第11話「斬り札」

文字数 4,269文字

 亜緒(あお)(むらさき)が闇の中で互いを確認する。

 風に流れる青い髪と銀の髪。瞳の青と赤紫が、決して交わることの無い意思と意志を互いに交換してみせた。

 紫の周囲には(くれない)を放つ鳥のような飛行物体が複数浮遊している。

 おそらくは、亜緒を探すために使役した式神なのだろう。

「お前にしては随分と手間取ったじゃないか」

 事実、もっと早く見つかってしまうのではないかと思っていたのだ。

 紫も亜緒の隠れ場所として真っ先に疑ったのは本殿だった。

 しかし、相手は雨下石(しずくいし) 亜緒である。紫が罠を警戒して間を置いてしまったのは仕方が無いとも言えた。

「亜緒くんこそ、どないしたん? 様変わりかて程度ってもんがあるわ」

 亜緒の頭には大きな狐の耳が生え、青白い光が全身を包んでいる。

「ここは神社だし、もしかしたら神様が憑依したのかも……」

「神様と云うより狐の化け(そこ)ないといったふうやね」

 紫は笑みを作ったが、警戒した。先程までとは霊力の質と量がまるで違っているからだ。

 そして、何よりこの幼馴染みが余裕めいた口調で(うそぶ)くときには、一層の用心が必要であることを知ってもいる。

 二人は一気に参道へと跳んだ。途中、壊れた拝殿を見たときに、亜緒の中で玉響(たまゆら)が泣くような声を上げた。

 再び、向き合う。

 紫が刀の切っ先を向けると、式の鳥たちが狂ったように亜緒へと突っ込んでいく。

 『鳥』という字は「日」と「火」が組み合わさって出来たという説がある。

 不死鳥が炎の中から甦るのも、朱雀(すざく)が炎を象徴するのも、『鳥』という文字の成り立ちと無関係ではない。

 紫が放った式神たちも、また炎となって亜緒を焼く。

 容赦というものを知らない紅蓮(ぐれん)の炎の螺旋たちは、けれども亜緒に辿り着く前に地に落ちて数枚の和紙となり果て、燃え尽きた。

 狐火によって逆に焼かれてしまったのだ。

 炎の差は霊力の差でもある。玉響が憑依したことで亜緒の霊力のほうが一時的とはいえ、紫を上回っていることの証左(しょうさ)であった。

 紫が間髪入れず放った数本のナイフも、掠ることさえ叶わずに(くう)を切って闇へと消える。

 外したのではない。鋭利な軌道の先から亜緒の姿が消えて無くなったのだ。

「お前の特別製の目でも追えなかったろ? これが神速ってヤツさ」

 背後の声に対して、紫の背中から着物を突き破って槍や薙刀の刀身が飛び出すが、亜緒の姿はもう其処(そこ)には無い。

 数分前なら()(かく)、今の亜緒には(はやぶさ)の降下速度でさえスローモーションに映る。

 研ぎ澄まされ過ぎた感覚は、もう人のソレでは無い。

「亜緒くんも人間やめてもたんやね」

 完全に形勢は逆転してしまった。最早(もはや)、紫は亜緒に傷をつける(すべ)さえ持たない。

 どんな武器も当たらなければ(ただ)の飾りだ。

 布瑠(ふる)(こと)で治癒と霊力の増幅、加えて玉響(たまゆら)を憑依させて神気を纏う。

 ここまでして(ようや)く紫の実力を封じ込めることが出来たのだ。

 二対一で何とか対等以上。

 卑怯などとは言わせない。二人が興じているのは殺し合いなのである。

 もっとも、紫はそんな戯言(たわごと)を口にする男ではない。

 手段はどうあれ、結果が「生」か「死」のどちらかしかないことを理解して楽しんでいる。

 紫の視覚では追えない速さの世界で、亜緒が雨下石流柔殺(じゅうさつ)術『渦潮(うずしお)』の構えに入った。

 紫が容赦無しなら、亜緒にも手加減をする理由は無い。

 神気を纏った掌底(しょうてい)が、はだけた着物から覗く白い脇腹に突き刺さる。

 紫からすれば、いつの間にか吹き飛ばされて地面に叩きつけられたという感覚しか残らないだろう。

 そして、後にやって来る激しい痛みと意識の混濁。

『亜緒ちゃんってさぁ。肝心なところで手を抜くよねぇ』

 玉響が心の内で囁いた。声音には不満が乗っている。

 紫が幼馴染みだからか。それとも、華奢な身体つきの少年の姿をしているからであろうか。

 どちらにしろ亜緒の打ち込みには意識的と無意識的、二つの加減が加わった。

「手加減……しはったな」

 責めるような口調の後に吐血する。アバラも何本か折れているはずだ。

 最低限、ここまでしないと紫は敗北を認めない。

 衝撃で紫の手から放れたニッカリ青江を、亜緒は紅桃林(ことばやし)家当主の首に突きつけた。

「早よ殺しぃ。勝った者の権利や」

「嬉しそうだな。紫」

 亜緒の声に紫が笑みを漏らす。最早、狂気の沙汰だ。

 単純に殺意と云っても、その形はそれぞれである。

 怨恨、快楽、相違、羨望、義務、愛憎、信念、欲望、不満、復讐……そして狂気。

 意識的なものから、無意識の奥で眠っているもの。

 その意志に自覚的な者、気づいていない者。また、気づいていながら見ようとしない者もいるだろう。

 そして、矛先を他者に向ける者と自己に向ける者。

 亜緒は紫を前者だと思い込んでいたが、意外と後者なのかもしれないと思った。

 どちらにしろ、心の空白を埋めるために流れ込んでくる様々な感情は、大体が負のものである。

 まさに泥濘(でいねい)のような精神の異形に、いずれは自身の自由さえ呑み込まれてしまう。

 まるで大蛇に喰われるように。

「死が何にも勝る安らぎだなんて、やっぱり狂ってるよ……お前」

 哀れに思う。目の前の変わってしまった幼馴染みを。若き当主を。

「お前は殺さない。全ての重荷を妹に背負わせて逃げることは許さない。手前(テメェ)が父親から奪い取った底無し沼のような地位の中で、死ぬまでもがいて生きてゆけ!」

「厳しいなぁ、亜緒くんは……。せやけど、まだ勝負は付いてへんのとちゃう?」

 前触れも無く、ニッカリ青江の刀身がパッキリと綺麗に割れた。

「ひと夜に響く鐘二つ、身に纏いし虫喰う七草、八つの(わらし)の心虚ろい、足りぬ足りぬと父母にせがむ……やったかな」

 紫の口から漏れ出した呪言(じゅごん)に、亜緒は戦慄を感じて最速で本殿の裏へと身を(ひそ)めた。

『亜緒ちゃん、トドメ刺さなくていいの?』

「それどころじゃない。このままでは、こっちの命が無いかも」

 亜緒の声からは動揺がハッキリと聞き取れた。

『何ー? さっきのイミフな言葉って意味あるの?』

「……妖刀『客死静寂(かくしせいじゃく)』って知ってるか?」

『んー? 聞いたことあるような。無いようなー?』

 玉響は亜緒の中で呑気に首を傾げた。

「少しはビビッたほうがいい。下手を打てば二人揃ってあの世行きだぜ」

 勝負はついたと思った。が、甘かった。想像もしなかった紫の切り札。

 逆転したと思っていた立場を、また引っくり返されてしまった。

『もしかして亜緒ちゃん、焦ってる?』

「焦ってるよ。今夜、死ぬかもしれないんだから」

『珍しく弱気じゃ~ん』

 いつもの根拠無き自信が感じられず、さすがに玉響も不安になってくる。

『でも、刀なんだから間合いに入らなければ大丈夫だしー』

「『客死静寂』には間合いが無い……らしい」

『あはは。嘘ばっか』

 亜緒が冗談を言っていないことは、憑依している玉響が何より良く分かっている。意識の一部を共有しているのだから。

「正確には間合いが分からないんだ。一キロとか千キロとか、間合いが無いとも云われてる」

 ここで言うキロは当然、重さではなく距離のことだ。

 変幻自在、絶対無敵、気配無く人や妖を斬り、死んだと思う間も無く殺されている。

 何故か世に出ない時期も多く、その割には物騒な噂ばかりが増えてゆく。

 得体の知れない謎多き妖刀なのである。

 亜緒が知っているのは『客死静寂』は紅桃林家の家宝であり、門外不出であるということ。

 『客死静寂』を鞘から抜くには唯一の呪言が必要だということ。

 この二つだけだ。

 昔、まだ黒髪だった紫本人から聞いた。

 どんな能力を持っているのかも、呪言の内容も知らない。

 それでも何とか逃げられたのは、嫌な予感がしたからだ。

 神気を纏ったことで勘のほうも鋭くなっているのかもしれない。

 もしも紫が『客死静寂』を持ち出していたなら、「死なない」ことにのみ全力を注がなければならない。

 突然、本殿が派手に崩れ落ちた。

 原型すら残っていない。滅多斬りである。

『あ~。私のお家が~』

 玉響の血圧低そうな声音の中にも、今の亜緒なら悔しさを共感出来る。

 憑依されていなければ他人事のように感じただろう。

「間違いない。紫は『客死静寂』を使っている」

 予感は確信へと変わった。

 先程から紫の「響き」を感じ取ることが出来ない。

 蘭丸も月彦もそうだが、妖刀使いの「響き」はノイズを被せたように分からなくなるのだ。

 それにしても、妖刀とはいえ一振りの刀でここまで出来るものだろうか。



 神社の裏手。隔離された鏡面界(きょうめんかい)という結界の中で、(ぬえ)沃夜(よくや)は程々の距離を置いて見合っていた。

 もう随分と沈黙が降り積もっている。

「お前は紫のことが心配では無いのか?」

 鵺がしじま(・・・)に切り口を入れた。声からそわそわと感情が(たかぶ)っているのが分かる。

「心配だとも。しかし、それ以上に確信している。紫様の勝利を」

 沃夜の声には不思議な響きがある。弦楽器の一番太い弦を鳴らしたような、空気に良く通る甘い低音。

 彼? は颯爽として真っ直ぐで、それでいて大樹のような落ち着きをもって鵺を見据えていた。

 軽い揺さぶり程度で動くような、精神的(すき)は無い。

 対して鵺は己の気が()くのを自覚していた。

 もしもパートナーとの信頼や絆というものが勝負の行方を左右するとしたら、沃夜と紫のほうに分があるかもしれない。
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