第6話「鬼は外の呪い」

文字数 3,763文字

 結局、月彦は自分が教えるべき授業を自習にして、亜緒と一緒にバルコニーへと出た。

 黒い太陽が作り出す薄闇が、人目から二人の存在を影の中へと優しく隠す。

「亜緒くんが視たのは多分、薬師寺(やくしじ) 範子(のりこ)でしょう」

 亜緒が視た幽霊の特徴を伝えると、月彦は然程(さほど)考える素振りも無く口を開いた。

 そして直ぐに、正確には薬師寺 範子かもしれない。と、言い直す。

 月彦はその幽霊を見ていない。

「実は一ヶ月くらい前に、亜緒くんが受け持つクラスの生徒が一人亡くなっています」

 この事件は小さくだが新聞にも載ったのだという。

「それがその薬師寺……」

「範子です。今、ボクたちが話しているこのバルコニーから飛び降りました」

「自殺か?」

 亜緒の声に少し力が()もった。

「学院側は事故で押し切ってしまいましたけどね。そういうわけで、本当は此処(ここ)って立ち入り禁止なんですよ」

 月彦が白いバルコニーの取っ手を叩くと、冷たく乾いた音が響いた。

 亜緒は少し身を乗り出して下を覗いてみる。

「飛び降りて死ぬには高さが不十分な気がするな」

 バルコニーは二階部分から張り出していて、一般家屋(かおく)の二階建て屋根くらいの高さしかない。

 下は石畳だから、落ち方によっては死ねるかもしれないが。

「ボクが自殺だと思っているだけで、本当はどうだったかなんて本人にしか分かりませんけどね」

 月彦が協力的であるのは、亜緒が蘭丸とコンビを組む同業者であるからばかりではない。

 やはり、雨下石(しずくいし)の名前の影響が大きい。貸しを作っておいて損は無い相手ということだ。

「何なら直接聞いてみたらどうです? 話せるんでしょう? 幽霊本人と」

 月彦の笑顔が意味ありげに(ゆが)む。

 子芥子(こけし)女学院で月彦が教鞭を取っていたことは、亜緒にしてみれば幸運な偶然だろう。

 院内の事情に多少なりとも精通している知り合いがいるのは、頼もしいことではある。

 とはいえ、つい先日見知ったばかりの彼を全面的に信用するのは危険だ。

 亜緒が月彦について知っているのは、妖刀を所持する五人の中の一人であること。

 蘭丸と知り合いであるらしいこと。

 この二つだけで、つまりは何も知らないことと等しい。

「……何故月彦は自殺だと思うんだ?」

「イジメです」

 月彦は淡々と淀みなく、亜緒の質問に答えていく。

 亜緒は月彦の得体の知れなさは、その笑顔にあるのだと思った。

 常に営業スマイルのような笑みを絶やさない彼は、結局のところ無表情であるのと変わりは無いのだから。

「今、亜緒くんが担当しているクラスにはイジメがあったらしいのです。イジメの標的にされていたのが……」

 ――薬師寺 範子。

「産休扱いの斉藤はイジメに気づいていたと思うか?」

「間違いなく、気づいていたでしょうね」

 初めて月彦は断定した。

 それほどあからさまで、おおっぴらなものだったのだろうか。

 (ある)いは月彦は現場に遭遇したことがあるのかもしれない。

「なるほどね。鬼は内というわけだ」

「ソレを言うなら鬼は外でしょう?」

 話題が逸れたと月彦は思った。

「ところで、どうして鬼は外なんだと思う?」

「それは、鬼には出て行ってもらったほうが良いに決まってますし」

 抑揚(よくよう)の無い月彦の返事を聞いて、亜緒は意地の悪そうな笑いを作った。

 そして「昔々の話をしよう」と、青い髪の術士は言葉を(つむ)ぎ始める。

「鬼とは元々形の無いものという意味の(おぬ)が変化して出来た言葉なんだ。日照りのような災害や流行病は全てこの隠のせいにされた。だから集落では隠をどうしても他所へ、集落の外へと追い出す必要があったのさ」

「それで鬼は外なんですね。この場合は隠は外ってことになるのかな」

「どうやって隠を外へ追い出していたと思う?」

「だから節分でしょう? 炒った豆を投げて」

「隠に形は無いんだよ。形の無いものに豆を投げたって仕方が無い。それに節分という鬼払いの儀が出来る以前の話だ」

 なにやら禅問答めいてきた話に月彦は考えあぐねる。

「村人の中から一人、隠を決めたんだ。それは大抵、村で一番立場の弱い者が選ばれることが多かった。病人とかね」

「つまり漠然としたものに手っ取り早く、かつ安易な形を与えたわけですね」

 意識的か無意識的か、月彦は腰に差した『月下美人』に触れる。

 月彦の理解の早さに少しだけ感心しながら、亜緒は再び話を続けた。

「一度隠と決まってしまえば、本人がどれだけ否定しても(くつがえ)ることは無い。隠は村人から(つぶて)を打たれ罵倒され、叩かれて村の外へと追いやられた。もちろん村に帰ることは出来ないから、隠はどこぞで野たれ死ぬしかない」

「酷い話ですね」

 月彦の笑顔が曇る。

 亜緒は無視して話を続ける。

「村人たちにとって隠は村の外へと出て行ったことになるから、村に災いが起こるはずが無いと安心することが出来るわけだ」

「それ、効果あるんですか?」

「無いだろうね。(いわし)の頭も信心からってヤツさ」

 月彦の疑問に亜緒があっけらかんとした口調で返す。

「村人全員の安心のために人一人を犠牲に。ですか」

 月彦が疲れたような息を吐き出した。何やら()瀬無(せな)いといったふうだ。

「この隠の構造、何かに似ていると思わないか?」

「イジメ……ですか」

 集団で一人に苦を負わせる。それはまさに隠、ひいては鬼は外の儀式である。

「今回の場合、鬼は外へ出て行ってはいない」

 そして儀式と呪術は表裏一体。イジメは自身にかける呪いなのだ。

「月彦、この学院には鬼が隠れているぞ」

 何処からか吹いてきた湿り気を帯びた風が、バルコニーに立つ二人の頬をいやらしく撫でては去っていった。

 やがて一時限目終了を告げるチャイムが耳(うるさ)く鳴り響く。



 校舎裏は殆どが雑木林と云ってしまっても良い有様だった。

 辺りには灯りを(とも)すものが何も無いので、陽が沈めば星も輝かない真なる闇に包まれるのだろう。

 細い通路には落ち葉の溜まっているところもあったが、普段は人が来ることなど滅多に無い場所なのだろうし、これはもう掃くという行為自体が無意味であると思えたので蘭丸は掃除を諦めた。

 雑木林の中は黒い太陽の薄明かりさえ届かず、ただ闇が鬱々と転がっている。

 蘭丸は秩序無く生い茂る木々の中に座している闇を見つめて、少しだけ物思いに(ふけ)ってから(きびす)を返して歩き始めた。

 そして向こうから此方(こちら)へと歩いてくるモノを認めて歩みを止めるのだった。

 この世で最も深い闇からやってきた存在。

 白磁(はくじ)のような白い肌に漆黒を(まと)いながら、長い黒髪をたなびかせるように近づいてくる単眼の異形。

 黒い日傘『宵闇(よいやみ)』を差して、薄闇を()むように歩いてくる。



「こんにちは。此処では御機嫌ようのほうが『らしい』かしらね」

 闇子(やみこ)は少し意地悪そうにな声音で蘭丸に笑いかけた。

「闇子、何故お前が此処に……」

「久しぶりに会ったのに素っ気無いことを言うのね」

 形の良い輪郭の中で、一つだけの大きな瞳が(わら)うように歪んでいく。

「私は学校という場所が好きなのよ。華やかな笑い声の影に隠れている生徒たちの闇が、とても心地良いわ」

 そう思わない? と、闇子は蘭丸に無意味な同意を求める。

「そんなことに興味は無い」

「そうよね。貴方が興味を持つのは妖を斬ることだけ。執念と憎しみと後悔と懺悔(ざんげ)のままに。ただそれだけのために妖を斬り続ける救いようの無い――」

「もう喋るな!」

 蘭丸の強い調子に闇子は大きな単眼をいっそう歪ませて喜んだ。

貴方(あなた)のその絶望には、いつ触れても心地が良いわ」

 それにしても――と、闇子はやや強引に話題を変えた。

「学び()を見ると思い出すでしょう? あの頃のことを。私と一緒に――」

「黙れ……」

 蘭丸の手が静かに、しかし迫力を持って『電光石火』の柄に伸びる。

「私を斬る?」

 闇子の声が嬉しそうに上擦(うわず)る。

「斬れないわよね? 斬ってしまったら、貴方はこの世で唯一の光を失ってしまうもの。それでも(なお)、貴方は人のままでいられるのかしら?」

 闇に咲く花のような影を残して、闇子はいつの間にか居なくなっていた。

 雑木林の中で枝が一本、前触れもなく落ちた。

 幹から斬り離されたソレは落ち葉にぶつかって不満気な音を立てた。
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