第12話「妖刀『客死静寂』」
文字数 3,820文字
妖刀とはその名の如く、妖 を斬る刀である。
刀である以上は人を斬ることも出来るが、やはり妖を斬るのに最も適した得物 として世に存在するものだ。
人を斬る魔性に取り憑かれるなんて話も絵空事で、所有することで呪われるという噂も聞かない。
だから妖刀使いは当然、妖退治において非常に有り難 がられる。
率先して前面で戦ってくれるし、一撃で妖に致命傷を与えることが出来るからだ。
普通に刀や陰陽術などでも効果はあるが、その威力が比較にならないほど妖刀の能力は凄まじい。
妖刀使いは己の持つ刀の強力な加護を受けているのだ。その代償として、他一切の神仏から嫌われる。
そんな話が出てくるのも無理からぬ程の活躍を見せ付ける。
この世界では妖刀の持ち主というだけで、一つのステータスに成り得るのだ。
本殿の中に居たら死んでいただろう。
亜緒 は全神経と持てる霊力を総動員して、紫 の位置と見えない刃の正体を探っていた。
「響き」は感じ取れなくなったが、玉響 が憑いているせいで気配を察知する感覚は野生動物以上に鋭くなっている。
しかし、何も感じない。息遣いも聞こえなければ、血の匂いさえ消えた。
まるで神社には亜緒以外、誰も居ないかのように静かだ。静か過ぎるのがまた不気味ではあるのだが。
妖刀『客死静寂 』には所有者の気配を完全に消し去ってしまう効果が備わっているのかもしれない。
一息つく間も無く、また何処かで建物が壊れる音がした。激しく耳障りな振動が、空気と足元の大地を揺らす。
埒 が明かない。
紫の位置を確認するために跳び上がってみる。
鳥居の上、十メートル程の高さから神社を見下ろすと、社務所と磐座 (※神様が降りてくる巨石)が跡形も無く残骸と成り果てていた。
紫の紅 と銀を確認する。依然として参道に佇んでいるようだ。
青と赤紫の視線が交差すると、それからすぐに宝物殿が瓦礫 となった。
『あわ~。私の宝物入れが~』
先程から落胆し続ける玉響を気の毒に思いつつ、着地する。
分かったことが一つと、やはり分からないことも幾つか。
紫の位置は変わっていない。おそらく『渦潮 』を受けたときの怪我で派手に動き回れないのだ。
亜緒が最も気になったのは、紫が刀らしき得物を持っていなかったことだ。
それどころか、武器らしきものを何も身につけていなかった。丸腰で立っていただけ。
それなのに宝物殿は崩れた。
本殿も宝物殿も磐座も、それぞれが紫から異なる位置と距離にある。
周囲の物を滅多矢鱈 に壊しているのは、紫も亜緒の位置が掴めないからなのか。それとも別に理由があるのか。
「何にせよ、間合いが無いというのは本当なのかも……」
やはり、武器を持っていないのが気になる。
――『客死静寂』は飛び道具?
それも妙ではあった。飛び道具だとしても得物を投げる動作があるはず。
紫は身動 ぎもせずに立ったままだし、何よりも刀が見えないというのは不可解なのだった。
普通に見ているわけではない。あらゆる物事の本質を見抜く雨下石 家の慧眼 である。
妖刀を使っていれば必ず見えるはずなのだ。
――有ったけれども、目には映らなかった?
「見えない武器!」もしくは限りなく目に映りにくい武器なのか。
それも考えにくい。妖刀とは云え、慧眼を持ってして見えない刀など無い。無いはずだ。
『客死静寂』は謎の多い妖刀だが、それにしても分からないことが多すぎる。
もっとも、妖刀というものは五振りすべてが謎といえば謎であるのだ。
どの持ち主も自ら能力をひけらかすようなことはしないし、寧 ろ隠したがる者のほうが多い。
それでも尚 、『客死静寂』は異質である。
先 ず、刀と所有者が長期不明という時期が存在すること。
鞘から抜くのに呪言 を必要とする点も唯一である。
異の一つ。妖刀の所在が不明になるというのは、紅桃林 家が独占していたことが原因だ。
紅桃林家の者が漏れなく『客死静寂』を使えるなら未 だしも、現実はそうもいかない。
妖刀に選ばれる条件に霊力の有無は一切関係がないのだ。
現に最も強い霊力を誇る雨下石群青 でさえも、結局はどの妖刀にも選ばれていない。亜緒もまた然 りだ。
偶然か必然か。選ばれる条件は今もって不明のままである。
なればこそ、本来なら貴重な五振りの一つを世に放つべきなのだろう。それがルールだ。
ところが紅桃林家は『客死静寂』を手放さずに、一族の中で扱える者が出るのを待った。
最初に『客死静寂』を使った紅桃林某 以降、代々続くものと過信してしまったのか。
長い歴史の中で、何人かは『客死静寂』を使った者がいたのかもしれない。しかし、圧倒的に使えなかった者の方が多数だったはずだ。
結果、『客死静寂』は空白期間のある幻の妖刀になってしまった。
今更ながらの認識作業であるが、亜緒はまだ自らの置かれた状況に明快な納得が出来ていない。
紫が何故自分を執拗に殺そうとするのか? 自分達はどうして此処でお互い殺し合っているのか?
亜緒としては父である群青の言い付けであるから、逃げるわけにはいかない。
情け無い話だが、雨下石家では当主である群青の言葉は絶対だ。逆らえば息子であろうと死が待っている。
が、そもそも紫が争いを望まなければこんな状況にはなっていない。
紫の心理が読めそうで読めず、何処か心にわだかまりを抱えたまま刃を交えているのだ。
まるで誰かの手の平の上で、死の舞踏でも踊らされているような心地悪さである。
「妖刀が何故に五振りだけなのか知ってるかい?」
注意深く移動しながら、亜緒が中に居る玉響に話しかける。不本意な現状から僅かでも目を逸らすための、それは戯 れ言 にも似た些細な話題だった。
『知るわけないじゃ~ん? そんなに便利な刀ならもっと造ればいいのに』
「造り方が分からないから無理なのさ」
今の時代には失われてしまった技術。
どんな原理で超常的な能力を発揮するのか? 何処の誰が打ったのか? どうして妖刀に触れても何とも無い人間がいるのか? 刀が使い手を選ぶ基準も含めて、謎だらけなのだ。
そもそも所有者以外の人間が触れると死ぬので、刀鍛冶や刀剣研究家はもとより盗人でさえ手が出せない。
妖刀について書かれた文献の類 も一切見つかっていない。
調べること敵 わぬ刀剣。
一説には前時代に造られた遺物とも云われているが、要するに何も分からないというのが本当のところだ。
そんなだから「妖刀が自ら所有者を選んでいる」なんて風説も出てくる。
実際その通りなのかもしれないし、見当外れであるのかもしれない。
真実は誰にも分からない。
妖刀を持つ者達も多くを語らない。
唯一確実に分かっていることは、妖退治に絶大な威力を発揮する刀ということだけ。
取り敢えず人が使える刀らしいから、使う。そんな曖昧な認識で人の手の内にあるのだ。
神楽殿 の影に隠れながら紫に近づく。
危険だとは思うが、『客死静寂』の正体を見極めるためには何よりも観察から始めなければならない。
それに本当に間合いが無いのなら、何処に居ても殺 られるときは殺られる。
ならば死中に活を求めるまでだ。
亜緒の瞳が闇に強く光る。慧眼に霊力を集中して、「見る」ことを超えて「視よう」とする。
『どう~? 何か分かった?』
「糸が……見える」否、糸と云うにはあまりにも細すぎるモノが紫の周囲を浮遊している。
僅か5ミクロン(0.005mm)程の鋼糸の刃。殺気も気配も無く、相手の首を落とす妖刀の一振り。
それが『客死静寂』の正体だ。
人を斬った嘆きの色も、斬った妖の怨念さえも、気配に変わるもの全てを喰らって妖刀は空 に泳いでいる。
前触れもなく、神楽殿が一瞬でバラバラになった。紫の笑顔と目が合って、その不吉さから亜緒は瞬時に場を離れた。
出来るだけ距離を置こうと鎮守 の森を抜けたところで、息も荒く片膝を突く。
気がつけば、亜緒の全身が血に染まっている。
鮮やかな紺瑠璃 色の着流しも、くすんだ赤銅 へと痛々しく色を変えた。
僅かながら鋼糸に触れてしまったのだろう。深手だが首や手足が胴と繋がっているだけ、まだマシといえた。
「これはサスガに勝てる気がしない……かな」
薄れてゆく意識の切れ端を強く持とうとして、亜緒は少しだけ舌を噛んだ。
刀である以上は人を斬ることも出来るが、やはり妖を斬るのに最も適した
人を斬る魔性に取り憑かれるなんて話も絵空事で、所有することで呪われるという噂も聞かない。
だから妖刀使いは当然、妖退治において非常に有り
率先して前面で戦ってくれるし、一撃で妖に致命傷を与えることが出来るからだ。
普通に刀や陰陽術などでも効果はあるが、その威力が比較にならないほど妖刀の能力は凄まじい。
妖刀使いは己の持つ刀の強力な加護を受けているのだ。その代償として、他一切の神仏から嫌われる。
そんな話が出てくるのも無理からぬ程の活躍を見せ付ける。
この世界では妖刀の持ち主というだけで、一つのステータスに成り得るのだ。
本殿の中に居たら死んでいただろう。
「響き」は感じ取れなくなったが、
しかし、何も感じない。息遣いも聞こえなければ、血の匂いさえ消えた。
まるで神社には亜緒以外、誰も居ないかのように静かだ。静か過ぎるのがまた不気味ではあるのだが。
妖刀『
一息つく間も無く、また何処かで建物が壊れる音がした。激しく耳障りな振動が、空気と足元の大地を揺らす。
紫の位置を確認するために跳び上がってみる。
鳥居の上、十メートル程の高さから神社を見下ろすと、社務所と
紫の
青と赤紫の視線が交差すると、それからすぐに宝物殿が
『あわ~。私の宝物入れが~』
先程から落胆し続ける玉響を気の毒に思いつつ、着地する。
分かったことが一つと、やはり分からないことも幾つか。
紫の位置は変わっていない。おそらく『
亜緒が最も気になったのは、紫が刀らしき得物を持っていなかったことだ。
それどころか、武器らしきものを何も身につけていなかった。丸腰で立っていただけ。
それなのに宝物殿は崩れた。
本殿も宝物殿も磐座も、それぞれが紫から異なる位置と距離にある。
周囲の物を
「何にせよ、間合いが無いというのは本当なのかも……」
やはり、武器を持っていないのが気になる。
――『客死静寂』は飛び道具?
それも妙ではあった。飛び道具だとしても得物を投げる動作があるはず。
紫は
普通に見ているわけではない。あらゆる物事の本質を見抜く
妖刀を使っていれば必ず見えるはずなのだ。
――有ったけれども、目には映らなかった?
「見えない武器!」もしくは限りなく目に映りにくい武器なのか。
それも考えにくい。妖刀とは云え、慧眼を持ってして見えない刀など無い。無いはずだ。
『客死静寂』は謎の多い妖刀だが、それにしても分からないことが多すぎる。
もっとも、妖刀というものは五振りすべてが謎といえば謎であるのだ。
どの持ち主も自ら能力をひけらかすようなことはしないし、
それでも
鞘から抜くのに
異の一つ。妖刀の所在が不明になるというのは、
紅桃林家の者が漏れなく『客死静寂』を使えるなら
妖刀に選ばれる条件に霊力の有無は一切関係がないのだ。
現に最も強い霊力を誇る雨下石
偶然か必然か。選ばれる条件は今もって不明のままである。
なればこそ、本来なら貴重な五振りの一つを世に放つべきなのだろう。それがルールだ。
ところが紅桃林家は『客死静寂』を手放さずに、一族の中で扱える者が出るのを待った。
最初に『客死静寂』を使った紅桃林
長い歴史の中で、何人かは『客死静寂』を使った者がいたのかもしれない。しかし、圧倒的に使えなかった者の方が多数だったはずだ。
結果、『客死静寂』は空白期間のある幻の妖刀になってしまった。
今更ながらの認識作業であるが、亜緒はまだ自らの置かれた状況に明快な納得が出来ていない。
紫が何故自分を執拗に殺そうとするのか? 自分達はどうして此処でお互い殺し合っているのか?
亜緒としては父である群青の言い付けであるから、逃げるわけにはいかない。
情け無い話だが、雨下石家では当主である群青の言葉は絶対だ。逆らえば息子であろうと死が待っている。
が、そもそも紫が争いを望まなければこんな状況にはなっていない。
紫の心理が読めそうで読めず、何処か心にわだかまりを抱えたまま刃を交えているのだ。
まるで誰かの手の平の上で、死の舞踏でも踊らされているような心地悪さである。
「妖刀が何故に五振りだけなのか知ってるかい?」
注意深く移動しながら、亜緒が中に居る玉響に話しかける。不本意な現状から僅かでも目を逸らすための、それは
『知るわけないじゃ~ん? そんなに便利な刀ならもっと造ればいいのに』
「造り方が分からないから無理なのさ」
今の時代には失われてしまった技術。
どんな原理で超常的な能力を発揮するのか? 何処の誰が打ったのか? どうして妖刀に触れても何とも無い人間がいるのか? 刀が使い手を選ぶ基準も含めて、謎だらけなのだ。
そもそも所有者以外の人間が触れると死ぬので、刀鍛冶や刀剣研究家はもとより盗人でさえ手が出せない。
妖刀について書かれた文献の
調べること
一説には前時代に造られた遺物とも云われているが、要するに何も分からないというのが本当のところだ。
そんなだから「妖刀が自ら所有者を選んでいる」なんて風説も出てくる。
実際その通りなのかもしれないし、見当外れであるのかもしれない。
真実は誰にも分からない。
妖刀を持つ者達も多くを語らない。
唯一確実に分かっていることは、妖退治に絶大な威力を発揮する刀ということだけ。
取り敢えず人が使える刀らしいから、使う。そんな曖昧な認識で人の手の内にあるのだ。
危険だとは思うが、『客死静寂』の正体を見極めるためには何よりも観察から始めなければならない。
それに本当に間合いが無いのなら、何処に居ても
ならば死中に活を求めるまでだ。
亜緒の瞳が闇に強く光る。慧眼に霊力を集中して、「見る」ことを超えて「視よう」とする。
『どう~? 何か分かった?』
「糸が……見える」否、糸と云うにはあまりにも細すぎるモノが紫の周囲を浮遊している。
僅か5ミクロン(0.005mm)程の鋼糸の刃。殺気も気配も無く、相手の首を落とす妖刀の一振り。
それが『客死静寂』の正体だ。
人を斬った嘆きの色も、斬った妖の怨念さえも、気配に変わるもの全てを喰らって妖刀は
前触れもなく、神楽殿が一瞬でバラバラになった。紫の笑顔と目が合って、その不吉さから亜緒は瞬時に場を離れた。
出来るだけ距離を置こうと
気がつけば、亜緒の全身が血に染まっている。
鮮やかな
僅かながら鋼糸に触れてしまったのだろう。深手だが首や手足が胴と繋がっているだけ、まだマシといえた。
「これはサスガに勝てる気がしない……かな」
薄れてゆく意識の切れ端を強く持とうとして、亜緒は少しだけ舌を噛んだ。