏を(しばらく)く聴いてみることに決めた。曲名は分からずとも、当てもなく町を彷徨(さまよ)うよりかは幾分(いくぶん)有意義なはずだし、何かを美しいと思う気持ちに僅かばかりの興味もあった。

 蘭丸には趣味というものが無い。勉学と剣の修行、それと渚家の家事で一日が終わる。そんな生活に不満は無い。彩子は強さに加えて、人並みの暮らしというものを蘭丸に与えてくれた。彼女に報いる理由は充分すぎるほどに()る。

 だから本当に只の気紛(きまぐ)れの、(たわむ)れの、所在無き観客に過ぎなかった。
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