第13話「月彦と月下美人」

文字数 3,885文字

 校門の前まで来てから、(かすみ) 月彦(つきひこ)は黒く輝く太陽を仰いだ。

 相変わらず生命の息吹さえ感じることの無い輝きを、月彦は網膜に焼き付けてから再び視線を地上へと戻す。

 太陽を見るとき、月彦の笑顔は消える。

 単に眩しいというのもあるが、その存在に何も思うものが無いからだ。

 命と云うものを欠片ほども感じない。

 想像する余地さえ与えてくれないその輝きは、まるで空にポッカリと口を開けたカラッポの虚無のようだ。

 その存在感のわりに何も求めていないような謙虚な様が、月彦は嫌いじゃなかった。安心感さえ覚えるのだった。

 それはまるで自分自身を映している鏡のようで――。



 とても静かな朝だった。静か過ぎると云ってもいい。

 本来であれば、今頃は登校する女生徒たちの挨拶と談笑で花が咲いたように賑やかな時間帯なのだ。

 しかし、今朝の子芥子(こけし)女学院には誰一人として生徒が登校していない。

 それどころか、本日は教師も職員も不在だ。

 異常事態というわけではない。

 亜緒(あお)と月彦が昨日のうちに校長に掛け合って、臨時休校という処置を取らせたのだ。

 雨下石(しずくいし)家の人間と妖刀所有者が揃って警告めいた嘆願をすれば、多少の無理は通る。

 ただ、北枕(きたまくら) 石榴(ざくろ)小山内(おさない) (るい)だけは連絡網から意図的に外された。

 この二人のどちらかが鬼であると亜緒は言う。

 証拠や裏づけの有る意見ではない。推理めいた勘だけを頼りに決め付けているのだ。

「今日は鬼退治日和だねぇ」

 決め付けた本人は至極呑気である。

 今日に限って、亜緒はいつもの洋装ではなく着物を着ていた。

 紺瑠璃(こんるり)色の着流しは亜緒の髪と瞳の色と重なり、なかなか似合っている。

 五年程の付き合いになる蘭丸(らんまる)も、和装の亜緒を目にするのは初めてのことだった。

「まぁ、君たちに合わせたのさ」と、亜緒は心地悪そうに笑う。

 ノコギリは日の丸弁当の件で文句の一つ二つ言ってやりたい気分だったのだが、亜緒の着物姿に昔を思い出して責める気も失せてしまった。

「やっぱり兄様はそっちのほうが似合いますわ」

 嬉しそうに手を合わせる。

 ノコギリも制服の女袴ではなく、(あわせ)の着物である。赤地に牡丹の柄が華やかだ。

「鬼候補の御二人はちゃんと来てますかね」

 月彦は笑顔だが、実は機嫌が良くない。

 亜緒に『月下美人(げっかびじん)』の能力と、おそらくは自分の正体まで見抜かれてしまった末の、半ば強引な参加であるから無理もない。

「心配しなくても、二人とも出席だ。後で褒めてやろう」 

 『響き』と云う生命特有の信号のようなものを感じ取れる能力。

 加えて慧眼(けいがん)を駆使しても鬼の()り人を特定することが出来なかった。

 雨下石家の見鬼(けんき)からも隠れおおせることが出来る鬼。

 今回は単なる妖退治というわけにはいかない。

 鬼退治という伝説にも語られる大仕事になるだろう。

 月彦は厄介ごとに巻き込まれたという感が(ぬぐ)えず、気が重いのだ。

「僕は校舎に結界を張ってから行く。それから蘭丸は少し残ってくれ」

 亜緒が校舎へと向かう蘭丸を引き止めた。

「亜緒くんが結界を張り終えるまでは、手を出さないほうが良いですかね」

 気は乗らないが敵陣へと踏み込む前である。

 月彦は亜緒の様子を窺うよう慎重に尋ねた。

「結界なんて直ぐに張り終わるから、僕に構わず授業を始めちゃってくれ」

 ならば是非も無い。

 今更引き返すというわけにもいかない以上、月彦も覚悟を決める。

 ただし、あくまでも自分のやり方で()らせてもらう。

 それが妖刀を持つ者の心持ちだ。



 (あらかじ)め電気は通してあるので、校舎内の明かりは点く。 

 皓皓(こうこう)たる白灯の下で月彦は一人、二階へと通じる階段を踏み締めていた。

 周りに誰も居なくても、彼の笑顔が消えることは無い。

 彼にとって、笑顔はいわば仮面のようなものであった。

 その表情が柔らかく見えたり、時に不吉に見えるのは月彦を見る人間の心情次第なのである。

 校内はまるで蝋燭(ろうそく)の灯火のように静かだ。人が居ないだけで別の建物のようである。

 同時に校舎へ入った桜子(ノコギリ)は別行動を取りたいからと一階で別れた。

 彼女には彼女なりの戦い方があるのだろう。それに、月彦にとってはそのほうが都合が良い。

 月彦は独りを好む。『月下美人』を自分以外の誰にも見せたく無いという気持ちが強い。

 もしかしたら、亜緒はそこまで見抜いていて蘭丸を引き止めたのかもしれない。

 そんな考えが浮かぶほどに、月彦にとって雨下石 亜緒はある一定の信頼を置ける人物になりつつあった。

 それでも雨下石 群青(ぐんじょう)の息子であるから、全幅(ぜんぷく)の信頼を置くわけにはいかない。

 要は距離の取り方の問題である。


 そして、教室の前で一呼吸の間を置く。

 亜緒の予想通りなら、中には鬼が居るはずである。

 もっとも、二人のうち一人は人ということだが、此処まで来たら月彦は二人とも斬るつもりだ。

 情けや容赦など、(はな)から持ち合わせてはいない。

 いつものように扉を開けると中には女生徒が二人、伽藍(がらん)とした教室の席に座っていた。

 石榴は怪訝(けげん)な表情で月彦を見る。明らかに警戒している。

 誄にはこれといった表情の変化は見られない。普段通りに落ち着いている。

「おはようございます。今日は休みが多いですが、授業はちゃんとやりますよ。出席は省きますけど」

 月彦の笑顔もいつも通りである。

「雨先生じゃないんですね……」

「雨先生は少し遅れて来るそうです」

 誄の声音には抑揚が無かった。

 およそ感情の情報量の少ない少女だが、誄の起伏に乏しい表情と月彦の笑顔は実は同じものである。

 どちらも()って、無い。無表情であるのと同じだ。

「さて、今日の授業はいつもと趣向を変えて童心に帰ってみましょうか……」

 言いながら、ゆっくりと月彦は刀の(つか)に手をかけた。

「……鬼ごっこです」

 鞘から抜かれた刀身は美しかった。

 ぼうと光っているような錯覚さえ覚えるほどに(おぼろ)だ。

 何よりも特徴的なのは、三日月状に波打つ刃紋。

 独特だった。独特なほど例えようも無い(みやび)

 しかし、それはやはり刀であった。

「命……生命の息吹を放ちながら育まれてゆく命。美しいと思いますか?」

 月彦は独り言のように言葉を(つむ)いでいく。

「ボクはね、美しいとは思わないんですよ。むしろ貪欲すぎて醜いとさえ思う。そんなモノに斬る価値なんてあると思いますか?」

 言いながら歩き出す。一歩ごとに月彦から笑顔が消えて、無表情に近づいてゆく。

「それでも命に価値があると云うならば、美しいと云うならば、それは散りゆく瞬間だけだ」

 ゆっくりと緩慢(かんまん)な歩調で誄との距離を埋めると、もう無表情になっていた。

「その瞬間の美だけは斬る価値がある」

「霞……先生?」

「もう先生ではないかもしれませんね。今のボクは、貴女の天敵です」

 言葉が終わらないうちに、刀が誄の心臓を刺し貫いていた。

 その行為には躊躇(ためら)いなど一切無い。刹那(せつな)の出来事。

 まるで煙草でも吸うような、手馴れた日常の動作だった。

 『月下美人』の刀長はおよそ八十センチ。標準的な太刀(たち)のサイズだ。

 その刀身が年端もいかない少女の胸に刺さり、体から背を貫いて切っ先が伸びている。

 石榴は悲鳴らしきものを小さく上げると、教室を走って出て行った。

 頼りない逃走を横目に、彼女のほうは他の誰かに任せることにする。

 月彦は小山内 誄を相手にすることに決めた。

「痛み……ありませんよね? この刀、刃はちゃんと付いているのに物理的に斬ることが出来ないんです」

 誄の体からは血も出ていない。

 まるで手品の一場面を切り取ったような光景がそこにある。

月下美人(かのじょ)は変わっていてね。自身が血で汚れるのを何よりも嫌うんです。赤を命に例える人もいるけれど、ボクも赤は少し派出すぎて嫌いなんですよ」

 月彦の声音は優しく囁くように誄の耳元に届いて溶けた。

 『月下美人』が斬るのは形の無いもの。思い出や絆。観念だ。

「でもまぁ、人の心はそれなりに美しいとは思いますから……」

 月彦が斬ったのは誄の心。

 彼女はもう何も感じない。否、感じることが出来なくなった。

 受信機は壊れてしまった。

 ――何らかの原因によって受信機が壊れたとします。心が何も感じ取ることが出来なくなった状態です。

 誄の記憶の遠いところで、亜緒の言葉が再生された。

 その声は手を離してしまった風船のように、みるみると意識から離れて遠ざかってゆく。

 もう元には戻らない。戻ることは無い。
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