第25話「月下美人は夜に咲く」

文字数 3,867文字

 早い夕食には理由があった。

 狒狒(ひひ)がやってくる前に腹ごしらえを済ませておいたほうが都合が良いからだ。

 (あやかし)退治屋たちが集まる食堂には一切の会話が無く、静かである。

 話す必要が無いし、何よりも彼らは馴れ合わない。

 せっかく豪華な料理が並んでいても、味気ない食事風景であった。

 成明(なりあきら)家の家族、主人の東次郎(とうじろう)氏とその妻である柚子(ゆずこ)、娘の(あや)は別室の小食堂を利用しているらしく、その場に姿が無い。彩子(さいこ)蘭丸(らんまる)、そして月彦(つきひこ)の姿も見あたらない。

 メニューは洋食であるのだが、正式なテーブルマナーを(わきま)えている者は二、三人であろう。妖退治屋というのは総じて大雑把(おおざっぱ)である。大半が好き勝手に食事をしている。

 その中でも久遠(くおん) 獅子丸(ししまる)の悪目立ちは度を越して浮いていた。彼はナプキンも使わずに前菜もメインの肉料理もフォーク一本で食べている。彼の食事には(かじ)りつくという表現がピッタリくる。

 周囲の失笑と呆れた視線も気にせず食事を終わらせると、満足そうに一番手で食堂を出て行く。

 獅子丸から言わせれば、食事などに時間を掛けている暇など無い。豪華な料理も、テーブルマナーもクソ食らえ。飯など腹に入れば皆同じ。礼儀で妖が斬れるはずもなし。

 彼は狒狒を斬りにきたのだ。頭の中にはそれしか無い。

 他人の目を気にしてチンタラ食っている者から死ぬ。妖が絡む現場で一番重要なのは、場の決断力と(すみ)やかな行動力だ。

 だからといって、彼は普段からも行儀が良いわけではないのだが。

 とにかく獅子丸は妖を斬るためならば、他の事などどうでも良い。それが彼にとっての唯一絶対、譲れないものだ。

 * * * * * * * * * * * * *


 綾は自分自身を中途半端な人間だと思っていた。中途半端というのは如何(いか)にも曖昧な言葉だが、その曖昧さで出来上がっているのが自分というものなのだと。

 髪も和洋どちらの礼装にも似合うように、程よい長さに決められた。今はその髪を三つ編みに()っている。

 中途半端な長さの三つ編みの曖昧な綾。

 中途半端な視力の自分。

 中途半端な心臓の鼓動のタカマリ。

 中途半端な言葉の個性のカタマリ。

 今回の大事も父の東次郎のほうが慌てていて、綾本人は何処(どこ)か薄ボンヤリと他人事のように構えている。

 誰も居ない無人駅で何時(いつ)来るとも知れない列車を待っている。そんな所在の無い危機感。

 ――「貴女はとても、カワイソウね!」

 自分を冷ややかな視線で見つめるもう一人の自分が囁く。彼女と一つになれれば自分は(ようや)く満ち足りるのではないか? そんな思いを常に抱いている。

 胡乱(うろん)だ。と、綾本人も思う。

「随分と落ち着いていますね。この一大事にピアノですか」

 (かすみ) 月彦がホールに入って来て、綾は鍵盤の上から指を離した。

 綾はこの妖退治屋が嫌いだ。

 妖刀使いと父に聞いているから腕は立つのだろうが、いつも笑顔でいるのが何だか胡散(うさん)臭い。なにやら莫迦(ばか)にされているような気分になる。

「逆です。気持ちを落ち着かせるために弾いているのですわ」

 綾の声音は素っ気無い。

「なるほど。だからテンポも無茶苦茶。ミスタッチも多いというわけですか」

 綾の演奏は聴くに()えないと月彦は言っているのだ。そのニュアンスは何となく綾にも伝わった。

貴方(あなた)、こんな(ところ)でサボっていても良いのですか? さっさと狒狒を斬って、私を安心させてください」

「なればこそ、貴女(あなた)(そば)に居るのが正解なのですよ。なにしろ狒狒は貴女を狙って現われるのだから」

 二人の間に少しだけ沈黙が降りた。最初に口を開いたのは月彦からだ。

「不安ですか?」

「当たり前です!」

「しかし貴女は絶望していない。これだけの妖退治屋と妖刀使いが二人も居るのだから、狒狒が手を出せないと思って本当は安心している。私には貴女が悲劇のヒロインを気取って楽しんでいるように見えます」

 挑発的な口調だ。まるでワザと綾の不興を買おうとしているようである。

「莫迦なことを仰らないでください」

 綾は思わず月彦を睨んだ。

「心配しなくても、狒狒は来ますよ。必ず貴女の目の前に現われます」

 少女の視線を笑顔で受け止めながら、月彦は囁いた。

「不愉快です。貴方は外を見廻ってきてください」

「分かりました。ピアノのお稽古(・・・)の邪魔をしてすみません」

 笑顔の妖刀使いはホールを離れて庭へと出て行った。

 物陰からその様子を(うかが)っている者たちがいた。

 彩子と蘭丸である。立ち聞きするつもりは無かったが、たまたまホールへと続く廊下を渡ってきたら月彦と綾のやり取りに出くわしてしまったのだ。

「彼は何を考えているんだ? 依頼人の娘を怒らせて……」

 蘭丸の中で、綾は被害者という認識が強い。傲慢(ごうまん)で勝手な父親に振り回されている悲劇の少女だ。

「莫迦にしたものではない。月彦殿はアレでなかなか深い考えを持って行動しているぞ」

 少なくとも彩子の知っている月彦は、意味の無い行動を取る男ではない。そして、一筋縄ではいかない油断の出来ない男でもある。

「それより私達も腹に何か入れておこう」

 彩子と蘭丸は成明邸で用意された夕食を取らなかった。これは毒の混入を警戒したためだ。

 彩子はすでに狒狒は屋敷の中へ侵入していると考えていて、更に言えば屋敷内に内通者まで居ると思っている。()くまで勘であるが、当たろうが外れていようが、そのくらい最悪の状況を想定して行動している。

 だから蘭丸に握り飯を用意させていたのだ。この屋敷の中で、警戒し過ぎるということは無い。

 月彦は食事自体を取らなかったし、獅子丸は毒の入った料理は口にしなかった。彼は毒物や危険を見抜く(すべ)を持っている。

 空腹など我慢(がまん)の内には入らない。精神が肉体を凌駕する者が一流と呼ばれるのだ。

「まぁ、今は腹に何か入れられるだけでも上等だ」

 彩子の経験上、もっと悪条件での妖怪退治もあった。今回は全然マシな部類だ。

「この仕事を終えたら、師匠の好きなものを作りますよ」

「なら、お前の(こしら)えた筑前煮(ちくぜんに)が食べたいな」

「分かりました。春になったら、旬の(たけのこ)を使ってたくさん作りましょう」

「約束だぞ。こんな詰まらない依頼で死ぬなよ」

 二人は抑揚の無い声で会話をする。

 ただ、ひたすらに待っているのだ。自分が斬るべき相手が現われる瞬間を。

 * * * * * * * * * * * * *


 陽が沈み、庭の灯籠(とうろう)に火が(とも)った。

 狒狒がいつ現われてもおかしくない時間になると、外には誰も居なくなった。

 皆、屋敷の中で狒狒を迎え討つつもりなのだ。

 その僅かな灯火(ともしび)の間を闇から闇へと縫うように移動する人影が一つ。

 成明(なりあきら) 柚子(ゆずこ)。綾の母親だ。彼女の手には結界に使用される(ふだ)の一部が握られている。

「やはり来ましたね。家の者が自ら結界を破るのが一番良い。これなら確実に狒狒を邸内に入れられるでしょう」

 灯籠の影から現われたのは霞 月彦。

 婦人は驚くふうでもなく、冷めた瞳で笑顔の妖刀使いを見つめている。

「貴女は正しい。約束を(たが)えようとしている旦那が間違っているのだから。どのみち、この契約が履行されなければ貴女の今の暮らしは泡沫(ほうまつ)の如く消えて無くなってしまうし、東次郎氏は貴女にそこまで打ち明けずに結婚を迫ったのでしょう?」

 妖刀『月下美人(げっかびじん)』は人の内面を斬ることが出来る。

 月彦は婦人の理性の一部に刃を突き刺したのだ。

 すると彼女から「こんな話は聞いていない」「今の生活が無くなるのは困る」「娘には気の毒だと思うが犠牲になってほしい」という本音が漏れ出した。

 だから月彦は柚子の願いを叶えてやることにしたのだ。

「大丈夫。貴女の暮らしはボクが(まも)ってみせます」

「私は親として間違っていると思います。けれど――」

「ええ、分かっています。それでも貴女は女性として間違ってはいません。悪いのは妖との関係を黙っていた旦那だ」

 月彦の声は穏やかに婦人の心を包んだ。

「さぁ、もう家の中へ入りなさい。外は冷えます」

 柚子は頼りない足取りで屋敷の明かりに吸い寄せられていった。

 どうやら理性と一緒に罪悪感や人情などという感情まで斬ってしまったようだ。

「出来ればもう少しスマートにやりたかったけど、本当に扱いが難しい刀ですね。君は」

 月彦は『月下美人』の(つか)を優しく握りながら困ったように笑った。

「そして、ボクと君も決して間違ってはいないんだ」

 独り言は白い息に変わって闇に消えた。

 妖の時間がくる。
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