第14話「石に纏ろう桜」

文字数 3,581文字

 北枕(きたまくら) 石榴(ざくろ)は裕福な家庭で厳しく育てられた。

 歩き方一つ取っても歩幅や静かな足の運び方と下ろす位置、()かない動作などを仕込まれた。

 今でも学院から帰ると、食事と入浴の時間以外は就寝まで勉強だ。

 石榴には趣味というものが無い。持つ時間を許されなかったというのが正しい。

 普通の娘のように笑うことすら抑制され、徹底的に楚々(そそ)な淑女というものの振る舞いを身に覚えさせられた。

 自分を産み、育ててくれた両親に対して感謝の気持ちはもちろん感じているが、自分を幸せだと思ったことはない。

 そんなふうに石榴は美しく成長していった。

 子芥子女学院へ入学すると、石榴は暫くしてクラスの中心的な存在になった。

 艶やかに流れる長く細い髪と肌理(きめ)細かな白い肌、整った顔立ちはクラスの女生徒たちの羨望(せんぼう)を集めたし、知性ある発言も周囲に影響を与えた。

 美しい容姿をさりげなく引き立たせる女らしい仕草も、生徒たちが石榴のことを一目置く要因となった。

 それは友人関係ではなく、上下関係の確立であることを石榴は承知していたが、そんなことは彼女にとって些細(ささい)な違いでしかない。

 いつしかクラスは自分のものであり、またクラスそのものが自分の一部だと錯覚するまでに至ってしまったのは彼女の不幸だろう。

 子芥子女学院は全校生徒の成績を廊下に張り出す校風がある。

 加えてクラス別の順位も張り出すのだ。

 奇妙なことに、石榴が(こだわ)ったのはクラス別順位のほうだった。

 石榴の成績は、学年トップの雨下石 桜子に続いて二位である。

 本音を言えば一位が自分には相応しいとは思うのだが、入学して直ぐに理解した。

 ――雨下石(しずくいし) 桜子(さくらこ)は特別だ。

 生まれながらに選ばれた人間というのは自分ではなく、彼女のような存在であるのだと把握するのは容易(たやす)かった。

 世の中、どんなに頑張っても仕方が無いというものはある。

 問題は石榴の所属するクラスの順位が五クラス中、四番目ということだった。

 石榴はそれが我慢ならない。

 個人で一位を取ることが叶わないのなら、せめてクラス別順位くらい一番が取れなくてどうするのか。

 ただでさえ、学年順位の一位と二位が机を並べるクラスなのである。

 だから、クラスで一番成績が悪い生徒に無神経な忠告をすることもあった。

 元来生真面目(きまじめ)薬師寺(やくしじ) 範子(のりこ)は、石榴の高圧的な忠告に従って努力をした。

 しかし、彼女には彼女の事情がある。

 学校が終わると、家が経営する店を閉店まで手伝わなければならない。

 それから夕飯の支度をして風呂を沸かし、やっと勉強時間を確保できる。

 皆が皆、石榴のように恵まれた家庭環境で学院生活を送っているわけではない。

 石榴にはそれが分からないから、ますます薬師寺 範子への言い方はキツくなる。

 結果、睡眠時間を削って勉強しても劇的に成績が上がることは無く、石榴の叱責(しっせき)に神経を()()らせた範子はとうとう心が死んでしまったのだ。

 石榴はそのことについて、一切の責任を感じてはいない。

 * * * * * * * * * * * * *


 (かすみ) 月彦(つきひこ)小山内(おさない) (るい)を刀で刺し貫くところを石榴は確かに見た。

 本来なら一階にある教員室か、学校の外の交番へと駆け込むべきところなのだが、教室から逃げ出した石榴は震える足で下りるべき階段を何故か上がっていた。

 誘蛾灯(ゆうがとう)に誘われる虫のように、自分の行動をどこか妙だと疑問に思いながらも、その疑問にすら目を逸らした。

 まるで思考が乗っ取られているような感覚に戸惑うが、何処かで不自然を肯定する自分も居る。

 ふざけた名前の臨時教師が言っていた言葉を思い出す。

 心と思考は別物。

 ――この場合は思考、発信機が壊れた状態ということになるのだろうか。

 意識の中心から少し距離を置いたところで、石榴は変に冷静な気持ちで自分を見ていた。

 そしてフラフラと頼りない体は、やがて校舎三階の空き教室のドアを当たり前のように開けた。

 そんな自身の行動を、不思議とも思わない自分を少しだけ疑いながら。

 中では奇妙な光景が石榴を出迎えた。

 クラスメイトの雨下石 桜子が扇子(せんす)を片手に(まい)を舞っているのだ。

 他に誰も居ない。もともとが空き教室なのだから、人が居るほうが不自然なのだが。

 ゆっくりとした動作の変わった舞は流れるようで止めが無く、不思議と聴こえるはずのない音曲(おんきょく)までが石榴の耳に入ってくる。

 石榴の思考、発信機を狂わせて此処に導いたのはノコギリだった。

 ノコギリの舞う舞は『誘蛾の舞』と云うもので、狙った妖を誘き寄せる効果がある。

 雨下石家に生を受けた女性だけが口伝で伝えられる特別な舞術(ぶじゅつ)なのだ。

「委員長、こんな処で何をしているのですか?」

 石榴の声には怪訝(けげん)な響きしか乗っていない。

 ノコギリが舞うのを止めると同時に、思考と体に自由が戻ったのだ。

「さて、貴女(あなた)は当たりかしら? それとも外れ?」

 ノコギリは先日、自分を襲った姿無き(あやかし)を呼んだつもりだった。

 当然、石榴には彼女の言っている意味は分からない。

 扇子を持つほうの袖で不敵な笑みを隠すと、ノコギリはもう片方の(てのひら)から数本のナイフを石榴に向かって投げつけた。

 銀色の殺意は石榴を殺す勢いを持って襲いかかる。が、(やいば)は石榴にカスリ傷一つ負わせることは出来なかった。

 石榴の両手の爪が、鋭い刃物のように伸びてナイフを全て叩き落としたのだ。

 人を超える反射神経と形態変化の成せる(わざ)であった。

 同時にお互いが相手を普通の人間ではないと認識する。

 自分の敵であると。

 ()らなければ殺られるという絶対的な確信を交わす。

「あら、私ったら当たりを引いたみたい」

 ノコギリは歓喜に打ち震えて水色の瞳を揺らした。

 そして持っていた扇子を相手に投げつけると、石榴はそれをズタズタに引き裂いた。はずであったが、頬に線形の痛みが走る。

 扇子の陰に隠すように投げられた一本のナイフが、石榴の顔を掠めて過ぎたのだ。

 雨下石流操刃(そうば)術の六、『暗雨(あんう)』は見えない刃である。

 顔面を狙ったはずであるが、避けられてしまった。

「暗雨を(かわ)すなんて、褒めて差し上げますわ」

 石榴はワナワナと震えていた。

「よくも、よくも私の美しい顔に傷を!」

 悔しさと怒りは石榴に更なる形態変化を呼んだ。

 目は鋭く釣り上がり、歯は牙へと形を変えた。

「まさに豹変ですわね」

 ノコギリは臆することなく、次のナイフを構える。

 石榴は長く伸びた爪を引っ込めると、足早にノコギリとの距離を詰める。

 スローイングナイフは距離を取って使う武器だ。近接戦闘には不向きである。

 それでもノコギリは数本のナイフを石榴に向けて投げる。

 操刃術の二、『速雨(はやさめ)』は数ある操刃術の中でも最速の刃だ。

 しかし、縦横無尽に動き回る石榴には当たらない。

 石榴の反応速度のほうがノコギリのナイフよりも速いのだ。

 続けて操刃術の三、『時雨(しぐれ)』に繋いでいく。

 時雨は緩急を付けて投げる。速雨との合わせ技だ。

 しかし、これも石榴には通用しそうになかった。

 スピードに圧倒的な差があるのだ。

 そうこうしているうちに、ノコギリはとうとう石榴に間合いを許してしまった。

 石榴は近距離から鋭い爪でノコギリの首を落とすつもりである。

 石榴の爪がノコギリの白く細い首に線形の赤を付けた。

 そして横一線に()ぐ。


 瞬間、石榴は何が起こったのか分からないまま教室の壁まで吹き飛ばされていた。

 正面向こうには掌底(しょうてい)を打ったままの姿勢で、腰を落とした桜子の姿が見える。

「雨下石流柔殺(じゅうさつ)術、『渦潮(うずしお)』。切り札は最後まで取っておくものですわよ? 石榴さん」

 自分の使う武器の弱点を突かれた際に、打つ手を用意しておくのは当然である。

 ノコギリが袖を口元に当てると、銀の髪飾りがシャララと鳴った。
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