第8話「病葉」

文字数 4,929文字

 ――黒い。……黒い王子がいる。

 小山内(おさない) (るい)が午後の授業をサボって校舎の外で蘭丸を見かけたとき、そんな言葉が漠然と彼女の頭の中を()ぎった。

 そういえば、教室で何人かの女生徒たちの話題に上がっていたのを思い出す。

 学園の庭を掃除している墨黒色の着流しを着た美青年。

 それは彼のことなのだと、誄は確信して心をときめかせた。

 確かに蘭丸は誄が今まで会ったどの殿方よりも知的で素敵で格好良く、そして何より美しかった。

 まるで恋愛小説に登場する王子のように。

 名前は何て云うのかしら?
 好きな花は何かしら?
 お付き合いしてる女性の方は……いるに決まっているわよね?

 様々な興味が疑問符付きで誄の頭の中を駆け巡ってゆく。

 話しかけたい。話しかけたいけれど……。

 ――彼女はガラスの靴を持っていなかった。

 誄は重い足取りで教室へと戻るのだった。

 * * * * * * * * * * * * *


 五時限目は教師不在の自習だった。

 こんなことなら途中で戻ることも無かったと、誄はどこか損でもしたような気分になって席に着いた。

「誄さん。今まで何処にいたのですか? 昼休みはとっくに終わってますわよ」

 石榴(ざくろ)が遅刻してきた誄に詰め寄る。

 色白な肌。流れるサラサラの髪。形の良い輪郭の中には目、鼻、口が見栄え良く並んでいる。

 きっとガラスの靴が良く似合う。容姿端麗な少女。

 委員長でもないのにクラスを仕切るような言動をとる石榴を、誄は(うと)ましく感じていた。

「もっと真面目に勉学に励んでください。次の試験ではもう少し頑張って頂かないと。今の誄さんの成績では華族としての体面だって――」

「そんなこと、私には関係ありません。そして、貴女にもね!」

 誄は乱暴に席を立つと、再び教室を出て行ってしまった。

 誄にとって石榴はただのクラスメイトだ。

 それなのに口を開けば母親のように煩い。

 まったくもって忌々(いまいま)しい。

 それに石榴は心配から誄に忠告めいた意見をしているわけではなかった。

 子芥子(こけし)女学院では試験の後に全校生徒の順位を廊下に張り出すのだが、それとは別にクラスごとの順位も発表される。

 これにはクラスの結束を高め、集団の中で互いに切磋琢磨(せっさたくま)するという理想のような目的がある。

 誄のクラスは五クラス中、四位なのだ。

 石榴はそれが気に入らない。

 彼女は自分のクラスを学年一位にしたいのだ。(ゆえ)に誄の成績の心配をする。

 石榴の透けた下心を誄は見抜いていた。

 だから誄は石榴を嫌悪する。なるべくなら、近くに居たく無いと思う。

 その気持ちには石榴と自分の人間性というものを比べられたくないという嫉妬の心も含まれていたが、誄自身は気づいていない。

 (ある)いは気づいているのかもしれないが、気づかないフリをしている。


 そうして気がつくと、誄は校舎の外へ出ていた。

 風が頬を優しく撫でる。

 誄は出鱈目(でたらめ)に校舎の外を歩き回った。

 無意識に黒衣の王子を探しているのだ。

 もちろん、蘭丸のことを本気で王子と思っているわけではない。

 ただ、彼が自分の味方になってくれたなら、もしかして自分は何か一つ(から)を破ることが出来るのではないか。

 そんな根拠の無い頼もしさを、少女は青年から感じ取ったのだ。

 それは勝手な思い込みに過ぎなかったが、思い込みが人を救うことだってあるかもしれない。



 蘭丸は学院内の庭掃除を終わらせた後、花壇のクチナシに炭疽病(たんそびょう)を見つけて剪定(せんてい)していた。

 丁度、六時限目の本鈴が鳴ったところだ。

 クチナシの花言葉は「優雅」「洗練」「清潔」といったもので、名門女学院には似つかわしい花かもしれない。

「お花……切ってしまうんですか?」

 (しばら)く迷ってから、誄はとうとう勇気を絞って蘭丸に声を掛けた。

 墨色の着流しを着た若い庭師というのも妙だとは思ったが、好奇心と憧憬(どうけい)に負けてしまったのだ。

「病気になった花は切り取ってしまわないと、健康な花にまで(うつ)ってしまうからね」

 良く通る優しそうな声で、言われた言葉は意外だった。

 てっきり授業をサボっている行為を注意されると思っていたのだ。

「切り取られたお花はどうなってしまうの?」

「焼却処分する」

 蘭丸の言葉は少し無神経だったかもしれない。

「なんだか、可哀想……」

 美貌の青年は淀みの無い手つきで次々と花を切り落としてゆく。

 凛とした表情からは何の感情も読み取ることが出来ない。

 細く長い指が淡々と白い花を切り落とす様は、少女には少し無残のようにも映るのだった。

「君はこの学院の生徒だな。授業は始まっているようだが、行かなくてもいいのかい?」

「今日着任してきた先生が、弱いことは悪いことではないって言ったんです」

 目の前の男性は、やはり彼女が今まで会ってきた人の中でも群を抜いて綺麗な顔立ちを持っていた。

 まるで恋愛小説の中から抜け出してきたキャラクターのようで、誄にとっては現実感が薄い。だからこそ、なんとか話し掛けることが出来たのかもしれない。

 少女は自分の頬が紅潮(こうちょう)してゆくのを自覚しながらも、懸命に言葉を搾り出してゆく。

「だから、どうしても出たくない授業はサボってもいいかなって……」

「無責任なことを言う」

 呆れたような口調は、当然教師に向けられたものだ。

 風が蘭丸の長い黒髪を(もてあそ)ぶように揺らす。誄はその有様にさえ見惚れた。

「気に入らない先生の授業なのか?」

「き、気に入らないというよりも、何だか怖いんです。いつも笑みを浮かべていて、まるで笑顔の仮面でも貼りつけているみたいな。それに先生なのに刀を腰に差しているし……」

 普段帯刀が許されているのは警察と軍人、それに妖と対峙する職に付いている者だけだ。

 教師でも政府から帯刀許可が下りれば刀を差すことは出来るが、許可が下りることは()ず無い。

「刀? もしかして、その教師は(かすみ) 月彦(つきひこ)という名前じゃないか?」

「お知り合いなんですか?」

 誄の驚きはそのまま声に封入されていた。上擦っている。

「アイツは得体が知れないところはあるが、基本的には優しい人間だから怖がる必要はないよ」

 蘭丸の矛盾を孕んだ言葉に少女は微笑した。言っていることが滅茶苦茶である。

「それに俺もな……」

 蘭丸が腰にある黒い鞘に収まった刀を確認させる。

 着物の色と同化していて、誄には刀が視認出来なかったのだ。

「ま、まぁ。どうして庭師さんが刀なんて持っているの?」

「必殺掃除人だからだ」

「もしかして、警察の方?」

「警察ではないが、似たようなものだ」

 不器用な冗談を流されて、蘭丸も赤面する。

 言うんじゃなかったと後悔しても遅い。

「もう教室へ戻ったほうがいいんじゃないか? 授業に遅れても月彦なら怒らないだろう」

 元々、子供の相手は苦手なのだ。

「名前、教えていただけますか?」

(みぎわ) 蘭丸(らんまる)だ」

 黒尽くめの妖刀使いは静かに答えた。

「蘭丸さん……」

 誄の中に何か暖かいものが溢れてゆくが、その感情を何と呼ぶのか少女は知らない。

「蘭丸さんも私を教室へ戻るように言うんですね」

 誄の声はどこか嬉しそうに弾んでいて、責めるような調子は無い。

「俺は教師ではないから強制はしないが……。では、どうして君は女学院へ入学したのだ?」

 切った花の後始末をしながら、今度は蘭丸が少女へと質問を投げる。

「何か将来やりたいこととか、なりたいものがあるんじゃないのか?」

「私は、この学院を卒業したら結婚するんです」

 誄は(うつむ)いた。丸眼鏡が瞳の(うれ)いを隠す。

「それは目出度(めでた)いな。ならば、しっかり勉強して卒業しないとな」

「結婚って御目出度いものですか?」

「俺は独身だからよく分からないが、世間では結婚する人間を幸せ者と云うな」

「相手の顔も知らない人と結婚するのに?」

 声からはさっきまでの抑揚(よくよう)が消えてしまっている。

 暫し間が空き、誄はその場に座り込んでしまった。

 蘭丸が何も言わずに二回ほど少女の頭に手を乗せると、誄は再び言葉を紡ぎ出した。

「相手は貿易会社か何かの社長の息子さんらしいんですけど、私は会ったことも無いんですよ」

 誄の声はまるで他人事でも語るように淡々として冷めていた。渇いた口調で話は続く。

「この結婚は両親も相手側も乗り気で、そうじゃないのは私だけなんです。この学院だって、私に(はく)を付けさせるために親が無理に入学させたんですよ」

「政略結婚というヤツか」

「でも、仕方ないんです。家は一応華族なんですけど、没落寸前の名ばかりの家柄で。私の結婚で家の借金も返せるし、相手側は華族の血を家系に入れたいらしくて……」

 少女が両手で抱える膝は小さい。

 もう彼女は授業のことなど忘れているのだろう。

 自分の境遇の一番重い部分を吐き出して、呆然としてしまっている。

 心此処にあらずといった感じだ。

 蘭丸は少女に同情はしない。

 人の数だけ、それぞれの立場と人生が存在すると思うだけだ。

 そして自分は斬る者で、決して人を救うことは出来ないのだと改めて(おのれ)に言い聞かせる。

「俺の知り合いにも名家の御曹司がいてな。何が気に入らないのか、家を追ん出て一応自立した生活を送っているぞ」

「スゴイ人ですね。そのお友達……」

「まぁ、どちらかというとクズの部類に入るいい加減な奴なのだがな。道は一つきりではないという見本かな」

 上手い言葉が思うように出てこない。

 こんな時、亜緒なら少しはマシな言い方が出来るのかもしれない。

「きっと、その人は強い人なんですよ」

 自分にはとてもじゃないけどマネは出来ない。

 少女が言葉を付け加えると、頃合いを見計らったように授業終了の鐘が鳴った。

「蘭丸さん、今日は私の愚痴に付き合ってくれてありがとうございました」

「どんな小さなことでも担任の先生に相談してみるといい。一人で抱え込むのが一番良くないと思う」

 誄は蘭丸に頭を下げて感謝を現すと、校舎の中へと吸い込まれるように消えた。

 (がら)にもなく饒舌(じょうぜつ)になってしまった自分自身に蘭丸は戸惑ったが、不思議と嫌な気分ではない。

 むしろ心が軽くなったような、妙に救われたような気分だった。

 久しぶりに闇子に逢って、気が塞いでいたのかもしれない。

 誰かと言葉のキャッチボールをすることで、随分と気分も変わるものだ。

 そういえば少女の名前を聞きそびれていたことに、今更ながら気づく。

「蘭丸くん、こんなところに居たのですか」

 背後に孔雀緑(くじゃくみどり)の着流しを着た、笑顔の似合う青年が気配無く立っていた。

 腰には妖刀『月下美人』を差している。

(スキ)だらけですよ? らしくないなぁ……」

 余計なことを言ってから月彦は本題に入った。

「亜緒くんから伝言です。この学院には鬼が棲んでいるとのこと。詳しいことは今夜、『左団扇(ひだりうちわ)』で話すということです」

 蘭丸の顔つきが(けわ)しくなってゆく。

「わかった……」

 その気にアテられて、幾輪かのクチナシの花が白い花弁を散らした。


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