第3話「猫撫で声に油断ができぬ」

文字数 3,349文字

「私の両親には挨拶できましたか?」

 小夜子は覗き込むような上目遣いでノコギリに聞いた。尋ねるというよりは、確認を取るような口調だった。

「ええ、先程」

 それは良かったと、小夜子はノコギリと差し向かいに座った。

 眠たげな瞳と水色の瞳が交わって、涼しげな火花が咲く。

 小夜子は笑顔だが、ノコギリの表情は凛として張りつめている。

此処(ここ)は少し高い場所に在るから、夜になるともう肌寒くなってしまうの」

 確かに初秋の宵の口にしては、空気が冷たい気がする。紅茶の温もりに手を伸ばしたいが、飲むわけにはいかない。

 念のための用心だ。ノコギリは小夜子を悪い意味で只者(ただもの)ではないと思っている。

 目の前のお茶には何が入っているか分かったものではない。焼き菓子も同様だ。

「私ね。とても寂しいの。寂しくて寂しくて。ほら、秋の風って人を悲しくさせるものだから……」

「でしたら、学校へ行けば宜しいのに」

「大勢の中に居ると、よけい孤独を感じてしまうの」

 どうにも会話が噛み合わない。

 小夜子の話題は脈絡なく変わる。猫の瞳のようにクルクルと落ち着かず、まるで取り留めの無い独り言でも聞いているようである。

 それと、この家に入ってから騙し絵の中に居るような違和感を覚えて、ノコギリは意識の集中が乱されているような感覚に戸惑っていた。

 (たな)の上に乱雑と置かれた縫いぐるみの一つが床に落ちた。転がってノコギリの足元でピタリと止まる。

「随分と縫いぐるみだらけですのね」

 ホールにも、応接室へと続く廊下にも転がっていた。

 至るところ大小様々な猫の縫いぐるみだらけで、その数は異常だ。

「この縫いぐるみたちは、私が猫のために作ってあげた友達なの。でも、ちっとも懐きやしない」

「まぁ、猫は独りが好きと聞きますしね」

「そんな猫でもね。甘えてくることがあるのよ。独りが好きなくせに寂しいって、随分と我侭勝手(わがままかって)ですわよね」

 また会話が止まる。ノコギリは話題を探す。

「学校を休んで、親御さんからは何も言われないの?」

「家は放任主義って云うのかしら。特に何も……」

「叱られたりも?」

 すると小夜子はポカンとした表情を眼帯の下に貼り付けて、視線は虚空を彷徨(さまよ)うのだった。

「……どうして召し上がらないの? お菓子」

 声には不満が乗っている。お茶も菓子も、小夜子がノコギリを持て成す為に用意したものだ。

 それなのに目の前のクラスメイトは手をつけようともしない。

「それは貴女も同じでしょう?」

 この家の飲食物は小夜子が先に口にしろと言っているのだ。

「私は猫舌なの。もっと冷めてからでないと飲めないから」

「私の家では、夕餉(ゆうげ)を残すと厳しく叱られるのです。間食は控えたいので」

 小夜子は菓子に悲しげな視線を落とした。

「もしかして、このお菓子やお茶に何か入っていると思っているのですか?」

「何かって、なんですの?」

「体の自由を奪う薬とか……。そんなことを考えているのでしょう?」

 ノコギリは着物の袖で口元を隠しながらコロコロと笑った。

「酷いわ。私、そんなはしたない(・・・・・)事はしません」

 小夜子は笑顔で再びお茶を勧めてくる。

「私、しつこい人は――」

 ノコギリの利き手には一本のナイフが在った。

「嫌いですわ!」

 眼帯で視界の利かない小夜子の左半身目掛けて腕を振りぬく。

 空気を裂く鋭い音が、可憐な少女のすぐ隣を直線に通りぬけた。

 銀を練りこんだナイフは殺傷力は低いものの、(あやかし)の化け術を破る力がある。破邪の刃だ。

「痛い……」

 左腕に生まれた痛みを右手で押さえ付けながら、小夜子が苦悶の表情を浮かべている。

 裂けた衣服から、鮮血の(あか)が白い肌を伝うのが覗けた。

 しかし、小夜子は小夜子のまま変わらない。ノコギリは人を傷付けてしまったのだ。

 重大な禁則行為である。良くて座敷牢に一生幽閉。下手をすれば死をもって償うことになる。

「ごめんなさい! 小夜子さん!」

 慌てて駆け寄る。(すで)に厳罰は覚悟の上だが、今は手当てが最優先だ。

 懐から血止めの軟膏、カーゼに包帯と治癒(ちゆ)の念字が書かれた呪符を取り出す。

 身を(かが)めたノコギリの首に突然、小夜子の華奢な両腕が絡みついた。

 予想外の出来事に一瞬の間が出来る。

「やっと呼びましたね。私の名前……」

 虚ろな瞳で笑顔の小夜子。

「腕を放してくださらない? 傷の手当てが出来ませんから」

「手当て?」

 小夜子は例によってぼんやり(・・・・)とした表情でノコギリの瞳を覗いている。

「私、怪我なんて何処にもしていません」

 そんなはずは無い。ノコギリは裂けた小夜子の袖と赤い血を確認した。

 そして、何よりも当人が良く分かっている。致命傷を避けて投げた刃は、確かに二の腕に線形の傷を付けたはずだと。

「おかしな桜子さん。ほら、本当に私、何でもないのよ?」

 広げた小夜子の両腕に傷は無かった。それどころか、服も破けていない。

「こんな……ことって」

 ノコギリは驚く息を飲み込んだ。悪い夢の中に迷っているような非現実感。

「桜子さんは、どうしてナイフなんて持っているの? 女学生らしくない。可愛くないわ」

 本能的な危機を感じて、ノコギリは小夜子から距離を取った。目の前の少女は人か妖か分からないが、危険なことだけは確かだ。

「私たちって、何処か似ていますね。例えば、何か秘密を持っていそうなところ……とか」

 壁に刺さっていたナイフが床に落ちて、頼りない音を立てる。

「こんな物騒なモノを持たなければならない理由って、何でしょう?」

 小夜子は銀のナイフを拾い上げると、緩慢な動作でノコギリへと返した。

 ナイフに血の跡が無い。攻撃は外れたということだろうか。

 ノコギリのナイフは雨下石流操刃術奥許(しずくいしりゅうそうばじゅつおくゆる)しの腕前だ。的を外すことなど、先ずありえない。

「小夜子さん、貴女は何者なの?」

 間抜けた質問をしていると思った。素直に答えるはずが無い。

 小夜子の得体の知れなさに半ば無意識に出た言葉であり、ノコギリ自身、自分の声を不可思議に思った。

「私は引き篭もりの女学生。気紛れで独りが好きなくせに、誰かに構って欲しくて仕方ない。救われないほど、寂しい少女……」

 小夜子の声がゆらゆら揺れて、取り留めも無く部屋いっぱいに(あふ)れてゆく。

「ねぇ、桜子さん。死にたくなるときって、ある?」

「なんですって?」

「寂しくて寂しくて死にたくなる。いえ、死にたいから寂しくなるのかしら」

 噛み合わない会話。

 薄い笑みの小夜子。

 縫いぐるみだらけの部屋。

 彼女の言葉が、いくつもの(まり)になって頭の中を跳ね回る。

 ノコギリは椅子に座り込んだ。そして、ナイフの切っ先を小夜子に向ける。

「これ以上、私に近づけば次は本当に()てます」

 小夜子は足を止めてナイフを見た。表情が寂しさに曇る。

「そんな怖いもの、仕舞(しま)って。代わりに素敵なものを見せてあげるから」

 壁を彩る飾り棚を開くと、小夜子は小さなオルゴオルを手に取った。

「私の宝物なの。桜子さんにだけ、特別」

 オルゴオルを開けると、物悲しいメロディーが部屋一杯に広がる。

 中に入っているのは――。

「四つ葉のクローバー……」

 口に出してから、ノコギリは自らの失態に気づいた。視線を上げると、左目の眼帯を外した小夜子の顔があった。まるで花が咲いたように笑顔でいる。

「貴女が特別だから、()せてあげるのよ」

「キャッツアイ……小夜子さん、アナタは」

 薄らいでゆく意識の中で、ノコギリは猫目状に輝く鮮やかな黄色の瞳を小夜子の左目の中に見た。

見せられて、魅せられてゆく。
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