第15話「狂乱の当主、再び」

文字数 2,517文字

 神社によくある細身足の灯籠が、歩く二人の青年の影を足元に浮かばせていた。

 影は何度も本人たちを追い越しては消えを繰り返しながら、石畳にその幻影を映す。

 亜緒(あお)蘭丸(らんまる)颯爽(さっそう)と吸血鬼エンペラー・トマトケチャップを追いかけたまでは良いが、結局撒かれてしまい、戦果も無しに雨下石(しずくいし)家の門を(くぐ)ったのだった。

「何で見失う! 響き(・・)とやらで追跡していたんじゃないのか?」

 蘭丸の声には非難の微熱が籠もっていたかもしれない。やはり(あやかし)を斬る者としては、妖に逃げられるというのは面白くないのだ。

「まぁ、吸血鬼相手だからな。こういうこともあるさ」

 本当は右目を失ってしまい、亜緒の響きを感じる力が弱まったせいなのだが口には出さない。

「それに伯爵はいずれ此処(ここ)にやってくるさ」

 ノコギリを狙っているというのもあるが、断言できるのは雨下石家の何処(どこ)かに彼の命ともいえる大事な(ひつぎ)が保管されているからだ。

「その棺を壊してしまうのが一番手っ取り早いんだが、場所は親父しか知らないらしいからな」

 その群青(ぐんじょう)目下(もっか)行方不明である。一体、何処にいるのか誰も知らない。

 会話途中で座敷牢に着いた。此処に浅葱(あさぎ)が幽閉されているのだ。

「俺は外で待つ」

「気を使うこと無いのにさ」

 蘭丸の胸中は複雑である。雨下石家に着くなり最初に耳に入ってきたのが、浅葱が禁則に触れて座敷牢に幽閉されているという事実だった。

 蘭丸には浅葱が犯した罪がどんなものかは知る(よし)も無いが、最強の妖刀使いである彼が座敷牢の中に居る姿を見たくないのである。

 座敷牢が入った建物の中は薄暗かったが、亜緒の瞳を隠せる闇など存在しない。洋装の次期当主は浅葱が軟禁されている座敷の前まで来ると、計ったように足を止めた。

「何しに来た?」

 牢越しに浅葱の声が響く。

「いやだなぁ、僕を呼びつけたのは師匠じゃないか」

 そうだったな。と、自嘲気味の小さな笑いの後に静かな吐息が漏れる。

「お前のことだ。もう大体の経緯は分かっているのだろう?」

「まぁね。ただ、分らないこともあってさ。それを聞きに来た」

 亜緒が薄闇に光る瞳を細める。

「どうして瑠璃姫(るりひめ)を斬ったのさ。ノン子の命を救うため? だとしても、師匠らしくないじゃないか」

 身内とはいえ、他人の命を救うために刀を抜くなんて浅葱らしくない。亜緒の中で浅葱という男はもっと、徹底して人に執着を持たない。どうしようもなく、一貫してそういう人間だったはずだ。

「その瞳はどうした?」

 右目の眼帯に指で触れながら亜緒が答える。

「命を拾った代償……かな」

「だから無茶をするなと忠告したろうが」

「今は僕のことはどうでも良いんだよ」

 はぐらかされた話を亜緒は元に戻そうとはしなかった。浅葱は話したくないことは決して話さない。

「師匠、牢から出てくれないか? 文句を云う(やから)は僕が実力と権限を持って黙らせるからさ」

「お前は勘違いをしている。ここへは私自ら入ったんだ。禁忌(きんき)を破ったのだから当然だ」

仕来(しきた)りに殉じるなんて、ますます師匠らしくないと思うけどな。まぁ、差し入れだけは置いていくよ」

 座敷牢の鍵を開けると女人形(にょにんぎょう)「桜」を中へと入れる。それと妖刀『落花葬送(らっかそうそう)』。

「お前、コレは――」

「家具……なんだろ? それじゃ僕は急ぎの用があるから」

 それだけ言い残すと亜緒は闇の向こうへと消えた。

「やれやれ。本当に困った次期当主だな」

 桜が(あるじ)を前にして薄く微笑む。無事を確認して安心したのかもしれない。



紅桃林(ことばやし) (むらさき)?」

 蘭丸は亜緒の言葉を(にわ)かには信じられなかった。

 東の妖退治を仕切る雨下石(しずくいし)家と、西の紅桃林(ことばやし)家は犬猿の仲なのだ。その紅桃林の当主が母屋の中に居るなど、警視総監とヤクザがの親分が一緒に温泉宿で寝泊りするようなものだ。

「間違いない。沃夜(よくや)とかいう龍神の響きを感じる」

 沃夜は紫の付き人だ。何故龍神が紫に付き従っているのかまでは分らないが、彼が居るなら紫も絶対に居る。

 目指す客間の前で亜緒が立ち止まると、(ふすま)が自然に開いた。雨下石家の人間が次期当主の御手を(わずら)わさぬよう動いたのだ。

 その手際の良さに蘭丸は少し驚き、同時に居心地の悪さも覚えた。この家ではおそらく()れが当たり前のことなのだろう。

「東京の味付けって濃いなぁ」

「そうですね。紫様」

「やっぱ料理は京のほうが上やな」

「まったくその通りです。紫様」

 呑気に夕餉(ゆうげ)を楽しんでいる二人に、亜緒が冷めた眼差しを向ける。

「なんでお前が此処にいる?」

「いややなぁ。幼馴染みの陣中見舞いやん。僕ら、友達やろ?」

「幼馴染みだが、友達ではないなぁ」

 声には一種冗談めいた愛嬌が乗っているが、瞳の中の青は変わらずに冷たい。

 亜緒は紫の強さには昔から一目置いているのだが、問題は彼の攻撃対象にある。その殺意は敵だけでなく、場合によっては味方にも、時には自分自身にさえ向く。

 その精神の異常さが、友達と呼ぶにも、味方にするにも危険すぎるのである。

 ただ、孤高を好む彼の気性から伯爵の息が掛かっているということは無いだろう。

 紅桃林家の狂った当主は、狂刃(きょうじん)ゆえに何者の下にも付かない。

「吸血鬼……来てはるのやろ? 変則とはいえ、吸血鬼かて鬼や。鬼退治の家系として、何か力になれると思てん」

「なら今、力になってもらおうか」

「なんや?」

 紫の眉が怪訝(けげん)そうに寄った。

「お前、好きだろ? 死体」

「否定はせんけど、どちらか云うと死体にする(・・・・・)ほうが好きやなぁ」

 相変わらず少年らしい笑顔で物騒な物言いをする。

 彼は見かけは少年だが、中身は二十三の青年だ。強い薬の副作用で肉体の成長が十五のままで止まっている。

「つべこべ云わずに手伝え。霊力が強いヤツが一人でも多いほうが成功率が上がるんだ」

「何するん?」

「来れば分かる。デリケエトな術式だから龍神と蘭丸は遠慮してくれ」

 まだ食事中の紫を引っ張って、亜緒は奥の間へと消えた。

 客間に残された蘭丸は沃夜から不自然な距離を置いて落ち着いた。人見知りなのである。難しい表情をしているのは、彼をどう呼べば良いのか判断できずに困っているからだ。

(あやかし)殺し、花札でもやらないか?」

「やらん!」

 蘭丸は花札すら知らないのであった。仮に知っていたとしても返事は同じであっただろうが。
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