第26話「妖退治屋たち」

文字数 2,900文字

 屋敷の奥、広い和室の中心に四方を注連縄(しめなわ)で囲われた畳二枚分のスペースがある。

 成明(なりあきら) (あや)は、その中で行儀良く正座をしていた。

 彩子(さいこ)は思わずタメ息を()いた。本来ならば此処(ここ)月彦(つきひこ)が担当するはずであったのだ。それがどういうわけか、いきなり担当が彩子に変わってしまった。彩子と蘭丸(らんまる)はホールでの月彦と綾のやり取りを見ていたから、だいたいの察しはつく。

 綾が東次郎(とうじろう)氏に担当を変えさせたのだ。

 彩子と月彦の二人、妖刀使いのどちらか一方が綾の(そば)で最終防衛線を張る手筈であったから、月彦が駄目なら彩子になる。

「お嬢さん、私達は迎え討つよりも積極的に(あやかし)を斬りに行くほうが(しょう)に合っているんですけどね」

 そういう妖刀であり、そういう流派だ。

「今からでも月彦殿と役割の変更をさせてくれませんか?」

 綾は少しだけ微笑むと、彩子から視線を逸らした。「そのつもりは無い」ということだろう。

「蘭丸、お前からも言ってやってくれないか?」

 彩子はイライラとした手つきで懐を探ると、煙草を取り出して火を付けた。煙が二度目のタメ息となって辺りを漂う。

「君に聞いてみたいことがある」

 蘭丸は綾の傍まで寄って、膝を突いた。

「君は父親が交わした妖との約束によって今、()き目にあっている。我が身可愛さに勝手な約束をした父親に言いたいことは何も無いのか?」

 まだそのことを気にしていたのかというふうに、彩子が横目で蘭丸の背中に視線を落とした。依頼人の事情に立ち入るのは、余計な行為だ。私情を排して妖を斬る。妖退治屋はそれだけで良い。

「そうですねぇ……」

 綾は少し考える様子で一呼吸置いた。

「文句の一つも言いたい気持ちは、確かにあります。でも……」

 また、綾は次の言葉を声にするのに一呼吸が必要だった。

「父を憎んで、今の状況が好転するのでしょうか? 私には更に悪くなるとしか思えないのです」

 十五の娘にしては達観している。否、達観しすぎている。それとも、親子とはこういうものなのだろうか。親の顔も知らない蘭丸には理解できない。

「ははは。蘭丸、お前の負けだ。お嬢さんのほうが一枚上手だったな」

 彩子が皮肉めいた笑い声をあげたとき、部屋の照明が消えた。おそらく屋敷中が停電状態になっているのだろう。

「心配には及びません。その注連縄(しめなわ)の中に居るかぎり、妖はお嬢さんの姿を見ることは出来ません」

 彩子は非常用のランプに火を(とも)した。

「ただし、声を出してしまえば効果は無くなってしまいますが」

 彩子が昔、浅葱(あさぎ)から教わった簡易(かんい)の結界だ。

「師匠、これは……」

「ああ、やっと狒狒(ひひ)が現われたな。蘭丸、屋敷内の様子を見てきてくれないか。()れるようなら殺ってしまって構わない」

 無言で頷いてから、黒衣の剣客は部屋を出て行った。

「大丈夫なのですか? 蘭丸様御一人で……」

「私が此処を離れるわけにはいきませんしね。それに、ああ見えて奴は滅法(めっぽう)強い。心配には及びません」

 煙草を(くわ)えたまま、彩子が不敵に笑う。こんなところで死んでしまうほどヤワな育て方はしていないつもりである。



 ホールに続く長い廊下で、数人の妖退治屋が薄闇の中で狒狒を相手に立ち回っていた。

 足元には使用人たちの死体。時折(やいば)がランプの灯りを受けて煌めく。

 食事には痺れ薬が混入されていたから、薬に耐性の強い退治屋が三人ほど、刀を抜いて狒狒と対峙しているのだ。

 一人は長身、長髪の男。
 二人目は「鬼」という文字が着物に躍る男。
 三人目は小太刀を両手に持つ二刀流。

 他は刀を抜くことも出来ず、狒狒の餌食(えじき)となってしまった。

 エレベーターに閉じ込められた者が居たとしたら幸運だったかもしれない。妖の餌にならずに済んだのだから。もっとも、そんな間抜けな退治屋など一人もいないだろう。彼らは狒狒を討つために此処にいるのだ。

 鬼文字をあしらった着物の退治屋の刀が折られた隙をついて、長髪の男が背後から狒狒に斬りつける。が、浅い傷しか与えられない。硬い剛毛が邪魔で刃が通りにくいのだ。すぐさま間合いを取ると、足元に転がる同業者と目が合う。痺れ薬にやられて満足に動けない状態を鼻で(わら)うと、男は構えを変えた。

 霞の構え。所謂(いわゆる)、突きの構えだ。

 袈裟(けさ)斬りでは剛毛に阻まれて(らち)が明かない。ならば突きで致命傷を与えるのみである。

 疾風のような鋭い突きの一撃。と云ってしまってもよいだろう。しかし刃の機動から狒狒は姿を消していた。

 ――心を読まれた。と思った瞬間、男は後頭部を丸太のような太い腕で殴られ絶命した。

 身の(たけ)八尺の巨体から繰り出されるパワーと、見かけからは想像もできないスピード。そして相手の心を読む能力。加えて気配を殺し、物音も立てずに移動する。

 狒狒は思った以上に手強い。

 しかし、残った二人の妖退治屋も町に看板を掲げるプロである。狒狒が複数人の心は同時に読めないことに気づく。ならば、二人同時に連携して攻撃すれば勝てるかもしれない。

「お主は刀を折られたようだが?」

 小太刀の男が鬼文字の着物人に問う。戦えるのか? という意味だ。

「元々俺は刀は不得手(ふえて)だ」

 男が懐から取り出したのは鬼を(かたど)った面であった。

「付けると人外の力を授けてくれる」

「そんなものがあるなら最初から使え」

「言うな。寿命と引き換えというリスクを持つ切り札だ」

 二人は頷き合うと同時に狒狒に向かっていった。

 * * * * * * * * * * * * *


 エレベーターは食事を二階へ運ぶのに使用される小さなものだ。それでも物珍しさで中に入ってはみたものの、停電により出られなくなった男が一人。

 金ピカの着物袴に赤い下駄。燃えるように逆立った赤い髪が印象深い青年。

「やれやれ。参ったぜぇ。閉じ込められちまったい……」

 真っ直ぐで情熱的な瞳を子供のように歪ませながら、久遠(くおん) 獅子丸(ししまる)は無邪気に笑うと名刀『小鳥丸(こがらすまる)』をトントンと肩の上で躍らせた。

 『小鳥丸』は平安時代に神の使いの(からす)が時の天皇に授けた刀という逸話(いつわ)を持つ。獅子丸が持っているのは幾つか造られた複製品の中の一振りである。

「さて、取り()えずは此処から出ねぇとな。狒狒退治も出来やしねぇ」

 広い額の下の細長い眉を寄せながら、獅子丸は腰の竹筒に手をかけた。
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