第14話「二人でお茶を」

文字数 4,791文字

 ニッカリ青江は(あやかし)を斬ったという逸話を持つ名刀である。

 元は浅葱(あさぎ)の持ち物であったが、才能と実力を認められた(あかし)に彼から亜緒(あお)へと本刀は渡った。

 現在は何の因果か蘭丸(らんまる)の愛刀として主人の腰に下がっている。



 枯葉舞う道を下校していた。

 刀の帯刀が許可されてから初めての学校は、やはり居心地の悪い一日となった。

 ただでさえ蘭丸は、その容貌から他者の視線を惹き付ける。刀の所持は輪をかけて目立つ。

 当たり前だが、世の中には刀を持たずに暮らしている人が殆どなのだ。

 教室では元々独りであった蘭丸だが、クラスメイトとはますます距離が開いた気がしたし、実際その通りであった。

 蘭丸が()る流派の剣術道場の息子であることは、多くの生徒が知っている。その彼が真剣を持ち歩いているのだ。普通の感覚でいえば、敬遠されてしまうのも無理からぬことであろう。

 特別扱いが許されるということは、そういうことだ。

 もちろん、逆にこれを話しかける好機と考えた者も居たかもしれない。

 しかし蘭丸の人を寄せ付けようとしない独特の雰囲気が、彼らの足をことごとく止めてしまうのだった。

 そのことに本人はまるで気がついていないのだから、損な性分(しょうぶん)である。

 本当は蘭丸だって心を許せる友が欲しい。ただ、他人との付き合い方、距離の縮め方を彼は知らずに十六歳になってしまった。

 帯刀が許されるというのは、実は他人が思うほど良いものではない。

 どちらかというと、損な役回りなのだ。

 己の身が命の危機に晒されるよりも、他者の命を守るための抜刀が原則とされるからだ。

 ()ず、妖と相対したら背を向けることは許されない。人が襲われていれば(なお)のこと、妖を斬らねばならない。

 人に対しては、私情に駆られて抜刀することが許されないのはもちろん、悪戯に刀を誇示することも禁止。

 相手が刀に相当する武器を持っていて、他者に一方的な危害を加えている場合のみ、仲裁の目的で抜くことは許されているが、それでも相手より先に刀を抜いて構えることは許されていない。

 他にも、まだまだ挙げればキリが無いほど禁則事項は多い。

 あくまで帯刀(・・)許可証であって、殺人(・・)許可証ではないのだ。

 だから一見すると物騒なイメージだが、帯刀を許された者の近くに居るほど安全なことはない。けれども、その辺の諸々(しょしょ)は一切一般的には知られていない。

 加えて妖見廻(みまわ)り組からも要請があれば強制で参加しなければならず、思いの(ほか)、面倒ごとが多いのだ。

 実のところ、許可証を持っているからといって帯刀の義務は無い。持っても、持たなくても良い。しかし、蘭丸は妖に狙われているという疑惑があるため、彩子(さいこ)と浅葱から帯刀を厳しく命じられていた。

 この時期、登下校時ならば着用したマントで刀をある程度隠すことが出来るのが救いである。

 悪目立ちをしたくないという気持ちもあるが、刀を持ち歩くという行為自体に慣れなくて戸惑うのだ。

 反面、刀を持っていると安心できる自分を自覚してもいるから救われない。物心ついた頃には、(すで)に刀とともにあった蘭丸である。そこは三つ子の魂百までというところだろうか。

「あの、すみません……」

 背後からのか細い(・・・)声に引き止められて振り向くと、蘭丸は一歩下がって抜刀のための距離を作った。

 葡萄(ぶどう)色の髪と瞳。色白を通り越して、蒼白な顔色の輪郭の中の無表情。「傀儡子(くぐつ)」の(ふみ)を手渡してきた少女だ。

「また、橋の上で会いましたね」

 蘭丸は笑顔で応えるが、その表情は硬い。

『傀儡子の少女には気をつけろ。二度目の出会いがあったら、ほぼ間違いなく妖だ』

 浅葱の忠告を思い出す。

 確かに「文渡し」で、今まで再会した相手はいなかった。少女の異質な(たたず)まいも含めて、怪しい。

「文は読んでいただけましたか?」

「ええ。とても個性的でした。最近はああいうのが流行(はや)りですか?」

 蘭丸の言葉に少女は首を(かし)げた。瞳が(うつ)ろに揺れている。

 この場で斬るか悩んだ。人目が多い。何より彼女が妖という確実な証拠が無い。

 浅葱は「ほぼ間違いない」と言った。つまり、断定はしていない。が、警戒は必要だ。

 結局、妖かどうかの判断は蘭丸自身で見極める必要がある。

 一際強く、風が二人の髪を横に流した。マントも(ひるがえ)って、蘭丸の腰に下がった刀が(あらわ)になる。

「物騒なものをお持ちですのね」

「私はそういう男なのですよ」

 刀に(おび)えて引いてくれればと思ったが、少女から出たのは意外な一言だった。

貴方(あなた)は神様を信じますか?」

 あまりに突飛な決まり文句だったので、蘭丸は数瞬反応が遅れた。

「残念ながら、まだ見たことも無いですね」

 何のことはない、宗教の勧誘であったと(きびす)を返す。妖かどうか迷ったことに気恥ずかしさを覚えながら帰路(きろ)に戻るのだった。

「お待ちください。せめて話だけでも聞いてくださいませ」

 宗教の勧誘はしつこいと聞いたことがあるが、少女も生半(なまなか)ではない。蘭丸の後をピタリと離れずに付いてくる。このままでは、家まで付いて来かねない。

 蘭丸は再び振り返って、少女の葡萄色の瞳を覗き込んだ。

「俺は神を信じない。誰が何と言おうとだ」

 静かだが刃を突きつけるような鋭い声が少女に刺さる。

「分かったら俺以外の者を勧誘しろ。その方がまだ望みがあるというものだ」

「私も神様なんて信じていません」

「………………」

 またしても意外な一言を受けて言葉が詰まる。

「呆れたな。つまり君は、信じてもいない神を他人(ひと)()いて回っているわけか?」

 世も末ここに極まるといった態度の勧誘者に出会ってしまった。

 やはり、今日は蘭丸にとって気疎(けうと)い日なのかもしれない。

「いえ、神様は居るんです」

 蘭丸は眉根を(ひそ)めた。訳が分からない。分かるのは、この娘を自分から引き剥がすのは骨が折れるということだけだ。

「分かった。話を聞くだけだぞ」

 溜め息とともに根負けする。こうなったら話を聞いて、厄介な憑き物を落したい気分であった。

此処(ここ)は騒がしいですから、静かでとても落ち着く(ところ)へ場所を移しましょう」

 心なしか、少女が笑った気がした。

 * * * * * * * * * * * * *


 午後になって風が吹き始めると、気温が急に下がり始めた。

 年の瀬も間近に控えた時期であるから、空気も(りん)として冷たい。

 彩子と浅葱は(いとま)を利用して、年末の大掃除を二足(・・)ほど早く済ませた後だった。

 今は火鉢を囲んで茶を飲んでいる。

「浅葱殿が居てくれて助かったよ」

「礼には及びません。蘭丸くんと二人だけでは大変でしょう?」

 浅葱は四体の女人形(にょにんぎょう)使役(しえき)するから、一人で実質五人分の働きをする。彩子は家事と()うと腰が重くなる性質(たち)なので、年越し行事の一つが早々と片付いたのは有り難い。

「それにしても、貴方の(こしら)えた人形は見事なものだ。本当に人と区別が付かない」

 座敷の四隅に控えた人形たちを、彩子はマジマジと見つめながら言った。

 厳密に言えば、人との見分けは付く。それは感情の乏しさや、無駄な動きを一切しない仕草などの不自然な様子からであって、外見に限っていえば人と何ら変わるところは無い。

「しかし、着付けが逆だ。これじゃ死装束ではないか」

「彼女らは生きているわけではない。死人と一緒だから、これで正しいのだ」

 温和な笑顔で言ってのける浅葱に「それは、そうなのかもしれないが」と、彩子は曖昧な返事で濁した。

 人の顔を持ち、浅葱の言いつけとはいえ自ら動き回る存在に対して、そこまで割り切ることが出来ない。

 ただの人形でさえ、着付けは人と同じだというのに。

 茶飲み話は他愛の無い世間話を経て、自然と蘭丸へと流れていった。

 良くも悪くも、二人を繋ぐ共通人物は蘭丸しかいない。

「蘭丸くんといえば、少々気になることがある」

「なんだい。いきなり」

 浅葱が深刻な表情に変わる瞬間を、彩子は見逃さなかった。こんなときは決まって真面目で重い話をする。それを分かっているから、彩子は自然と心の中で身構えてしまう。

「私の瞳は多少なりとも人の本質を見抜く」

「知っているよ」

 雨下石(しずくいし)の人間の厄介な部分である。彩子は口に出さないが、これさえ無ければ浅葱は本当に良い友人だと思う。

「彼は闇に捕らわれているな。だから妖が寄ってくる」

 怪しい文の件も偶然ではないという。

「蘭丸の妖艶(ようえん)さが魔を惹き付けるんだ」

 誤魔化すように彩子は煙草(タバコ)に火をつけた。煙が螺旋(らせん)を巻く。

「それとは別に彼自身、闇に魅入られているように思うのだがな」

「彼は訳アリでね」

 それ以上は話したくないという口調が伝わったのか、浅葱は話題を引っ込めた。

 (しば)し間が()く。

「実は今朝、蘭丸くんを私の弟子にと誘ったのだが――」

「ぶーっ!」と彩子が勢い良くお茶を吹き出した。その飛沫が浅葱の顔面をしとど(・・・)に濡らす。

「彩子殿……」

 すかさず二体の女人形がハンカチで主人の顔を(ぬぐ)う。

「す、すまない。しかし、浅葱殿も人が悪い」

「安心したまえ。ハッキリと断られたよ」

「そう……なのか?」

「正直、嫉妬にも似た感情を覚えたね。彼は君を師と同時に母のように慕っているようだ」

 浅葱の入り込む余地など無かった。それほどまでに固い絆を感じた。

 ――しかし、それは果たして良いことなのか?

「そんな……そうかな……そうなのか」

 彩子の表情がみるみる(・・・・)と緩んでいく。

「嬉しそうだね」

 浅葱は嫌な胸騒ぎを感じるのだが、口に出すのを避けた。まるで年頃の娘のように照れる彩子を久しぶりに見たし、その笑顔に水を差したくなかったのだ。

 それに浅葱の勘は外れることも多い。取り越し苦労ということも充分にありえる。

「だいたいアレだぞ? 浅葱殿には次期当主であるユニークな愛弟子がいるのだから、ウチの蘭丸に手を出すのは良くないな」

「誤解してもらっては困る。確かに奴は弟子ではあるが、私は彼に何ら特別な期待を抱いてはいない」

 期待外れもいいところだ。と、浅葱は渋い顔で茶を(すす)るのだった。

「ところで、そろそろ蘭丸の下校時刻なのだが、浅葱殿は此処でのんびりと油を売っていてもよいのかな?」

「おっと、いけない。大事なデートの時間に遅れてしまうな」

 浅葱は音も無く立ち上がると、一体の人形を連れて寒空の下へと出てゆく支度(したく)を始めた。

「気持ちは分かるが、ウチの蘭丸を口説くのはこれっきりにしてくれよ」

 彩子が玄関口まで見送りに来る。よっぽど浅葱の引き抜き話がショックだったのだろう。
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