第39話「私、のこと」~公演、左団扇の跋~

文字数 948文字

 私は洋装の青年と黒い着物を着た男の人に連れられて、見覚えのある家へと帰ってきた。

 少し乱暴に扱われながら、私が入れられた金魚鉢は東向きの窓の(そば)に置かれた。

 硝子(ガラス)越しから覗ける部屋には、布団で横になっている少女と、その父親。

 黒い着物を着た髪の長い男性が何かを父に告げていて、困ったような、慌てたような表情で父は何度も頭を下げていた。

 青い髪をした青年が金魚鉢に近づいてきて、私を眺めている。

 私が赤く(あか)いドレスをヒラヒラとさせて挨拶すると、その何処か透明を感じさせる青年は頼りない笑顔を見せてくれた。

 何だかそれが嬉しくてお礼を云おうとしたのだけれど、言葉は泡となって浮かんでいくだけ。

 その後のタメ息も、やはり泡になって浮き上がった。

 ふと、彼の瞳の奥に風景が見えた。とても奇妙な光景だ。

 瓦礫に埋もれた東京。怪我を負って、逃げ惑う人たち。私が仁丹(じんたん)塔と呼んでいた瓢箪(ひょうたん)池の向こうの凌雲閣(りょううんかく)も崩壊している。

 あれは何だろう?

 そう問うと、青年は悲しそうな瞳で口に人差し指を当てた。内緒、というふうに。

 幻だったのか。今は澄んだ湖面のように青い瞳が揺れているだけだ。

 客人が帰ると、部屋には私と私の抜け殻だけになった。

 少し、眩暈(めまい)がする。

 私は青い瞳の向こうに見た光景を思い出していた。とても悲惨で、例えようも無く死が渦巻く惨状を。

 あの青年は、この部屋に「死」を置いて帰った気がしてならないのだ。

 目の前の「自分だったもの」は、僅かにさえ動かず目を見開いたまま天井を見つめている。

 まるで死人のようだ。いや、あれは死人であるのに違いない。

 だって思考をしているのはあちら(・・・)の私ではなくて、こちら(・・・)の私なのだから。

 静かな夜に、耳を澄ますと音楽が聞こえる。

 ――美しき天然。

 その曲は遠くから私の頭の何処かに棲み着き、私を楽しませ、時に哀しませる。

 私の世界は永遠で満たされている。

 永遠に叫び続ける私。

 永遠に憧れ続ける私。

 永遠に永遠を望み続ける私。

 永遠の遠国のような私。
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