第4話「ひるがお」

文字数 4,583文字

 四角い油揚げを斜めに切って、その三角を開く。

 それから揚げを茹でて油抜きをし、水に取ってから水気を絞る。

 そしてダシ汁を入れた鍋で煮て、落し蓋をする。

 ここまで無駄の無い流麗な動きで要領よく仕上げる。

 あとは冷めた油揚げに酢飯を詰めるだけだ。

 蘭丸(らんまる)は特に料理が好きと云うわけではない。ただ、彼の日常には何故か芋の皮剥きどころか玉子も割れないといった(やから)が周りに居ることが多く、いつの間にか台所に立つ役割が回ってきてしまうのだ。

 家事全般は剣の修行と一緒に師匠から叩き込まれたので苦ではないのだが、多少の理不尽を覚えるときもある。

 例えば今だ。

「ぎゃあ、今日も稲荷寿司?」

「分かっているくせに、大袈裟に驚いてみせるな」

 やっと起きてきた相方は大きな欠伸(あくび)を一つしてから、青い瞳を大袈裟に(てのひら)で覆ってみせた。

 芝居がかった言動で昼飯の献立に不満を訴える。

 ここのところ、『左団扇(ひだりうちわ)』ではほぼ毎日が稲荷寿司だ。亜緒(あお)でなくとも嫌になる。それは蘭丸だって同じだ。

「松茸とは言わないから、せめて秋刀魚(サンマ)とかさぁ。せっかく秋なんだし、たまには違うもん食おうぜ」

 黒く輝く太陽は人々から季節の移ろいさえも朧気(おぼろげ)にしてしまう。

 だから、この世界の住人は視覚よりも味覚から季節の訪れを実感することが多い。

 食事は腹が膨れれば良いというわけではなく、旬のものは日常を彩るささやかな(きょう)なのだ。

 それは生活の中の歓びであり、毎日を生きるための活力でもある。

(ぬえ)は肉が食べたい」

「いいねぇ。今夜は久しぶりに牛鍋でもするか」

 いつの間にか鵺も台所に入ってきて、旬を外れた贅沢な話題で盛り上がっている。蘭丸は二人を見ずに小さな溜め息を一つ落とすと、容赦の無い(とど)めを刺した。

「残念だが昼飯どころか晩飯も稲荷寿司だ。(ちな)みに明日も明後日も。否、この先ずっとだ」

 罪無き願望に現実という(やいば)を突きつけられて、亜緒と鵺は無慈悲な料理人の背中を(しら)けた視線で突ついた。

 本気で晩のオカズに肉が出てくるなんて思っていない。

 だったらいいなという話である。とはいえ、亜緒には下心の半分くらいはあったかもしれない。

「蘭丸、何も玉響(たまゆら)の言うことを律儀(りちぎ)に聞いてやる必要は無いんだぜ?」

 鵺が一生懸命に細い首を縦に振って同意を示す。

「金も無いんだ。誰かさんが神社を瓦礫(がれき)の山にしてしまったからな」

(むらさき)か! 本来なら野郎が建設費を全額出すべきなのになぁ」

 蘭丸は現状の責任は亜緒にあると言っているのだが、当の本人に自覚は無さそうである。

 一晩で倒壊してしまった神社は、不可解な現象として新聞にも取り上げられた。

 結果、新しい神社を建てるという話になり、その費用の全額を雨下石(しずくいし)家が持つと約束した。

 しかし、どういうわけか建設費の請求が『左団扇』に回ってきている。

 群青(ぐんじょう)の嫌がらせなのだろうが、おかげで『左団扇』の抱える借金が途方も無い額にまで膨らんでしまったのだ。

 請求書を紅桃林(ことばやし)家に回そうともしたのだが、向こうは向こうで大変らしい。

 当主である紫が、沃夜(よくや)とともに行方知れずなのだという。

 紅桃林家は本家、分家を含めて上へ下への大騒ぎということだ。

「稲荷寿司から開放されたければ、あのはぐれ(・・・)稲荷に出て行って貰うんだな」

 酢飯を団扇で冷ましながら、蘭丸の声は他人事のように台所を転がっていった。

 その言葉に亜緒は考え込み、鵺は再び首を縦に振る。

「だって私、帰るところが無いんだよ~」

 壊された神社の主が、フラフラと泣き真似をしながら現れた。相変わらずのんびりとした口調で、あまり困っているようには見えない。

「なら、紫のところへ行け!」

 鵺には玉響の存在が面白くない。

「私、妖刀使い嫌いだしさぁ」

「妖刀使い!」

 蘭丸を指差す。

「こっちの妖刀使いは、お供えしてくれるから良いんだよ~」

 玉響は稲荷神の眷属(けんぞく)だ。本来名前は無いのだが、亜緒が(しゅ)を持って名付けてしまった。

 鵺には名前が無い。

 「鵺」が名前のような気もするが、本来は「よく分からないもの」という意味だ。

 玉響が名前を呼ばれる(たび)に、その不思議な響きが亜緒から貰ったプレゼントのようにキラキラと輝いて聞こえて、何だか羨ましい。

 ようするに嫉妬のような感情を持て余しているのだ。

 蘭丸は出来たばかりの稲荷寿司を皿に盛って居間の座卓に置くと、皆が揃うまでに番茶を淹れた。

 玉響、亜緒、鵺の順で席に座ると、彼らの遅い昼食が始まる。

 『左団扇』を始めたころは亜緒と蘭丸の二人きりだった食卓も、今では随分と賑やかになった。

 鵺は初めから居たが、その姿は最早(もはや)猫と云うよりは人に近く、以前の名残(なごり)は頭から生えている猫耳と金色(こんじき)に光る瞳だけだ。

 気紛れに出て行った猫の代わりに、何処(どこ)かの宿無し少女が転がり込んできたという感覚が蘭丸には強い。

 一匹という認識が「一人」に変化したのは、やはり大きいのだ。

 玉響は稲荷神の眷属だという。こちらも見ようによっては人だ。二十歳(はたち)前後の巫女さんという外見をしている。

 狐の耳と尾は人には無い大きな特徴であるが、実は玉響の異質はそれらとは無関係なところに顕著(けんちょ)だ。

 事実、耳と尾を隠しても、人とは思えない雰囲気を(まと)っている。

 長く長く糸を引くように降りてゆく黒髪。眼鏡の奥でダルそうに垂れた(うつ)ろな瞳。常に薄ら笑いを浮かべているような青白い表情。

 のんびりとした口調と愛想の良さが彼女の異質を散らしてはいるが、やはり(たたず)まいは妖側に近い。

 そこが人を素体(そたい)にしている鵺と大きく異なる点かもしれない。

 この風変わりな客人を、蘭丸は一方的な被害者だと思っている。

 亜緒と紫が神社を遊び場(・・・)に選んだことで、住む処が一晩で無くなってしまったのだから()瀬無(せな)いだろう。

 わざわざ稲荷寿司を作るのは玉響を気の毒に思うところもあるからだ。もっとも、安価で出来るというのが理由の大半ではある。

 紅葉もこれからという初秋の午後は、まだ夏の残り香が家の彼方此方(あちこち)に居座っていて妙な気怠(けだる)さが溜まっていた。

 それでも日々のペエジを(めく)るたびに、空気の(ぬる)さは薄まって乾いてゆく。

 (わず)かな秋の気配を確かめながら、談笑の小さな花が咲き始める。

 食べ飽きたものでも空腹を抱えずに済むのは幸せなことだ。

「蘭丸ちゃんの稲荷寿司はいつ食べても美味しいねぇ」

 神様に料理を褒められるというのはなかなか無いことだろうから、蘭丸は素直に喜んでおく。もちろん感情が顔に出ることなど滅多に無い男なので、本人は黙って食事を続けているようにしか見えない。

「鵺はお肉のほうが美味しいと思う」

 鵺の茶々が入るのはいつものことだ。

「蘭丸、月彦(つきひこ)の居場所を知らないか?」

 亜緒から唐突に出た話題は、食卓を囲む皆の表情を一色に染め上げた。

 食事中に妖刀使いの話とは、如何(いか)にも何か裏がありそうである。

生憎(あいにく)と知らん。奴に用でもあるのか?」

「ちょっと野暮用がね……」

 蘭丸は月彦と旧知の間柄であるが、詳しいことは殆ど知らない。

 月彦が秘密主義というわけではなく、蘭丸が他人の私生活や過去に興味が無いからだ。

 また、蘭丸自身、過去を詮索(せんさく)されることを嫌う。

「あの子は昔から根無し草なんだよ~」

 稲荷寿司に満悦の玉響が嬉しそうに口を挟む。ただ、その声はユラユラとして落ち着きが無い。

「玉響、月彦を知っているのか?」

 亜緒は命の恩人ならぬ恩神(おんじん)に意外そうな顔を向けた。

 妖刀使いが嫌いと公言しているわりには詳しそうである。

「月彦ちゃんは、群青ちゃんが生まれるずっと前から月彦ちゃんだったから。でも、何処(どこ)に居るのかは知らない~」

 妖刀『月下美人(げっかびじん)』を持つ(かすみ) 月彦(つきひこ)は不老不死だ。

 一つ処に住み着くのは難しい。だから居場所を移動しながらの生活になる。

 彼に会おうとしたら、どうしても偶然に頼らざるを得ない。

「仕方が無い。気は進まないけど、ノン子に頼るしかないかな」

 亜緒の妹である雨下石 ノコギリは変わった道具を使用して千里眼を行なう。

 そのためには探し人の顔と本名が必要だが、今回はそのどちらの条件も満たしている。

「『響き』とやらで探せないのか?」

「妖刀使いの響きは感じ取り難いんだ。距離が離れ過ぎていても使えないし」

 そんなに便利なものでもないのさ。と、言い捨てて亜緒は食事を終えた。

 不服そうに番茶を啜る。やはり実家へ行くのは不本意なのだろう。

 もっとも、蘭丸は相方が雨下石家を忌避(きひ)する理由も知らないのだが。

「ところで、鵺は学校へ行かなくても良いのか?」

 今日は平日である。蘭丸は鵺が制服である矢絣(やがすり)(はかま)を着て、当たり前のように昼餉(ひるげ)の席に座っている毎日が気になっていたのだ。

「鵺の登校は気が向いたらで良いんだ」

 無言で食事を続ける本人の代わりに、亜緒が答えた。

 元々、雨下石家の持つ権力を使って無理に学院へと編入させたのだ。鵺に学歴は関係ないし、本人が飽きたら学籍も消える。

「何だか……」

 言いかけた言葉を蘭丸は番茶の一口とともに流した。

 味気の無い学院生活だと思ったのだ。友達、授業、放課後の他愛無(たあいな)いお喋りも含めて、人生の中で数年間だけ許された貴重な時間である。

 蘭丸は高等学校を途中で辞めているから、余計にそう思うのかもしれない。

 しかし、出会いが鵺にもたらすものとは何か。

 友達は鵺を残して先に死ぬ。授業で得られる知識も役に立つことは無いだろう。かつて育んだ友情も思い出も、永遠を生きる存在にどれほどの意味があるのか。

 蘭丸の視線が自然と鵺へと向いた。稲荷寿司を頬張る、感情に乏しい表情がとても(かな)しく映った。

 蘭丸の憐憫(れんびん)は人の視点である。鵺からすれば、また違った世界という名の価値観が見えているのだろう。

 願わくばその世界が、鵺にとって笑顔とともにあればいいと蘭丸は勝手に思うのだった。



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