第8話「伽藍堂」

文字数 3,005文字

 薄暗い昼は人の動きが活発だ。

 日が沈んでからも(よい)の口まではまだ少なからずも往来はあるし、人の声も耳に入る。

 しかし、夜も九時を回れば町並みの様相はガラリと変わる。

 そこから夜が明けるまでは(あやかし)の時間だ。

 同時に、彼らと渡り合う者達の領域でもある。

 この世界、人と妖は世界の住み分けをしてバランスを取っているようなものだ。

 その不文律を破って命を落としても、自業自得としか言われない。

 だから、どうしても夜に外を歩かなければならない者たちは用心棒代わりに妖退治屋を雇う。


 ここに不文律を破って道を行く青年と少女の影があった。

 闇の中で妖しく輝く青い髪と瞳が幻想的だ。妖たちは行灯(あんどん)提灯(ちょうちん)とは異質の、その禍々(まがまが)しい光に恐れおののく。

 妖を押しのけて闇に君臨する雨下石(しずくいし)家の一族。そして、一族に(まつ)られる存在である(ぬえ)

 今夜、亜緒(あお)は珍しく紺瑠璃(こんるり)色の着流しを身に纏っていた。

 彼はここ一番と云うときには着物を着る。勝負(・・)服というヤツなのかもしれない。

 鵺は矢絣(やがすり)柄の女袴で、これは彼女が通っている女学校の制服でもある。着物も持っているが、動きやすさ重視で袴となったのだろう。

 二人は足音を立てずに細い裏通りを歩いていた。

 道の両脇には背の高い雑木林が鬱蒼とあって、ときおり吹く風に垂らした枝葉をざわつかせている。

 昼間でさえ魔除けの提灯などを持って歩く道だ。

 五メートルごとに設置された灯籠(とうろう)が頼りなく行く先を照らしているが、亜緒と鵺は暗闇であっても迷うことはない。

 暫く歩くと、夜の中にボウと揺れる懐かしいような不思議な灯りが見えた。

 それはこじんまりとした店の灯りである。もちろん、こんな時間に営業しているのだから普通の店ではない。

 看板代わりの置き行灯には『伽藍堂(がらんどう)』と書かれている。

「あら、坊ちゃま珍しい」

 白装束を着た店の主人が驚いたような、嬉しそうな声で二人を迎えた。狐に似た面をしているので、どんな表情なのかは分からない。

「坊ちゃまは止めてくださいって、何度も言っているのになぁ」

 性別、年齢不詳の主人で、もちろん素顔は誰も知らない。

 分かっているのは足元まで伸びた髪の長さと、餡音(あんおん)という名前だけだ。この名前も本名ではないのだろう。

「鵺も久しぶり」

 不機嫌な表情を露骨に作って、鵺は餡音の挨拶から顔を背けた。

 二人は旧知の仲であるのだが、鵺は餡音を嫌っているようだ。

 そんな仕草も餡音からは可愛く映るようで、面の下から微笑むような声が零れる。

 『伽藍堂』は「失せ物屋」である。

 懐中時計から(かんざし)一本に至るまで、どんな失くし物も幾多の経路を辿っては結局この店へと行き着くことになっている。

 店内にある失せ物は、それが本人のものであれば返してくれる。

 とはいえ、誰もがこの店を利用できるわけではない。

 人通りも無く、入り組んだ場所にある『伽藍堂』は店そのものが失せ物のような佇まいだ。

 見つけるのが難しいうえに、嘘をついて店内の貴重品に手を出そうものなら餡音に殺されてしまう。

「それで今日はどのような御用件でウチに?」

「僕が十五年前に失くした刀を受け取りに」

「ニッカリ青江(あおえ)ですね。亜緒くんが刀を取りに来るとは、またしても珍しい」

 面の中の見えざる素顔から、今度は小さな笑みが漏れた気がした。

「少し待っていてくださいな」

 餡音は店の奥へと姿を消した。

 『ニッカリ青江』とは正式な刀の呼び名である。

 「ニッカリ」とは「にっこり」のことで、笑顔で近づいてくる妖怪を斬ったことからこの変わった名前が付けられたらしい。

 妖刀ではないが、名匠が打った一振りだ。

 亜緒は少年時代に叔父(おじ)から剣術を習っていて、その際に貰った刀なのだが途中で飽きてしまい()めた。

 そのときに失くしたことにしたのだった。


        《どうも。叔父です》


「お待たせしました」

 餡音の手には全長八十五センチはありそうな、脇指(わきざし)としては長めの刀が乗っている。

 亜緒が失せ物を受け取ると、「確かにお返し致しました」と餡音が静かに頭を下げた。

 店主に挨拶を済ますと、二人は『伽藍堂』を後にした。

「亜緒、刀を使うのか?」

 指定先の神社へ向かう道すがら、鵺が口を開いた。

「相手は紫だからね」

「傷、痛むか?」

「大したことは無いさ」

 鵺が霊格を落としていなければ、紫に使った呪符の反動は無かっただろう。

 しかし、鵺を人と融合させて霊格を下げたのは亜緒自身だ。

 いつか、こんな日が来ることを分かっていながら実行したのだから自業自得である。

 それに霊力が万全な状態で()り合ったとしても、深手を負ったのはおそらく亜緒のほうだろう。

 そのくらい、紫は強い。

蘭丸(らんまる)は呼ばないのか?」

 鵺の声音には微妙に不安が入り混じっていた。

 今の自分の力で亜緒を護りきることが出来るだろうか?

 蘭丸のほうが亜緒を護るのに相応しい力量を持っているのではないか?

 いつものように「亜緒は鵺が護る」と、言ってのける自信が揺らいでいる。

 それは亜緒に怪我を負わせてしまった責任から来る後悔。

 鵺が初めて抱く劣等感だった。

「今回は僕と鵺で何とかなるだろう?」

 亜緒が鵺の頭の上に手を優しく乗せる。

「も、もちろんだ。鵺と亜緒が一緒に戦えば、勝てない相手なんかいない!」

 鵺が鼻息も荒く言葉を返す。

「亜緒、ちょっと此処へ来て屈め」

 興奮気味に亜緒を呼ぶ。二人の目線の高さが同じになる。

「何処に居たって亜緒には鵺が憑いていることを忘れるな」

「分かっているさ。鵺は僕の鵺なんだから」

 淡い色のような口づけを交わす。

 夏の夜、人通りすら無い寂しい路地の真ん中で、二人は静かに痛みを分かち合った。




 鳥居の前まで来ると、紅藤(べにふじ)色の着流しを着た銀髪の少年と袴姿の精悍(せいかん)な顔つきをした青年が並んでいる。

 こうして見ると、二人の身長差はけっこう離れていることに気づく。

「おいでやす」

 紫が屈託無い笑みを浮かべながら、キセルの中の煙を吐いた。本当に嬉しそうだ。

「なぁ、もうオマエの勝ちでいいからこんなことヤメようぜ?」

「そないゆー上から目線、昔から変われへんね」

 闇の中で紫の見鬼(けんき)が殺気を含んで深紅(しんく)に光る。

 亜緒はやれやれと息をついた。元より大人しく引き下がるとは思っていない。

「鵺、沃夜(よくや)とは全力でやれ。ここら一帯が吹き飛んでも構わない」

「わかった」

 穏やかな口調で、亜緒が物騒なことを言う。

 こうして亜緒と紫の、喧嘩のような死闘が幕を開けた。
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