第38話「花鏡のこと」~公演、左団扇の伍~

文字数 4,324文字

 (あやかし)に銃は効かない。

 倒せるのは何故か刀のみである。

 詳しいことは分かっていないが、人の念が宿っているからだと風の噂は伝える。

 刀は刀匠が時間を掛けて打つものだ。熱さと戦いながら、強い精神力と信念を込めて、命を削って作られる。

 同じ武器といっても銃とは工程がまるで違う。もし工場で大量生産されたとしたら、その刀は妖を斬れないなまくら(・・・・)だろう。

 人の魂の一部が製造過程で練りこまれるからこそ、刀は妖を斬ることができるのだとロマンチストは云う。



 誰も居ない黄昏(たそがれ)に、亜緒(あお)は桜の木にもたれながら、目の前を通り過ぎようとする人魚売りを呼び止めた。

「ちょいと人魚屋さん、人魚を見せてもらえない?」

 亜緒は能楽で使用される能面を掛けている。能面は「付ける」ではなく「()ける」と云う。

「おや、お嬢さん。人魚に興味がおありかな?」

 亜緒が掛けている面は「小姫(こひめ)」といって、可憐な娘を意味する。今、この場では誰がなんと云おうと亜緒は清楚で愛らしい娘なのだ。

 そういうことになる――という理屈である。

「うちの人魚はどれも綺麗で活きが良い。安くしとくよ」

 一方で人魚売りも面を掛けている。「怪士(あやかし)」。こちらは「二十から三十歳くらいの、男の亡霊」ということになる。

 亡霊は天秤棒を肩から下ろすと、水の入ったタライの蓋を取って娘に人魚を見せた。

「どの娘にします?」

「うーん。やっぱり新鮮なヤツが良いよねぇ」

 タライの中では数匹の人魚がオドオドと泳いでいる。

 それは金魚のような姿をしていた。女性の顔が張り付いている金魚。人魚というよりも、言葉の間に「()」を入れて『人面魚』といったほうが近いものだ。

 売り手も、買い手も、売り物も、皆一様(みないちよう)に面を掛けている。まるで演劇のような異空間。

「コレに決めた! 人魚屋さん、コレを頂戴!」

 亜緒が選んだのはもちろん、心を盗まれた依頼主の娘の顔が浮かんだ人魚である。

「お嬢さん、御目が高いねぇ。ソイツは仕入れたばかりの器量(きりょう)良しだよ」

「おいくらなの?」

「三千円《約百七十万円》! と云いたいけど、お嬢さんは可愛いから負けて二千円かな」

「まぁ、それでも充分高いわ。一円まで負からない?」

「それじゃウチは大損だ」

 人魚売りは亡霊に似つかわしくない高笑いをあげた。亜緒も面の下で薄笑いを浮かべている。

「では、こうしよう。お嬢さんには別のものを代金として支払ってもらう」

「まぁ、何かしら……」

「何ね、たいしたもんじゃない。俗世で魂とか命とか呼ばれている安っぽいもんですよ」

「いやだわ。それじゃ私、おじさんと同じ死人になってしまうじゃない」

「大丈夫だよ。魂を移す器をちゃんと用意してある。人魚になって、お嬢さんは永遠を手に入れるんだ」

 ――綺麗な紅いべべを着て、永遠の遠国へ行ってみたくはないかい?

「それって、常世(とこよ)の国?」

「そうそう、常世の国さ。老いることなく、ずっと若い姿のままで、綺麗な水の中を泳いで()ごすんだ。楽器を奏でるように、詩を(つむ)ぐように……素敵だろう?」

「それは確かに素敵だ。本当ならね」

 亜緒が面に手を掛けて、素顔を(さら)す。

「そういうカラクリだったのか。虚言甘言で夢見がちな少女を惑わし、同意を取ってから魂を盗む。魂なんて簡単には奪えないものだから、妙だとは思ったんだよね」

「あ、あんた騙したのか。私の人魚は正当な契約ありきのものだ」

 亡霊の口調から商売人らしい愛想が消えた。慌てている。

「未成年者の契約には保護者の承諾がいるんだよ!」

 亜緒は懐から銃を取り出すと人魚売りに銃口を向けた。

「まぁ、この場合、騙されるほうも騙されるほうだとは思うけどね」

 安い手口である。が、夢見がちな世間知らずは引っ掛かってしまうかもしれない。

「私に銃が効くと思っているのかい?」

「僕が撃つのは君じゃない。人魚だ」

 よく回る人魚売りの舌が止まった。

「手間暇かけて(つく)った高価な妖魚(ようぎょ)なんだろう? 死んでしまったら大損だ」

「分かった。貴方(あなた)が欲しがっていた人魚を一匹、無料で差し上げよう。それで今回は見逃してくれんかな」

「……いいだろう。しかし人魚売りなんて、あまり大っぴらにはやるなよ」

「ほどほどにするよ」

 人魚売りは亜緒の選んだ人魚を金魚玉に入れて渡すと、イソイソと背を向けて去っていった。

「良いのか? (ぬし)のことだから全ての人魚を押さえると思っていたが」

 (ぬえ)が桜の木の上から声をかけてきた。彼女はゆっくりと静かに、亜緒の胸の中へと降りてくる。

「どうして僕が依頼外の娘たちを救わなきゃならないのさ。この場合、掬う(・・)と云うのが相応しい言葉かな」

 亜緒は絡み付いてくる鵺の白く細い腕を取って薄い笑みを浮かべた。

 鵺もクスクスと小さな笑いを喉から(こぼ)して応える。

 それでこそ雨下石(しずくいし)の人間だとでも言いたげに、薄桃色の花弁(かべん)が振る下で二人は抱擁(ほうよう)を交わす。



 人魚売りは薄明るい桜が並ぶ小道を走っていた。

 思っていた以上に、雨下石家が出てくるのが早かったのが気にかかる。この事実に身の危険を感じて、焦る気持ちが自然と足を急がせるのだ。

 (しばら)くは身を隠す必要があるかもしれない。でなければ命を取られかねない。(いや)、確実に取られるだろう。

 人魚を売買するには雨下石家と政府、両方の許可が要る。亡霊は当然、無許可で売っている。そもそも人魚とは名ばかりの、邪法で創った妖魚だ。許可が下りることなど絶対に無い。

「?」

 行く手に人影を認めて、人魚売りは足を止めようとした。

「剣士? 妖退治屋か」

 この時代、帯刀(たいとう)しているのは警官、軍人、そして妖退治屋だけだ。警官も軍人も使用するのは西洋式のサーベルだから、日本刀を下げている者は全て妖退治屋ということになる。

「厄介だな」

 人魚売りは舌打ちをした。引き返せば雨下石家の人間がいる。

 一旦、足を止めようとするが――。

「止まらない? 足が……足が!」

 (きびす)を返そうとしても足が言うことを聞いてくれない。それどころか、まるで坂道を転げ落ちるように速度は増すばかりだ。

「雨下石の小倅(こせがれ)が何か小細工をしたのか!」

 急速に迫る妖退治屋の顔にも面が掛けられているのが確認できた。

 「夜叉(やしゃ)」。悪霊を払う善鬼神の鬼面だ。

 怪士(あやかし)は夜叉に退治されなければならない。どんなに(あらが)おうと、それが役回りというものだ。

 墨黒色の着物を纏った夜叉が、刀の柄に手を掛けて構える。人魚売りは猛スピードで、その予定調和へと突っ込んでゆく。

「音よりも速く斬るから、花のように潔く散れ!」

 亡霊は耳の奥で雷鳴を聞いた気がした。

 電光一閃! 空間には強い衝撃を受けた鏡のようなヒビが入り、人魚売り諸共(もろとも)、世界が割れた。

 後に現れし光景は、散りゆく花も無くなった葉桜が並び立つ小路(こみち)

 人々の往来(おうらい)。騒がしい声。その雑踏(ざっとう)の中から亜緒と鵺が現われる。

「良い腕だな、蘭丸(らんまる)。結界まで斬ってしまうとは、さすが妖刀『電光石火(でんこうせっか)』」

「これは一体どういうことだ?」

 蘭丸からしたら、まるで数日の時間が一瞬で過ぎ去った気分である。否、実際に過ぎ去ったのかもしれない。

「花鏡というやつだ。『はなのかがみ』とも云う」

 花鏡とは鏡に映る花のことである。見ることは出来ても手に取ることは出来ない実体の無いもの。儚い幻のようなものの(たと)えだ。

「通りモノみたいだろ?」

 今回は花鏡を舞台とした。通りモノには相応しい結界である。

「なんだか俺は化かされたような気分だ」

 何時(いつ)から自分は花鏡の舞台を踏んでいたのか。

 常世の国へと足を踏み入れたときからか。

 喫茶店で青い髪の青年と契約を交わしたときからか。

 それとも帰り道に妙なチンドン屋と擦れ違ったときからだろうか。

 花は人を惑わせる。結局、蘭丸は桜に惑わされたのかもしれない。

「蘭丸、これが人魚だ。今回の依頼人の娘の、中身だな」

 亜緒が金魚玉に入った人魚を見せる。

「金魚みたいだな」

「人魚の偽物だからな」

「そんなものを作ってどうするんだ?」

「上海辺りで金を持て余している物好きや好事家に売るのさ」

 実際、毒や呪術、漢方の材料にもなるらしい。

「こんなものでも部屋に置いて眺めるだけで、ちょっとした不老の効果くらいはあるんだぜ」

 亜緒は人魚の(まが)いものがオドオドしながら泳ぐ硝子(ガラス)の玉を覗き込む。

 金魚玉とは硝子製の球形容器である。

 江戸時代、金魚売りは客が買った金魚を金魚玉に入れて持たせた。そして風鈴のように、軒に吊るされた金魚玉は夏の風物詩の一つだった。金魚が流行った時代の、なんとも風流な入れ物である。

「結局、通りモノとは何だったんだ」

「人だよ」

「なに?」

 蘭丸の声が動揺して跳ね上がる。

「正確にいえば術士だな。どうだ蘭丸、人を斬った感想は」

 亜緒の口元が意地悪く歪む。

「ふん、別にどうもしない。アレは亡霊だったではないか」

「まぁ、今回はそういうことにしておくか」

 妖刀使いとはいえ、妖だけを斬るというわけにはいかない。時には人だって斬らねばならないこともあるのだ。

 所詮、「人は斬らない」とは甘えなのである。その甘えは、いつか蘭丸自身を殺す。

「蘭丸、妖刀使いの(ごう)から逃げるなよ?」

「お前に云われるまでもない」

 青い髪と瞳の術士と、漆黒の着物を纏った妖刀使いが初夏の風を切って歩く。その先にある試練を、未熟な二人はまだ知らない。
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