第16話「狂刃と踊る当主」

文字数 4,930文字

 いずれは戦うことになるかもしれないという予感はあった。

 その時が思いの(ほか)、早く訪れたというだけの話だ。

 相手は紅桃林(ことばやし) (むらさき)。紅桃林家の当主。間違いなく強敵だ。

 夜の真ん中に立ちながら、しかし蘭丸(らんまる)は不思議と落ち着いていた。

 懐かしい気さえする。自分よりも強い相手と命のやり取りをするのは久しぶりのことだ。

 こういうとき、自分は救われない人間なのだと改めて思い知らされる。

「蘭丸、気をつけろ。紫は妖刀使いだ」

 亜緒(あお)の声に目の前の少年が、面白く無さそうな表情で舌打ちしたように見えた。

「『客死静寂(かくしせいじゃく)』という常人の目には映らない糸状の刃を使う。ついでに、あらゆる気配を消すことも出来る」

「了解した。オマエは休んでいろ」

 ――なるほど。相方はやられっぱなしというわけでは無かったようだ。紫から奥の手を引き出すほどには善戦したらしい。

 自分が着いた時に生きているだけでも上出来だと思っていたから、蘭丸は改めて亜緒を頼もしく感じた。

 帯から『電光石火(でんこうせっか)』を鞘ごと抜くと、少し腰を落として構える。

 夜風に流れる長い髪が心なし鬱陶しい。

「蘭丸くん。闇子(やみこ)なぁ、すぐ近くにおるよ」

「それは挑発ですか?」

 だとしたら、あまりにも安い。

 蘭丸はじりじりと紫との間合いを詰め始める。

「ちゃうて。言葉通りの意味や」

 紫の話し途中で蘭丸が勢い良く地を蹴った。俊足といって良い速さだ。

 蘭丸の『電光石火』は(せん)(せん)で一撃必殺を狙う妖刀である。

 対して『客死静寂』は暗殺剣、もしくは多勢を相手に威力を発揮する。

 本来は一対一の果たし合いめいた戦いには不向きの妖刀だ。

 それが亜緒に有効だったのは、彼が妖刀攻略の決め手といえる技なり武器なりを持っていなかったからに他ならない。

 しかし、蘭丸は違う。どういうわけか『電光石火』は『客死静寂』の鋼糸を斬ることが出来る。

 当然、『客死静寂』が見えているわけだ。

 こうなると、紫にとって蘭丸は相性最悪の相手ということになる。

 一瞬ですべての鋼糸が弾け跳び、紫から離れた刃の糸は夜露に濡れて霧散した。

「出来れば、もう退()いていただきたい」

 落ち着いた声が夏の夜気(やき)に渡る。

「勝ち目の無い勝負に挑むのは愚者のすること。紅桃林の当主ならば、退くという柔軟な思考と勇気をお持ちのはず」

 殺すことなく、敵が退いてくれるように戦うのも兵法の一つだ。

「自信満々やね。確かに『客死静寂』では勝ち目は薄そうやなぁ」

 いつの間にか紫の両手に刀があった。一本は小太刀、もう一本は脇差だ。

 小太刀は通常の刀よりも短く、脇差はさらに短い。

 紫の体には二十を数える武器が隠されている。前触れ無く、どんな凶器が現れるか知れない。

「亜緒との戦いで怪我もしているのでは? 体力の消耗も――」

「蘭丸くんが本気になってくれれば、この勝負はすぐに(しま)いやろ?」

 蘭丸の言葉を遮って、退かない(むね)を伝える。

 自分を殺す覚悟で来いと言っているのだ。

 紫は自分の命に執着していない。だから他人の命を計ることもしない。否、計ろうとする気さえ無いのだ。

 蘭丸は驚愕した。紫という当主が、ここまで壊れているとは思わなかったのだ。

 これでは尋常(じんじょう)な手合わせになるはずがない。

 手負いの死兵というのは厄介だ。紫は死ぬことを恐れていないから、死兵とも云えないかもしれない。

 (はがね)がぶつかる重く冷たい音が、神社の闇に幾つも鳴いた。

 小回りが利く異なる長さの刀を器用に揺らして、蘭丸の斬撃を紫が弾いてゆく。

 本来、刀で『電光石火』の攻撃を防ぐのは無理である。

 ()ず音よりも速い刃を受けること自体が不可能であるし、偶然に防げたとしても刀ごと体まで斬られてしまう。

 紫が蘭丸の太刀筋を見極めることが出来るのは夜に光る見鬼(けんき)能力(チカラ)と、やはり蘭丸が手心を加えているせいだ。

「蘭丸、手を抜くな! 紫のヤツを斬れ! こんな者は当主とは云えない」

 (ぬえ)が叫ぶ。と、同時に体の自由を奪っていた鋼糸も解ける。

「亜緒の処まで退()がっていろ」

 蘭丸が鵺に巻き付いていた『客死静寂』を斬ったのだ。

 蘭丸は誰よりも速く人を殺すことが出来る刀と腕を持ちながら、人を斬らない。

 それこそが彼の弱さだ。

 人を斬れないのではなく、斬らない。その呪いは蘭丸の過去からやって来る。

 それは紫も知っている。だからこそ、果敢に蘭丸の間合いで戦うことが出来る。

「甘いで蘭丸くん。僕を止めるには息の根まで止めるしか手はあらへんよ?」

 殺気の在る無しで戦えば、当然殺す気で刀を振るうほうに分がある。

 一方が妖刀を持っていようと、その真理は(くつがえ)らない。

 刀と云う凶刃の使い道など、所詮は命を奪うことくらいなのだ。

 紫はそれを誰よりも熟知して戦っている。

 気持ちの温度差は、それぞれが交わす刃の熱となって現れる。紫と違って蘭丸の剣は(ぬる)いのだ。

 幾度となく放たれる『電光石火』の衝撃を、紫は巧みな体裁きと剣の角度で受け流す。

 彼の持つ刀も業物(わざもの)であるのだろうが、やはり戦い慣れしていることと、(くぐ)ってきた修羅場が半端な数ではないのだろう。

「蘭丸ー! 紫なんか殺してしまえー!」

 外野が好き勝手なことを言う。

「しっかし、肋骨折れているくせにあれだけ動けるとか、奴は本当にバケモノか」

 亜緒が呆れる。加減しているとはいえ、蘭丸の一撃一撃は相当に重いはずだ。

『肋骨なら、もう治しちゃったみたいよ~』

「は? 折れた肋骨を治す? どうやって?」

 間抜けにも玉響(たまゆら)の言葉を繰り返す。貧血で頭の中に霧がかかっているだけではない。突拍子も無い発言に否定を禁じえないのだ。

『あの糸みたいな妖刀でぇ~。さっき折れた肋骨をくっ付けてたわ~』

「外科手術まで出来るのか。あの妖刀!」

 さすがに驚きを隠せない。変則にも程がある。

 神様である玉響が言うのだから、嘘ではないのだろう。それに普段『客死静寂』は紫の体内で眠っているのだ。不可能では無いのかもしれないが……。

「紫は『客死静寂』の扱いにまだ慣れていなかったはず。そんな器用なマネが出来るものなのか」

 亜緒の声は信じられないというよりも、信じたくないという思いで不安定に騒がしかった。

『鵺ちゃんや髪の長い妖刀使いと戦って、(うま)くなっちゃったのかもねー』

 武術において、実戦ほど上達の近道は無いと云われる。それにしても……。

「成長早すぎないか?」

『才能があったんじゃない~。妖刀使いとしての』

 玉響の言葉は投げ遣りだ。そもそも妖刀使いのことなど、口の(はし)にも乗せたくないのだろう。

 妖刀が使い手を選ぶ。その噂はまんざら風聞というわけではないのかもしれない。

 ピシャリという音とともに、亜緒の胸に痺れのような痛みが残った。

「痛い!」

 鵺が増血の呪符を貼った。というよりも、叩き付けたのだ。

 何もここまで激しくしなくとも、呪符は付く。やはり亜緒の中に居る玉響の存在が不愉快なのだ。

 何やら会話をしている様子も面白くない。

「鵺、今夜は随分とご機嫌ナナメじゃないか」

 可愛らしい手形の花が、札とともに赤く残っている。

「別に鵺は何も不機嫌じゃない!」

 それだけ言うと、プイと亜緒から顔を(そむ)けてしまう。

 玉響が亜緒の中でヘラヘラと薄い笑みを浮かべている。

 そんな和やかとも云える外野とくらべて、蘭丸のほうは紫の剣に難儀(なんぎ)していた。

 生半可な攻撃では紫を止めることは出来そうにない。だからといって、本気で振り抜けば殺してしまう。

 もともと防御は苦手なうえに、紫の剣の腕が思ったより鋭いのも厄介であった。

 実年齢はどうあれ、紫の身体は十五歳の少年だ。蘭丸に比べれば体格もスタミナも劣るだろう。

 されど押している。

 幾度か攻防の刃を交えた末の一瞬の間に、紫が蘭丸目掛けて跳んだ。

 縮地(しゅくち)という瞬時に相手との間合いを詰める移動法。

 刹那、小太刀を真横に薙ぐ。身を(ひるがえ)して避けた蘭丸に、もう一方の脇差で鋭い突きを入れる。

 紅桃林流刀剣術、『霧払(きりはら)い』。

 一の太刀(たち)で斬りつけて、もう片方に持つ二の太刀で突く。時間差はあるが、早技で繰り出される二撃は(はた)から見ると線と点の近接同時攻撃だ。

 避けきれない。そう判断した蘭丸は鞘から『電光石火』を抜いて、刀身で脇差を受け流した。

流石(さすが)やね。コレを(かわ)されたんは蘭丸くんが初めてや」

 漆黒に輝く刀剣が蘭丸の手に握られている。

 亜緒は初めて目にする『電光石火』の刀身を無言で見つめていた。見覚えがある。

「まるで闇子の持つ『宵闇(よいやみ)』じゃないか」

「ペアだから……」

 (かたわ)らで感情に乏しい声が揺れた。

 闇よりも深く沈んだ長い黒髪。白磁(はくじ)のような肌。そして、形の良い小さな顔の中に浮かぶ大きな単眼。

「良い夜ね。相方さん」

 闇子は瞳に退屈そうな光をたゆたわせながら、挨拶をした。

 何故、この場に居るのか。あまりに突発的で関連性の無さに亜緒は困惑する。

 それとも、彼女の出現は必然なのだろうか。

「鵺はともかく、まさかお狐様を取り込むなんて思わなかったわ。今回は失敗かしらね」

「何が失敗なんだい?」

 大体の想像はつく。が、その言葉は独り言のようだ。

 会話を成立させようという意志が感じられない。

 独り言は続く。

「やっぱり雨下石(しずくいし)の一族は、私と何度目が合っても闇に引き擦り込むのは無理みたいね」

 まるで以前に雨下石家の誰かと遣り合ったことがあるような言い方だ。

 もちろん、そんなことは亜緒にとってどうでも良いことであるのだが。

「相方さんにとっての鵺……のようなものなのよ。私と蘭丸は」

 細い首が(かし)げられる。闇子が(わら)ったような気がした。

「まぁ、君と蘭丸の間には、それなりの関係が隠れているだろうとは思っていたけどね」

「相方さんが本当に(・・・)雨下石 群青(ぐんじょう)の息子なら、そのうち嫌でも知ることになるわ」

 (ようや)く噛み合った会話を残して、闇子を縁取る輪郭は夜の向こうに溶けて影も形も無くなった。

『亜緒ちゃん、さっきから誰と話してるの~?』

 鵺もキョトンとした表情で亜緒を見守っている。

 二人とも闇子が居たことに気づいていない。

 亜緒自身も何故闇子が現れたのか、見当すら付かないでいた。

 闇子は気まぐれである。その行動理由を考えたところで、納得いく結論に到達することは出来ないだろう。

 ただ亜緒を混乱させるために現れただけかもしれないのだ。

 それよりも気になる疑問がある。

 何故、蘭丸には『客死静寂』が見えるのか。

 亜緒が慧眼(けいがん)に意識を集中して、やっと視認することが(かな)った凶刃である。

 同じ妖刀使いだから? 

 そういうものなのだろうか。

 それとも闇子と何か関係があるのだろうか?

 だとしたら、闇子は故意に蘭丸の味方をしている?

 これも考えたところで詮無(せんな)いものだ。

 亜緒は自分の頼りない(てのひら)を、まだ赤く残っている胸の(あと)へと当てた。

 暖かい。
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