第17話「妖刀の記憶」

文字数 2,727文字

 蘭丸(らんまる)は『電光石火』を抜いたまま、その黒い刀身を鞘へと収めずにいた。

 (むらさき)は既に蘭丸の間合いから逃れている。さすがに用心深い。

『あの黒い刀、何か変だよ。亜緒(あお)ちゃん』

 玉響(たまゆら)の声が亜緒の中で震えていた。

 気がつくと、(ぬえ)も亜緒の体にしがみ付いて怯えている。

 二人の様子が尋常で無い。

 蘭丸の持つ刀を怖れているようだが、その理由が亜緒にはよく分からない。単に感じ取ることが出来ないだけなのかも知れないが。

 どちらかというと、亜緒は黒い妖刀よりも蘭丸らしくない異変のほうが気になるのだ。

 何故、蘭丸は刀を鞘へと納めないのか。居合いの達人であるのだから、本来は体勢を戻して仕切り直すのが定石(じょうせき)であるはずなのに、刀を抜いたまま動かない。

 相方の腑に落ちない行動に危惧の視線を向けつつも、何も出来ない自分に歯痒さを感じる。

 間も無くして辺りの空気が震動しているような違和感に気づくと、玉響の声が(つら)そうに頭の中で響く。

『嫌な音! だから妖刀使いは嫌いなんだよー!』

「玉響?」

 鵺も耳を塞いでいる。しかし、亜緒には異音のようなものは何も聞こえない。

 状況は穏やかとは云えないが、儚き虫の声まで耳に乗る静かな夜だ。

「蘭丸、刀を鞘に納めろ! 何故、攻撃の構えを取らない?」

 声が届いていないのか、蘭丸からは何の反応も無い。

 妙なのは紫も立ったまま動かないことだ。

 隙を狙っているようにも見えるし、お互い攻め(あぐ)んでいるようにも見える。

 亜緒の位置からは二人の表情までは分からない。もしかしたら、玉響の言う「音」が紫にも聞こえているのかもしれない。

 ――私は稲妻が好きだ。変か?

 亜緒は何処か遠くで誰かの声を聞いた気がした。少しハスキー掛かった落ち着いた女性の声だ。

 途端に辺りが暗くなった。

 今は真夜中であるから辺りは暗くて当然なのだが、それでも神社の中には灯篭の灯りだって揺れている。真の暗闇などあるはずがない。

 何よりも、先程まで視認出来ていた蘭丸と紫の姿まで見えないのだ。

 この現状において、明らかに異常な「闇」。

 また闇子(やみこ)の仕業なのかと思ったが、彼女の気配は感じない。

「玉響。何か気づいたことはあるか?」

『コッチは煩くてそれどころじゃないよー!』

 どうやら音はまだ続いているらしい。亜緒は頭の上の狐耳を両手で塞いでみた。

「いくらかはマシかい?」

『うん……。ありがと』

 頼りない返事が返ってきた。しかし、こうなると鵺のことが心配になってくる。辺りが闇に包まれてから、鵺の響きを感じない。

「鵺!」

 叫んでみたものの、返事は無い。さっきまで、傍に居た鵺の存在感まで消えてしまっている。

「そうだな。君の名前は蘭丸にしよう。理由は無い。ただ、何となく思いついたのさ」

 先程の女性の声だった。

 流れるような長い黒髪。白磁(はくじ)のような肌。スリムな体型。クールだが、どこか優しそうな光を湛えた瞳。

 美しい、落ち着きを持った女性だ。

 今度は容貌が活動写真のように闇の中に映っている。

 闇子に似ているが、単眼ではない。袴を着たその女性は、普通に人に見える。

「私は稲妻が好きなんだ。変か?」

 女性の映像と声が切り貼りのように続いてゆく。

「俺は特に何も感じません」

 少女のような顔立ちをした少年が、女性に返事を投げ返した。やや緊張した面持ちで居心地悪そうに正座をしている。

 ――子供の頃の蘭丸か。では、コレは蘭丸の記憶なのか?

 慧眼(けいがん)は少年が幼き頃の蘭丸であることをすぐに見抜いた。

「君には情操教育から教えなければならないな」

 女性は静かに微笑みながら言った。言葉は続く。

「私はね、やはり妖刀は(あやかし)を斬るためにあるのだと思うよ」

 どうやら映像は時系列に沿って現れているわけではなく、ブツ切りにした場面場面を秩序無く映し出しているようだ。脈絡や関連性が無い。

「そうか。彼女は『電光石火』の一つ前の所有者なんだ」

 これは妖刀の記憶なのだと亜緒は直感的に理解した。

 何故、こんなものが見えるのかまでは気づいていない。

 これは妖刀が亜緒に見せている記憶なのだ。それは必然であり、特別な意味がある。

 もちろん、まだ知る必要の無い必然ではあるが。

 突然、幾重もの雷光が大小不規則に闇を斬った。妖刀の思い出も剥がれ落ちて、再び僅かな明かりが揺れる夜へと亜緒は帰ってくる。

 丁度、蘭丸が刀を鞘へと納めるところだった。

 その数歩先には紫が参道を挟んで方膝を突き、血を流している。

 人を斬らないことを信念のように口にしている相方が斬ったのだろうか?

「鵺、あれは蘭丸がやったのか?」

 亜緒の声には軽いが適度に重さを持った驚きが含まれていたが、同じくらい納得の質量も乗っていた。

 誰だって殺すつもりで向かってくる相手には刀を抜く。無抵抗平和主義など、妖刀使いにはらしく(・・・)ない。

「亜緒には雨下石(しずくいし)家次期当主としての自覚が全然足りていないと鵺は思う」

 鵺から発せられたのは返事ではなく、イライラとした何か別の感情のようなものの塊だった。しかし、自覚が無いというのは当たっているには違いない。

『亜緒ちゃん、もう耳から手を離してもいいよ~』

 いつもの玉響の、どこか不思議と間延びした口調が戻ってきていた。もう音のほうは止んだようだ。

 知覚できなかっただけで、鵺も亜緒の傍を離れてはいなかったのだろう。

 音も闇も映像も、『電光石火』の刀身が原因だったらしい。

 蘭丸が納刀(のうとう)したので、不可解な現象は(ようや)く終わりとなったわけだ。

 鞘は同時に刃の(きょう)を押さえつける役割も担っている。妖刀もまた(しか)り。

 鞘の無い刀は、(すなわ)ち凶刃となってしまう。

 ゆるゆると鵺のほうへ視線を泳がせると、不機嫌に頬杖をついている。

 これは玉響が亜緒の中から出て行かない限り、収まらないのかもしれない。

 (まつ)られるモノとしての本能か。人の体を持ってしまった故の感情か。

 どちらであるにしても、両方であるにしても、亜緒の弱さが原因だ。

「鵺、情けない跡継ぎで苦労かけるな。本当……」

 自嘲を込めて呟く声は、不意にやって来た夜風に流れた。
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