第30話「告死天使」

文字数 4,088文字

 結局、狒狒(ひひ)も人も嘘をついていた。互いが互いを(あざむ)き合い、嘘に足元を掬われたのだ。

 嘘は信用や信頼を損なう行為だ。騙された側は当然傷つく。

 一方で「嘘も方便」という言葉もある。人の思いを救う嘘もあるのだ。

「嘘そのものは悪くない。ただの言葉だからね。また、嘘をつかない人間もいないだろう」

 彩子(さいこ)は続く言葉の合間にマッチを擦って、(くわ)えた煙草に火をつけた。

「嘘をつくことで人間関係が上手くいく場合だってあるし、要らぬトラブルを避けることも出来る」

 要は時と場合と、相手によりけりということなのだ。

「嘘は人が作り出した最初の(しゅ)なのだそうだ。それだけに扱いが難しいのだと浅葱(あさぎ)殿が言っていたよ」

 雨下石(しずくいし)家の人間にかかれば、何でも呪に結びつけて考えるきらい(・・・)があるように思える。まるで人の世は呪いにまみれているように聞こえてしまう。

 呪術を生業(なりわい)にする家系だからある程度は仕方ないのかもしれないが、蘭丸(らんまる)にはもっと祝いに溢れていても良さそうに思えた。

 二人は話しながら成明(なりあきら)邸の出口へと向かっているところだ。

月彦(つきひこ)は狒狒の想いが本物だとしたら、本気で娘を渡すつもりだったのでしょうか?」

「ふふ。君もそれを望んでいたのではなかったのかい?」

 彩子は愉快そうに(うそぶ)いた。まるで嘘の語源が「嘯く」であるのを知っているかのようだ。

「月彦殿が人に対する妖の叶わぬ想いの手助けをしてきたという話は何度か聞いたことがある。人と妖怪の恋愛譚には彼が直接的であれ間接的であれ、関わっているものが幾つもあるそうだ」

 彩子はそのことを直接本人の口から聞いた。事実かどうかはかなり怪しい話だが、妖刀『月下美人』の所有者であるならば必ずしも嘘に聞こえないのが(まぎ)らわしい。

 だから月彦の目的を彩子は初めから何となく分かっていた。

「確かに東次郎(とうじろう)氏は妖と約束をしたのかもしれないがね。その娘である(あや)さんには、親の不義理とは関係無しに幸せになってもらいたいじゃないか」

 屋敷を出ると、もう夜が明けていた。空気は緩やかに流れて、空は冷たく澄み切っている。

 蘭丸は大きく朝の空気を吸い込んでから、白い息に変えて吐き出した。少し伸びをして、体をほぐす。随分と長い間、夜を走り回っていた気がする。

「そういえば、彼女。綾さんはこれからどうするつもりなのでしょう」

 結局、彩子と蘭丸。月彦と獅子丸(ししまる)。そして娘の綾以外は皆、狒狒に殺されてしまった。

「妖と一度結んだ縁を一方的に斬ろうとするから(ろく)な目に会わないんですよ。今回はまだマシなケエスです」とは月彦の弁。

 狒狒は退治したので、あとは警察の仕事になる。

「彼女は後見人を立てて商会を続けることになるだろうが、経営自体長くは持たないだろうね」

 必ず何らかのいざこざ(・・・・)が起こり、築いた財は消えるだろうと彩子は不吉な予想をした。

 世の中、本当に欲しいものは簡単に手に入ったりしない。妖の甘言に誘われて手に入れたものなど、所詮はいつか何処かで無くなってしまうものなのだ。

 彩子が門を出たところで咳払いをした。少しワザとらしいその仕草に、蘭丸は嫌な予感を覚える。

「だいたいオマエは依頼に余計な感情を持ち込みすぎる。その悪い癖は早々に直しておけ」

「面目ない……」

 蘭丸は素直に自分の不甲斐(ふがい)なさを恥じた。失態であるから何も言えない。

 今回、狒狒に(たぶら)かされたのは蘭丸だけだ。これは妖と(まみ)える際の心構えの問題で、彩子と月彦はもちろん、獅子丸でさえ回避している。

「腕はともかく、精神の揺れに難あり……か。まぁ、今後の課題が見つかったのは良しとしようか」

 実戦でなければ気づかないことは多々ある。そのために彩子は蘭丸を自分の仕事に同行させたようなものだ。

「そういえばお前は狒狒の血を浴びたな」

 蘭丸は狒狒の腕を斬り落としたときに、鮮血を浴びてしまった。その時は気がついていなかったが、後になって思った以上に自分が血まみれ状態であることに驚いたのだった。湯に浸した手ぬぐいで拭き取ってはみたものの、早く銭湯へ行きたい気分である。

「それは僥倖(ぎょうこう)かもしれんぞ」

 彩子が意味ありげに薄い笑みを作った。

「狒狒の血は特別でな。見えないものが見える能力を授かることもあるらしい」

「見えないものと云うのは何です?」

「妖が使う術とか、妖刀の太刀筋やなんかだな」

 胡散(うさん)臭い話だから、あまり期待しないでおけ。と、彩子は可笑(おか)しそうに笑った。

「胡散臭いといえば、師匠が持っている風呂敷がさっきから気になっているんですが」

「これか? これは……」

 風呂敷包みを解く。

「鍋だ」

「まさか師匠、火事場泥棒みたいな真似を……」

「失礼なことを言うものではない。狒狒を退治したのは私だぞ。本来は報奨金を貰える筈だったのに、依頼人が死んでしまったからパァだ」

 鍋は報奨金の変わりということらしい。

「しかし、鍋なんてどうするんですか」

 蘭丸の声音には呆れた色が濃く混じっていた。家へ帰れば鍋くらいある。

「この鍋には重要な意味があるのだよ」

「ほう。して、その意味するところとは?」

「これから君はおでん(・・・)を買ってくるんだ。私は先に帰って、(かん)をつけて待っているから」

 彩子は鍋を風呂敷に包み直すと、少なくない額と一緒に蘭丸に渡した。

「師匠、まさかこの金も……」

「君は師匠を何だと思っているんだい。それは正真正銘、私の金だよ」

 この世界の店は屋台も含めて開くのが早い。それは日が沈むと妖のせいで商売が出来なくなるから、必然と営業時間も早くなるのだ。

 稼ぐなら陽のあるうちに。それが商売人の鉄則である。

 蘭丸は視線を遠くへ投げた。町に行灯(あんどん)(だいだい)(とも)り始めたのだ。この灯りは町が目覚め始めたことを意味する。

 成明邸の近くは閑静な住宅街だから、商店街へ行くには少しばかり歩かなければならない。

「蘭丸も今日は疲れたろう。帰ったらおでんで一杯やって、すぐに寝たいだろう?」

「個人的には銭湯に行きたいのですが」

「では、おでんを買って家に届けてから行くと良い」

 彩子は笑顔で、釈然としない表情の蘭丸と別れた。

 霜柱の立った道をザクザクと踏みしめながら、彩子は二本目の煙草に火をつける。

 彩子には一つ気になることがあった。それは今回の依頼が雨下石家から回ってきたということだ。

 それ自体は別に珍しいことでは無い。雨下石家は大妖専門の仕事が中心で、それ以外は他の妖退治屋なり、妖刀使いなどに仕事を振ることもする。

 問題は(かすみ) 月彦と久遠(くおん) 獅子丸の二名が居たこと。

 二人を派遣したのは、おそらく雨下石家の当主である群青(ぐんじょう)だ。

 群青と月彦が仲が良いのは、昔馴染みの彩子ならよく知っている。よほどウマが合うのか、二人はしょっちゅう(・・・・・・)(つる)んでは趣味で妖退治をしていた。その活躍たるや全国に名を轟かせる勢いだったのだ。

 彩子は「コチラの仕事が無くなってしまう」と、浅葱に冗談交じりの愚痴を(こぼ)したものである。

 つまり雨下石家は依頼をシッカリ受けているわけで、わざわざ彩子と蘭丸が出向く必要も無かったのではないかということだ。

 まだ未熟な獅子丸はともかく、月彦なら見事に狒狒を討ち取っただろう。

 彩子に仕事を回してきた理由が分からない。そこがスッキリしないから、仕事が終わっても何やらモヤモヤするのであった。

「まぁ、昔から何を考えているのか良く分からない男ではあるのだが……」

 だから彩子は雨下石 群青を好かない。腹に一物(いちもつ)、いや二物(・・)は抱えているようで油断がならない。

「おや?」

 帰宅するや否や、道場に灯りを認めて彩子は足を止めた。

 浅葱でも来ているのか、それとも蘭丸が行灯の火を消し忘れでもしたのかもしれない。

 ともあれ、彩子は道場の扉を開けた。

「おかえりなさい」

「お前は……」

 闇子(やみこ)という名前が何故か口から出なかった。

 彩子は幼い頃の闇子しか知らない。単眼の異形なら闇子なのであろうという、どこか(ばく)とした認識しか持っていない。

「何故、此処に居る?」

「さぁ……どうしてかしら」

 闇子はどこか莫迦(ばか)にした笑みを浮かべながら、道場の隅にある畳に座っていた。彼女の周りは、まだ夜が明けていないように闇が暗く纏わりついている。

「やっと貴女を殺しても良いという許可が下りたのよ。本当はもっと早く(うかが)いたかったのだけれど……待たせてしまって御免なさいね」

「許可? なるほど、許可ね」

 闇子の後ろには誰かが居るということなのだろうか。彼女を造った人物の影を追おうとして、彩子の思考は(しば)し時を駆ける。

「つまるところ、告死天使(アズラエル)は蘭丸ではなく、闇子()のほうだったというわけだ」

 闇子は音も無く立ち上がると、黒い日傘に仕込んである迷刀(めいとう)宵闇(よいやみ)』を抜いた。

 異形の瞳が嬉しそうに歪む。

「だが、私もそうですか(・・・・・)と殺されてやるわけにもいかない」

 彩子も妖刀『電光石火』を持って構える。

「音よりも速く斬るから、今度こそ花のように潔く死ぬことだ」

 道場に残る闇が不穏に空気を揺らす。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み