第19話「雪模様」

文字数 4,153文字

 ――雪が降った。

 元旦の夜から降り始めた()れは、明けた二日の朝には辺りを白銀に染めあげた。

 東京市《東京都となるのは戦後、昭和十八年から》内で三十センチを超えて積もるのは珍しい。

 不思議なもので、雪が積もると晴れよりもこの世界の昼は明るく輝く。

 吸収された光が雪の中を循環して、より白く輝くためだ。

 蘭丸は寒さで白んだ息を吐きながら、(しばら)く庭に広がった鈍い光を眺めていたが、彩子の「寒い」の一言で窓を閉めた。

 結局、見廻(みまわ)り組は彩子と蘭丸を残して全滅。

 当日、神社に居た宮司(ぐうじ)、巫女らも行方不明。神社は警察に封鎖されて、初詣どころではなくなった。

 彩子が言うには、どうやら闇子(やみこ)の仕業らしい。もっとも、彩子自身も雨下石(しずくいし)家の御曹司(おんぞうし)から聞いた話ということで、直接闇子と対峙したわけではないのだが。

「気にするな蘭丸。見廻り組は怪異と(まみ)えるのが仕事だ。皆、こんな日が来ることは承知で参加しているんだ」

 彩子は火鉢の炭で煙草に火を付けながら、早く食事の支度(したく)をしてくれと蘭丸を急がせるのだった。

 熱のこもっていない言動や、つまらなそうに煙草を吸う仕草もいつもと変わらない。しかし何処(どこ)かしら元気無く映るのは、幼馴染みの小田切(おだぎり) 秋津(あきつ)の死と見廻り組の全滅に責任を感じているからなのかもしれない。

 なんといっても彩子は妖刀使いだ。群を抜いた実力者であり、あの場で皆の命を救えたかもしれない唯一の人物であったのだから。

「今日も冷えるな……」

 彩子は誰とも無しに呟いた。

 暫くして蘭丸が雑煮(ぞうに)の碗を二つ、盆に載せて戻ってきた。

「うん? また雑煮か?」

「温まりますよ」

「確かにそうだが、そろそろ違うものが食べたいな」

 彩子は碗に(はし)を突っ込むと、ズルズルと伸びた餅を味気なく頬張った。不味(まず)いわけではないのだが、昨夜と今朝に続いて昼も雑煮ではサスガに飽きてくる。

「明日いっぱいまで雑煮の予定ですからね」

 御節(おせち)は元日に食べ終えてしまった。店が開くのは三が日明けだから、雑煮くらいしか出来るものがないのだ。

「おいおい。相変わらず、お前の冗談は出来が悪いな。味噌汁と香の物だけでいいから夕餉(ゆうげ)は飯を炊いてくれ」

「駄目です」

 蘭丸は雑煮を食べながら素っ気ない返事をした。器用である。

「何故だ?」

「ウチには餅がたくさん余っているからです」

 蘭丸が餅の入った大袋を指差す。

「なるべくカビが生えないうちに食べきってしまいたい」

「蘭丸、今日ほどお前に落胆したことは無いぞ。どうして餅ばかりそんなに買ったんだ。私はお前をそんな計画性の無い男に育てた覚えは無い」

「俺は餅を一つも買ってません。これは全部、近所からの有り難い頂き物です」

 餅を()く家からお裾分(すそわ)けを貰うのは毎年のことなのだが、去年の年末はいつにも増して量が多かった。

 断るわけにもいかず、お返しにスルメや魚の干物などを渡したのだ。おかげで彩子の酒の(さかな)が無くなってしまった。

「なんということを……蘭丸、恐ろしい子!」

 彩子が白目を()いて大袈裟(おおげさ)によろめいて見せた。

「なんと言われようとも、この餅の量は師匠の人徳の重さなのです。文句なら御自身の日頃の行いに言ってください」

 彩子は近所付き合いが無いわりに、皆から慕われている。それは彼女がちょくちょく町を廻っては妖を斬っているからであって、おかげでこの地区の妖事件は極端に少ない。

 どうやら近所の皆はその事実を知ってるようで、時折お裾分けを(みぎわ)家へと持って来てくれるのだ。

「つまり全部私が悪いというのか。明日も雑煮なのも、晩酌がお銚子(ちょうし)二本までなのも、全て私の自業自得だというのかね」

「いや、そこまでは言っていないでしょう」

「言ったじゃないか。少し綺麗な顔をしているからといって図に乗りおって。言っておくが、お前よりも私のほうがずっとずっとイイ女だからな!」

 蘭丸は少し驚いて後ずさった。彩子が子供のような屁理屈を口にするのは珍しい。いや、初めてのことだろう。

「あー、もう分かりました。商店街を見てきます。新年早々開いている酔狂(すいきょう)な店があるかもしれません」

「よく言った蘭丸。さすが私の弟子だ。渚家の食事情はお前にかかっている。朗報を期待しているぞ!」

 こうして蘭丸は雪の中、不毛な買出しへと出掛けるために外出の支度(したく)を始めた。防寒のための外套(コート)とマフラー、足元にはブーツを履く。和服にブーツは大正時代の流行の一つであるが、蘭丸はもちろん単純に雪道対策のためだ。

 玄関を出たところで、突然飛んできた銀の刃を紙一重で避ける。凶刃(きょうじん)は乾いた音を立てて扉の木枠に突き刺さった。

「お見事! よく避けた!」

 嬉しそうな声が冷たい空気を伝って響く。こんな物騒な新年の挨拶をするのは蘭丸の知る限り、一人しかいない。

浅葱(あさぎ)殿、こういう日は普通、雪玉を投げるものです」

「それでは面白くないだろう? それにナイフのほうが美しい」

 相変わらず気配も無く、雨下石 浅葱は氷のような透明感を持って其処(そこ)に居た。まるで雪景色の中に溶け込んでいるような水色の青年に、反省の色は無い。

「今日は雪が積もったからね。私は雪を見るのが好きなんだ」

 雪見の散歩がてら、渚家にまで足を伸ばしてしまったらしい。

 浅葱は普段、村雨(むらさめ)を腰に差している。彼は大抵の(あやかし)を妖刀も使わず、容易(ようい)に斬り伏せてしまう。

 妖刀の所有者でありながら、妖刀を持ち歩かない妖刀使いというのも珍しい。

「この雪では難儀(なんぎ)しているだろうと思ってね。今、人形たちに雪()きをさせているところだ」

 よく見れば、玄関から往来(おうらい)までの雪が綺麗に避けてある。庭では四体の女人形(にょにんぎょう)たちが、積もった雪を端へと片付けていた。その様子は、まるで雪だるまでも作っているようで微笑ましい。

 それにしても、相変わらず人にしか見えない人形たちだ。

「東京市は雪に弱い。自分の家の門前の雪掻きくらいはやりたまえ」

 蘭丸は浅葱に礼を言ってから、雪掻きを手伝おうとスコップを手に持ち庭に出た。途端に人形たちの動きが止まって、一斉(いっせい)に蘭丸を見つめる。その瞳は心なしキツイ。

「彼女たちにとって、私の言いつけは絶対なんだ。君は命令遂行の邪魔者と認識されたのだよ」

 浅葱はさも愉快そうな笑みを浮かべながら、雪に足跡を付けている。

下手(へた)をすると殺されかねないから、私の(そば)へ来たまえ」

「そういうことは最初に言ってください」

 蘭丸は慌てて浅葱の隣に立つ。女人形たちも主人に似て物騒である。

「ところで、こんな新年から何処へ行こうというのだね」

「ちょっと商店街まで」

「商店街? 今日は一月二日だよ?」

 どの店も閉まっている。それは蘭丸も承知の上だ。

「浅葱殿こそ、新年は何かと忙しい身の上でしょう。ウチに来ていて大丈夫なのですか?」

 彩子が雑煮に飽きたから。などと身内の恥ずかしい事情を話す気になれず、蘭丸は話題を逸らした。

「私はあそこ(・・・)では立場が無いからね。面倒な挨拶などは、すべて兄上にお任せなのさ」

 雨下石家では霊力が強い者ほど立場も強い。そして霊力の強弱は、髪と瞳に色濃く鮮やかな青を宿すか(いな)かで決まる。

 水色の髪と瞳を持って生まれた浅葱の地位は低いのだ。

「おかげで堅苦しい面倒事から開放されている」

 当主と血を分けた弟であっても、霊力が低ければ相手にはされないのだという。

 もしかしたら、そんな周囲に嫌気が差して、新年早々外へと足を向けたのかもしれない。

 格式のある世界というものは、それぞれの立場で厄介ごとも多くあるのだろう。

「そうだ。蘭丸くんにお年玉をやろう」

 浅葱はいそいそと着物の上から羽織った和装コートを揺らしながら、(そで)の奥を探った。

「いえ、本当にお気遣い無く」

 去年から浅葱には世話になりっぱなしの蘭丸である。お年玉など頂くのは、サスガに気が引けるのだ。

「はい。お年玉」

 浅葱の手から離れた眼球が、軽い音を立てて雪の中に埋まった。もちろん、それは人形の眼球である。

「浅葱殿……」

 場には何ともいえない(しら)けた空気が漂う。

「……ああ、正確にはお年目玉(・・)だね」

 さらに寒く、場の雰囲気が居たたまれなくなった。浅葱の笑みもぎこちなく堅い。

「浅葱殿、また来たのか。手土産(てみやげ)はあるのだろうな」

「手土産?」

「礼儀は大事だよ」

 外の声を聞きつけたのだろう。彩子が部屋着のまま顔を出した。寒そうに両腕を体の前で組んでいる。

「こんな物で良かったら」

 浅葱がさっきの眼球を彩子に握らせる。

「うわっ! なんてグロテスクなものを見せるんだ!」

 彩子が投げ返した眼球を、浅葱は軽々と受け止めてしまった。サスガに見事な反射神経だ。

「失礼だな。こんなに美しいのに」

 手に取った眼球を愉快そうに袖の中へと仕舞う。どうやらこの手の反応を期待しての行動だったようだ。

「そういえば年末の夜に、また君の弟子に会ったよ。なかなか食えない人物だな」

「ああ。奴はおよそ人の言うことを真面目に聞かない。本気で取り合うと莫迦(ばか)をみる」

「ふむ……」

 少しだけ考えたような仕草の後に、彩子は浅葱を家の中へと招いた。

 人形たちは雪だるまを作り続ける。

 蘭丸は雪景色の町へと歩き出した。
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