第6話「カナリヤ」

文字数 3,035文字

 玉響(たまゆら)神社は本来この名では無かったが、亜緒(あお)が御神体である稲荷大明神の分身に名前を付けてしまったことから、再建された際にこの名に変わった。そのほうが収まりが良いと群青(ぐんじょう)が判断したのだ。

 冬鳥の(さえず)りの中、今日は珍しい参拝客が二人、この神社を訪れていた。

 銀髪に(あか)い瞳、年齢は十五、六に見える紅藤(べにふじ)色の着物を着た少年と、もう一人は品格漂う二十歳前後の精悍(せいかん)な顔をした紋付袴の青年だ。

「また随分と小綺麗になったもんやなぁ」

雨下石(しずくいし)家が建て直しを買って出たという話ですが」

「あはは。亜緒くん家、大損やね」

 まるで他人事のように失笑しつつ、二人は手水舎(ちょうずや)で身を清めてから拝殿(はいでん)の前に立つ。

 少年は(ふところ)から拾圓(じゅうえん)札(約六千円)を取り出して賽銭箱に投げ入れた。青年も同じ額を投げ込む。

 頭を深く下げてから拍手(かしわで)を二回鳴らし、また頭を深く下げる。

「前は迷惑かけたなぁ。ま、悪気は無いねんで?」

「あれから、まだ約半年ですよ? (むらさき)様」

「そうか? もう何年も経ってる気ぃするなぁ」

 遠くの柱から二人の姿をジッと見ている者が居た。ゆるゆると流れる長い髪からデコを出し、眼鏡の奥の垂れ気味の瞳はどこか虚ろである。

 この神社の御神体、玉響様であった。

「紫様……」

 目ざとい沃夜(よくや)が耳打ちすると、紫は手を振って玉響を(そば)へと呼んだ。神様に対して失礼な行為であるが、玉響は気にするでもなく近づいてきて賽銭箱の上へちょん(・・・)と乗った。

「ケチだなぁ。紅桃林(ことばやし)家当主がたった拾圓ぽっちとか」

 巫女服姿の神様は少し不満気な声を出したが、嬉しそうでもあった。自分の姿を見て会話できる者が単に珍しくて歓迎しているのかもしれない。退屈していたのだろう。

「これでも奮発してんねや。ウチらも全国行脚(あんぎゃ)でカツカツやねん」

 紫と沃夜は亜緒と別れて以来、実家である紅桃林家に帰っていない。

 そのまま姿をくらまして気ままな旅を楽しんでいた。彼らが東京へやって来たのは本当に偶然であった。

「そういえば京都は荒れちゃって大変らしいよ。毎日が百鬼夜行だって」

 相変わらず、玉響は現状をトツトツと抑揚(よくよう)の乏しい声で垂れ流す。

「そんなことより、せっかく東京まで来たんや。なんかオモロイこと、ないか?」

「んー? そういえば今東京に吸血鬼が来てるよ。それと亜緒ちゃんが次期当主の座から外されそうになってるみたい」

 紅桃林(ことばやし)家も雨下石(しずくいし)家も大変である。

「そら興味湧くなぁ。もしかして瑠璃姫(るりひめ)ちゃんも出てきてんのん?」

「もしかしなくてもね。でも、あの()は所詮予備だから……また誰かを殺そうとしているのかも」

 玉響の頭上に疑問符が浮かぶ。

「オモロイ話、おおきに」

 紫は玉響にアメちゃんを渡して去った。情報料のつもりらしい。



 東京の郊外にひっそりと佇む一軒の洋館。まるで世間から隠れるような家構えは、秘匿(ひとく)性も含めて雨下石家の所有物件だ。

 現在は伯爵とソルト・アン、そして獅子丸が共同生活を送っている仮の住まいである。

 棺桶の没収や世話役の名目で付いた妖刀使い久遠(くおん) 獅子丸(ししまる)の監視も含めて、最強の吸血鬼に課せられた制約は多い。

 この結界で雁字搦(がんじがら)めにされた洋館以外での休息を許されていないのも制約の一つだ。

 しかしながら、息の詰まるような日常を伯爵は楽しんでもいた。

 食事もつつがなく終わり、今夜も談話室で音盤(おんばん)を聴いている。

「日本の唄は物悲しいメロディーや歌詞が多いように思うね。個人的に嫌いではないが」

 今日は何処(どこ)から見つけてきたのか、「かなりや」という曲に耳を傾けている。

 この唄は昭和二十七年になって小学唱歌として取り上げられる際に、「唄を忘れたカナリヤ」と改名されることになる。

「獅子丸くん、君は雨下石家をどう思うかね?」

 曲が終わると音盤を仕舞(しま)いながら、伯爵は(あらかじ)め用意していたような口振りで質問を投げた。

「何だい伯爵、(やぶ)から棒に」

 ぼうと光る満月灯の下、獅子丸は読んでいた新聞から目を上げずに答えた。

「君は以前、雨下石家に住み込みで剣術を習っていたそうではないか。ならば、あの家の因習(いんしゅう)にも多少は明るいのだろう?」

「まぁ……狂った家だとは思うよ」

 マトモじゃない。だから獅子丸は浅葱(あさぎ)の弟子でいた頃、一度自分の中の常識と云うものを壊した。雨下石家を出てから、再び世間の常識を組み直すのに苦労したものだ。

「そうだよねぇ。青い髪と瞳の鮮やかさで発言力は元より全ての扱いが決まってしまうなんて、理不尽(りふじん)極まる」

「非常識な連中だからこそ、(あやかし)という世の怪異を前にしても動じないんだろう?」

 獅子丸は「何を今更」と口にしてからサイドテーブルに置いたコーヒーカップに薄い唇を付けた。

「では、ムンク展で出会った娘さんは随分と肩身の狭い思いをしているのだろうね」

 黒髪であるということは、あの家では最も地位が低いということになる。

「伯爵……お嬢さんには手を出すなと忠告したはずだぜ」

「幸薄そうな大和撫子を不憫(ふびん)に思っただけさ。カナリヤの唄のようにね」

 確かに雨下石家に生まれていなければ、ノコギリほどの器量良しなら今よりも幸せな人生を送っていたかもしれない。雨下石家に厄介になっているとき、獅子丸も似たようなことを考えた。

 髪と瞳の色で全てが決まってしまう世界など、異常なのだ。

 雨下石 浅葱でさえ、あれほどの腕を持ちながらもぞんざい(・・・・)な扱いを受けていたのを獅子丸は覚えている。

 黒髪の少女とマトモに接していたのは浅葱と、たまに家に帰ってくる頼りなさそうな兄だけだった。一族が(まつ)(ぬえ)とやらも、彼女と口さえ利かぬどころか目も合わせずに通り過ぎていく。

「唄を忘れたカナリヤは山に捨てられる……か。しかし象牙の船と銀の(かい)さえ与えてやれば、彼女の世界は一変するかもしれない」

「雨下石家のことは、伯爵や俺が簡単に口にして良い問題じゃねぇんだよ。放っておきな」

「君らしい答えだね。物事をシンプルに捉えて、その実真理を突いている」

 伯爵は友好的な笑みを獅子丸に向けながら手を組み替えた。

「苦い水……」

 ソルト・アンがコーヒーを口に含み、またカップの中へと戻している。

「ああ、何しやがる。もう飲めねぇじゃねぇか!」

「ははは。ソルト・アン、獅子丸くんに新しいコーヒーを淹れてやりたまえ」

 愉快そうな伯爵の笑い声が夜の厳しい寒さに小さく乗る。

 暖炉の中の薪が()ぜて、団欒(だんらん)の夜はまだ始まったばかりだった。
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