第2話「対価」

文字数 3,743文字

「随分と綺麗になったじゃないか」

 稲荷(いなり)神社の鳥居の前まで来ると、中の様子を眺めながら亜緒(あお)が感心したように云った。

 亜緒と(むらさき)が戦ったせいで全壊した稲荷神社は、雨下石(しずくいし)家が再建費用を出して新しく建て直されたのだ。

 ただ、紫が妖刀『客死静寂(かくしせいじゃく)』で斬った鎮守(ちんじゅ)の森だけはどうしようもなく、かろうじて残った一部分だけを残したままになっている。

「新築だからねぇ。亜緒ちゃん、もう壊さないでよ?」

 玉響(たまゆら)が嬉しそうに云う。いつも通りの薄く笑ったような表情に変わりは無いが、声が弾んでいる。

「何度も云うけどさ。場所を指定したのも、壊したのも紫のほうなんだぜ?」

 神様からしたら、どちらでも同じことなのかもしれない。

 玉響は亜緒の手を取り、「さぁ、行きましょう」と鳥居の下を(くぐ)った。

 するともう、其処(そこ)は京都の伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)だった。

 二人はいつの間にか、千本鳥居の中を本殿へ向けて下っていた。

「これは便利だな。交通費無料で京都へ来れる」

「今夜だけウチの神社の鳥居と此処(ここ)の千本鳥居が空間を越えて繋がっているんだよ」

「さすが神様、何でもアリだね」

「神様だって、出来ないことはたくさんあるけどね~」

 玉響は変わっている。と、亜緒は改めて思う。

 貧血で低血圧そうな言動は個性だろうから良いとして、()ず巫女服を着ているのが変だ。

 仮にも宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)神使(しんし)なのだから、それに相応しい格好というものがあるだろう。

 眼鏡もそうだ。亜緒の見たところ、玉響は別に視力に問題があるわけでは無さそうなのである。

 それでも巫女服を着、眼鏡をかけている。

 亜緒が子供の頃からの仲であるが、妙に人間臭いところがあるくせに雰囲気は人間離れしていて、初めて会った時には幽霊の(たぐい)かと思ったほどである。

「こっちはまた随分と冷えるなぁ」

「此処は稲荷山の(ふもと)だからね。年の瀬も近いし、そりゃあ冷えるさ」

 亜緒がコートの(えり)を立てる。

「稲荷寿司とか、酒の一本でも下げて来るべきだったかな」

 何と云っても、神様に謁見(えっけん)できる(まれ)な機会をいただけたのである。最低限の礼儀くらいはポケットの中に一つ二つ、突っ込んでおくべきだったかもしれない。

「そんなに気を(つか)うことないと思うよ……ほら、本殿が見えてきた」

 幾本もの行灯(あんどん)に照らされて、豪放にして優華な(おもむき)漂う建物が、もう目の前まで近づいていた。

 亜緒は好奇心に押されて足取りは軽かった。彼には何処(どこ)か子供っぽいところがある。

「ねぇ、亜緒ちゃん……」

 先を行く玉響が珍しく神妙な顔付きで振り返った。

「今日はね、シャレじゃ済まないかもしれないんだ。亜緒ちゃんは私に名前を付けてしまったことの対価を支払うために呼ばれたんだから」

「分かっているさ」

 遊びに来たわけではない。亜緒だって、そんなことは最初から理解して此処に居るのだ。

「出来ることなら私、亜緒ちゃんを此処へは連れてきたくなかったの」

「分かっているから、だから行こう」

 亜緒が玉響の広いおでこ(・・・)を軽く小突く。彼女は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の分身みたいなものなのだから、本体に逆らうことなど出来はしないのだ。

 本殿の外には(すで)に二人を案内するための娘が一人立っていた。オカッパ頭の上には狐の耳が生えていて、玉響よりも見た目は随分と若い。彼女も神使の一人なのかもしれない。

「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」

 愛想の欠片(かけら)も無く、二人を案内すると若い神使は何処(どこ)かへ行ってしまった。

 連れてこられた本殿の中は、外からの見た目よりも意外に広かった。無駄な調度品など一切無い無機質な空間は、時間の流れさえ排除してしまったかのような廃墟に似た感じを亜緒に与えた。

 綺麗に整った廃墟。此処が神様が住まう部屋。

「良く来たのう。雨下石家次期当主よ」

 壁代(かべしろ)の向こうから、何とも優美な声が響いた。

()(なんじ)を呼びつけた宇迦之御魂(うかのみたま)じゃ」

 名乗った本人の姿は見えない。壁代というものは目隠しの目的で用いる(とばり)だからだ。

 貴族の屋敷などで、高貴なる御方が自らの姿を相手に見せずに会話をするために使うアレである。

「いつも我が神使の一つと仲良くしてくれて感謝している」

 壁代越しの影が、(くわ)えた煙管(キセル)から煙を吐く仕草が見えた。

「その礼も兼ねて、今宵は汝の願いを一つだけ叶えてやろう。何なりと申してみよ」

「それじゃ、姿を見せてくれよ。神様の素顔を拝見したい」

 壁代の向こう側の神は黙って煙管を吸っている。さっきから視認できるのは煙だけだ。

 玉響が亜緒の(そで)を掴んで首を左右に振った。無礼な発言は控えて欲しいということだろう。白く細い指が、亜緒の身体に震えを伝えてくる。

「じゃあ三十円をくれないかな」

「願いが金銭ごとなら、そんな端金(はしたがね)ではなくもっと高額を与えることも出来るが?」

「友人に借金している額が丁度三十円なんだ」

「汝は欲が無いな」

 コートのポケットの中で、控えめな金属音が鳴った。亜緒が手を突っ込むと、二十円金貨一枚と五円金貨二枚が入っていた。

「これはまた随分と珍しいものを……」

「余興も済んだことだし、改めて本題に入るとしようかの」

 壁代の向こうの声音(こわね)が変わった。もともと感情自体が薄かったが、今度は感情そのものが消えた感じだ。逆に威圧感は強まって、亜緒と玉響の身体を締め付ける。

「汝を呼びつけたのは、我が眷属に名を付けた件についてじゃ」

 人それぞれに等しく、神は皆のモノ。名を付けるという行為は、皆のモノを独り占めするということに他ならない。

 人は自分の子供、ひいては縫いぐるみや人形にまで名を付ける。それは乱暴に云ってしまえば、所有欲の現われだ。

 だからこそ、神に名を付けることは禁忌(きんき)なのだ。

「人の……悪い癖じゃな。汝にはその代償を払って貰う」

 煙の中で宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が指を鳴らすと、亜緒の右目から鮮やかな青が流れ落ちて視界が半分消えた。

「汝の片目は余が確かに貰い受けた」

 壁代の向こうでお手玉のように眼球を扱う神様の影を、亜緒は残った左目の世界から見た。

 雨下石家の特別な能力を宿した瞳の片方が、神の眷属に名を付けた対価。

 ――神と縁を結ぶと(ろく)なことにならない。

 月彦(つきひこ)の忠告が亜緒の耳奥で(こだま)する。しかしながら、この結果は幾分マシなものだったのだろう。

 取りも直さず、命は助かったのだから。

「亜緒ちゃん、ゴメンね。本当に、御免なさい!」

 帰りの千本鳥居を上りながら、玉響は泣きながらずっと亜緒に謝っていた。

「もう良いって。だいたい玉響が謝る必要は無いんだぜ? 命の代償にしては安いもんだ」

「でも亜緒ちゃん、左目だけになっちゃって……霊力も、慧眼(けいがん)の力だって弱くなって、もしかすると次期当主の座だって――」

「お前はやっぱり変わってるよ。人懐っこくて寂しがり屋で……神様ってのは例え分身であっても、もっと超然としてるもんだ」

 亜緒はハンカチを取り出すと、玉響の涙を優しく(ぬぐ)った。



 一方、壁代の向こう側。亜緒がずっと気にしていた神の姿が、其処にはあった。

 銀と紫を基調にした豪奢(ごうしゃ)な着物に身を包み、白磁(はくじ)の肌と金髪の髪を伸ばした狐の神様が狐火を(はべ)らせながら煙管に小さな唇を付けている。

 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)はタメ息とともに紫煙を吐き出した。

「ご苦労様でした」

 落ち着き払っていて耳に残る声が、本殿中の闇に溶けてゆく。

「本当にこれで良いのか? あの者は雨下石家の跡継ぎなのであろう?」

「いいのですよ。これは罰なんですから」

「汝には借りがある故、言う通りにしたが……余はあそこまでする気は無かったのだがな。そもそも自分の息子を弱くしてなんとする?」

 雨下石(しずくいし) 群青(ぐんじょう)は裏の無い笑顔で微笑んだ。

「相変わらず何を考えているのか分からん奴じゃ」

 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は持っていた煙管をクルリと一回転させると、煙草(タバコ)盆に灰を落とした。

 群青の(まが)(はら)んだアズライトの瞳が妖しく光る。
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