第31話「さようなら」

文字数 5,143文字



 焦燥感(しょうそうかん)にも似た気持ちがジリジリと彩子(さいこ)を追い詰めていた。

 心の中で、ザワザワとした嫌な風を感じる。その風が収まるのを待ちたい気分であったが、そんな時間は無さそうだ。

 できれば蘭丸(らんまる)が帰ってくる前に片を付けたい。と、彩子は闇子(やみこ)との間合いを詰める。

「一つ聞く。なぜ見廻(みまわ)り組を()った?」

「何の話かしら」

 (とぼ)けているわけではない。実のところ、闇子にはどの見廻り組のことだか見当がつかないのである。

「大晦日の夜の神社。よもや忘れたとは言わせない」

 彩子の静かな一言で(ようや)く思い出したのか、闇子が大きな一つの瞳を楽しそうに歪ませた。

「ああ、別に。気分……かしらね」

 闇子の声音(こわね)は気だるい調子で(つや)のある唇から零れる。疲れているようでいて、けれども興奮が息づいている。

「君が殺した見廻り組の中には、私の幼馴染みがいたんだ」

「だから何?」

「分からないかい? 敵討ちではないが、私には多少なりとも君を斬る理由があるということさ」

 そんなの今更でしょう。とでも云うように闇子がクツクツと小さな笑い声をあげた。

「そして君にも私を殺す理由があるというわけだな」

 幼き闇子の首を()ねたのは彩子だ。

 彩子が一見(いっけん)、無駄な話を引き()っているのには理由がある。闇子に(スキ)が無いからだ。彼女は円を描くように、彩子の間合いのギリギリ外をゆっくりと歩いている。

 元々道場は広い。母屋よりも広いのだ。

 妖刀『電光石火』にも間合いはある。特に彩子の扱う『電光石火』は超神速の居合いという形で威力を発揮している。

 自ら踏み込んでいっても良いのだが、闇子の持つ細身の仕込み刀から、云いようのない禍々(まがまが)しさを感じ取って警戒をしている。

 長年の実戦経験が、迂闊(うかつ)な行為は危険だと知らせているのだ。

「私を殺しに来たんだろう? かかってこないのかい?」

「貴女の間合いに入ったら一瞬で真っ二つですもの。ここは慎重にいかないと」

 一度斬られたくらいで、彩子の間合いを把握するのは不可能だ。なのに何故か闇子に間合いを見切られている。その事実が不気味で、彩子の行動をも慎重にさせた。

「その首の傷痕、私が斬ったものか。誰かにくっ付けて貰ったのかい?」

 随分と簡単な構造だな。と、彩子は莫迦(ばか)にしたような口調で言った。

「この傷痕をわざわざ残したのはね……貴女に対する憎しみを忘れないためよ!」

 ――顔色が変わったな。もう一押しといったところか。

 隙が無ければ、作ってやればよいのだ。意外と安い挑発に乗ってくれて、彩子は局面打開の手応えを掴む。

「先に言っておくが、蘭丸は今此処には居ない」

「なんですって!」

「というかね。もう蘭丸を君に会わせる気は無いんだ」

 闇子の足が止まる。表情には手に取れるような怒りが張り付いている。

「彼は最早(もはや)、君とは縁の切れた人間だからね」

「いちいち……(かん)(さわ)る女ね!」

 闇子が黒く輝く細身の仕込み刀、『宵闇(よいやみ)』を構えて彩子に突っ込む。

 ――かかった!

 彩子が妖刀『電光石火』を抜刀しつつ、闇子の体を駆け抜ける。それは落雷の如く一瞬で、彩子が発する音のすべては彼女の後から付いて来るほどの斬撃だ。

 『電光石火』は一撃必殺。勝負は決まった……はずであった。

「これは……どういうことだ?」

 彩子の一撃は闇子に届かなかった。どうやら、どういうわけか、彼女の手にする細刀に()なされてしまったらしい。

「『宵闇(この子)』はね。この世で一番強い剣客の技を教え込まれているの。だから貴女では、どうしたって勝てないわ」

 彩子は闇子の剣捌きに覚えがあった。

 ――雨下石(しずくいし) 浅葱(あさぎ)
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 かつて『電光石火』の一撃を、普通の刀で受け流した唯一の男。

「何故お前が浅葱殿の剣を!」

 彩子の声が荒ぶる。本人に自覚は無いが、尊敬する剣客の技が闇子の手の中にあることが我慢ならない。

「内緒……こう言ってはなんだけれど、秘密って女を飾るものなのよ」

 彩子は再び居合いの構えを取りつつ、闇子との間に距離を作った。

 雨下石 浅葱の剣を真似るなんてことが果たして可能かどうかは、今考えることではない。どうやって闇子を斬るか。取り敢えずは、それが問題だ。

 仮に闇子の持っている刀が他人の剣術を覚えることが出来る特殊な能力を持っているとしよう。しかし剣客としての闇子の資質は? 体格は? 足運びや体の捌き方は? そこまで浅葱と同等というわけにはいかないだろう。

 つまり闇子は浅葱自身ではありえないということだ。そこに彼女を斬る隙間が存在するに違いない。

『貴女には死相が出ている。無茶な戦いは避けたほうが身のためだ』

 雨下石家次期当主の言葉が一瞬、頭の中を過ぎる。

 ――死相など、妖刀『電光石火』の一撃で捻じ伏せてくれる。

 再び彩子の足が地を蹴る。

 闇子の刀がその動きに反応する。

 しかし今度は様子が違った。闇子が彩子の姿を見失ったのだ。どうやら抜刀もされていないようで、『宵闇』が刀を受け流した手応えも無い。

「これはどういうことかしら……」

 闇子の大きな一つだけの瞳が不安を感じて左右に動くが、彩子の姿は何処にも見当たらない。

「逃げた? なんてことは無い――」

 思考途中で闇子の体が真っ二つになった。

 宙を転がってゆく上半身から道場を見ると、彩子が刀を鞘に納めるところだった。

 ああ、自分は斬られたのかと理解しながら、闇子は道場の冷たい床に倒れた。

壬祇和(みぎわ)一心(いっしん)流奥義の一太刀(ひとたち)眩暈(めまい)』……(くら)んだか?」

 本来は相手の剣を受け流して背後に回り斬りつける技だが、『電光石火』の速度を利用すれば相手の目の前から消えて、気配を殺し背後から一瞬で斬ることも可能だ。

「後ろからなんて、随分と卑怯なのね」

 上半身だけの闇子が不満を口にする。

「これが本来の壬祇和一心流の戦い方だからな。蘭丸には見習って欲しくないから教えていない」

 それに――。

「殺し合いに卑怯も何も無いだろう?」

 その通りだわ。と、闇子は不器用な笑みを作った。

 彩子も不敵に表情を綻ばせる。

 闇子の体は上下ともに闇となって霧散してゆく。

 決着はついたが、釈然としない謎は残った。

「許可が下りたとか言っていたな……」

 それは彩子を殺す許可という意味なのだろう。

 問題は「誰」が「何のために」という二つの疑問だ。

 もちろん闇子の戯言(ざれごと)という可能性も充分にありえるが、そうでない可能性も等しくある。

 狒狒(ひひ)退治のことと云い、彩子には雨下石家が裏で絡んでいる気がしてならない。

 会う必要がある。雨下石家の当主、雨下石 群青(ぐんじょう)に。

「やれやれ……出来れば彼には近づきたくは無かったんだがな。仕方がない」

 何か自分の知らないところで大きな(たくら)みが動いている。群青なら多かれ少なかれ、何かを知っているはずであった。

 万が一、彼が黒幕であった場合は問答無用で斬るまでの話。

 一瞬、道場が無音に包まれる。

 雨下石 群青を斬る。そんなことが今の自分に出来るだろうか。彼を斬るイメエジがまったくもって、彩子の中で現実感を(ともな)って結びつかない。

 彼のバケモノじみた強さは、彩子だって充分に分かっているのだ。

「師匠、道場にいたんですか」

 蘭丸の声で我に返った。まだ群青と戦うと決まったわけではない。彩子は頭を横に振って、現実に帰る。

「早い帰りだったな。蘭丸」

 不自然な様子は蘭丸にも分かった。火鉢も(かん)もつけずに彩子が独り道場に居るというのは、明らかに変だ。

 蘭丸は表情に疑問符を浮かばせたまま口を開いた。

「おでんは台所に置いてありますから、冷めているようなら火を入れてください。俺は銭湯へ行ってきます」

「ああ、コッチも今終わったところだ」

「?」

「いや、お前には関係の無い話だったな」

 ――関係無いは酷いんじゃない?

 闇子の無機質な声が道場内に響く。いつの間にか彩子は後ろから闇子に抱きしめられていた。(いや)、この場合は締め付けられるという表現が相応しい。そのあまりの強さに彩子は持っていた『電光石火』を落としてしまったほどだ。

 妖刀は道場の床を転がって、蘭丸の足元で止まった。まるで意志でも持っているかのような偶然。否、必然なのか。

「お前は、さっき確かに斬ったはず――」

 彩子の声は珍しく慌てていた。感情がそのまま表に出て、(こぼ)れている。

「貴女がさっき斬ったのはね……私の影法師よ」

「つまり、私はお前の影を斬ったにすぎないということか」

 そして実体のほうは、ずっと彩子の影の中に(ひそ)んで好機を窺っていたというわけだ。

「確かに貴女の言う通り、殺し合いに卑怯も何も無いわよね」

 闇子は今度こそ、本当に嬉しそうに笑った。

「闇子! 師匠を放せ!」

「……どうして?」

 蘭丸には返す言葉が無い。闇子が彩子に復讐する理由を知っているからだ。本来なら、それは蘭丸の役目だったはずなのだ。

「蘭丸! 足元の『電光石火』を取って構えろ!」

 彩子が叫ぶ。

 蘭丸が視線を落とすと、そこには妖刀が沈黙を守って座っているように在った。

 妖刀は所有者以外の者が触れることを許さない。手にした者は瞬時に絶命する。それでも蘭丸は刀に手を伸ばす。

 目の前の光景を含めて、妖刀のことも、現実感を伴って思考が追いついてこない。どこか夢をみている感覚に似ている。マトモな判断基準が壊されているようで、蘭丸は気がつくと妖刀を手に取っていた。

 初めて手にした『電光石火』は不思議と何年も使い込んでいる愛刀のようにその手に馴染む。

 奇妙な感覚だった。こうなることが当たり前の、以前から決まっていたことのような不自然さを感じたが、その違和感はすぐに消えた。

妖刀(それ)で私ごと闇子を斬れ! お前なら出来る!」

「黙りなさい! 全部お前が悪いくせに。お前は殺さずに、生きたまま永遠の闇の中に堕としてあげるわ」

 蘭丸の瞳に稲妻のような鋭さが宿る。

「闇子、最後に言う。師匠を解放して去れ!」

「蘭丸、貴方一人だけ幸せになることは許されないのよ。そんなこと分かっているでしょう?」

 蘭丸は居合いの構えを取った。

 闇子に最早言葉は届かないだろうし、彩子も助からない。蘭丸の手の中に妖刀『電光石火』があるということは、そういうことだ。

「音よりも速く斬るから、花のように潔く死んで欲しい……」

 言い終えるや否や、雷刃のような一閃が二人を貫く。

 そして……闇子の胸元の花飾りだけが散った。

「まったく……駄目な弟子だな。お前は……」

 彩子は少し哀しげな笑みを残して闇に消えた。

 負い目、後悔、懺悔(ざんげ)憐憫(れんびん)、様々な感情を押し殺しても、蘭丸は二人を斬ることが出来なかった。



 どのくらいの時間が経っただろうか。気がつけば闇子の姿は何処にも無く、蘭丸は独り道場に立ち尽くしたまま動けずにいた。

「師匠……」

 返事は無い。(みぎわ) 彩子は文字通り、何処にも居なくなってしまった。

 遺体すら残らない最後はあまりにも呆気(あっけ)なく、まるで悪い夢でも見ているようだ。

 妖刀使いの最後とは、こんなにも突然で寂しいものなのか。それとも人の死というものは、等しくこんなものなのだろうか。

 蘭丸は震える指で腰に差した『電光石火』に触れると顔を上げた。

 何とか歩き出すと、三歩目に足が(もつ)れて倒れた。

 床にゴールデンバットとマッチの箱を見つける。

 煙草に火をつけて一息吸うと(むせ)て、知らぬ間に涙が落ちた。
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