第3話「十年前」

文字数 5,151文字

 それは影のように(とら)えどころが無いという。

 姿を見た者は必ず殺されてしまうらしい。

 二目(ふため)と見られない異形(いぎょう)形姿(なりかたち)であるということだ。



 (おり)しも時代は大正二年。春。(ちまた)は鬼の話題で持ちきりであった。

 姿を見た者は殺されてしまうのに、鬼が異形の姿をしているというのは矛盾しているが、とかく噂とは尾鰭(おひれ)が付いて回るものだ。

 年号が変わってから、数多く出版されるようになった大衆誌のせいもあるだろう。ゴシップを提供する彼らは、人目を引きさえすれば有ることも無いことも書く。

 ともあれ、この一ヶ月で人が十人以上も殺されているのは事実であった。

 現在の都は物騒である。ガス燈が光ってはいても、夜はまだ人ならざるモノ達の領域なのだ。

 比べて昼は人の世だ。黒い太陽が照らす世界は薄暗いが、様々な店の色取り取りな灯りや人々の笑い声で往来(おうらい)は眩しいくらいの賑やかさで溢れている。

 その人混みの中に()じって、変わった二人が歩いていた。変わっているというか、悪い意味で目立つと表現したほうが正確だろうか。

「鬼が出たなら亜緒(あお)くんの出番やないの?」

雨下石家(ウチ)は依頼が無ければ動けないの。勝手に鬼退治なんてやったら、僕が当主(オヤジ)に殺されちまう」

 一人は紅藤(べにふじ)色の着流しに赤紫色の瞳。西の妖事(あやかしごと)を仕切る紅桃林(ことばやし)家の次期当主、紅桃林 (むらさき)

 今はまだ成長も止まっておらず、亜緒よりも身長が(わず)かに高い。髪も(つや)やかな黒だ。

 もう一人は東の妖事を仕切る雨下石(しずくいし)家の次期当主である雨下石(しずくいし) 亜緒(あお)

 袴姿(はかますがた)に青い髪と瞳を輝かせ、腰には刀を差している。

 どちらも見目(みめ)はまだ十三歳の少年であり、あどけなさが声や言動に顕著(けんちょ)だ。

 そこが(かえ)って周囲の人々からは浮いて見える。行き交う人々は皆、怪訝(けげん)そうな視線を投げて擦れ違ってゆく。

「しかし、帝都いうてもウチらん(とこ)とエラく変わらんなぁ。退屈や」

「文句を言うな。コッチはお前のために、したくもない東京見物をしてやっているんだ」

 当主である雨下石 群青(ぐんじょう)の言いつけである。断ることは出来ない。

「お兄さま、桜子(さくらこ)はクリームソーダが飲みたいです」

 亜緒の後ろを小さな歩幅で懸命について歩く六歳の妹。雨下石 桜子。本名はノコギリという。

 彼女も瞳は水色であるのだが、前を歩く二人が異質すぎるために奇異(きい)の視線からは逃れていた。

「それじゃ、カフェーに寄り道して帰ろうか」

「亜緒くんは妹さんに構いすぎやね。シスコンって言葉、よう知ってます?」

 紫が(ふざ)けたような言動でクツクツと含み笑った。

 紫にも殺子(さちこ)という妹がいて暇さえあれば彼女の面倒をみているのだが、殺子は常人と比べて体が弱いという事情がある。

 亜緒の言動と一緒くたに(くく)ってしまっては野暮(やぼ)というものだろう。

 手近なカフェーの扉を(くぐ)ると、すぐに亜緒と紫は足を止めた。

 店内は落ち着いた雰囲気のよくあるカフェーだ。客も楽しんでいるし、従業員も普通に働いている。

 しかし空気が異様に重い。この異常を感じ取れるのは、店の中でもこの二人くらいのものであろう。

 わずか十三歳であっても、(あやかし)討伐(とうばつ)専門である二つの大家(たいか)の次期当主なのだ。

 原因は窓際に一人で座っている黒い袴姿の客。長さ七十センチ程の棒状のものを黒い布で包んで抱えている。

(アレ、刀ちゃいます?)

脇差(わきざし)だな)

 二人は声に出さず、お互いの唇の動きを見て言葉を交わしている。これなら(くだん)の客の耳へは会話の内容自体、入りようが無い。

 黒尽(くろづ)くめの客は亜緒や紫とさほど歳が変わらないように見えるから、警官であるはずもない。

 帯刀(たいとう)が許されているのは警官か見廻(みまわ)り組、それと妖退治屋だけだ。

 もちろん、亜緒と紫は特別である。

「とても(くつろ)げる店や無さそうやね。此処(ここ)

「怪我したくないから別の店へ行こう」

 珍しく二人の意見が合った。が、ノコギリがテーブルから手を振って呼んでいる。どうやら(すで)に注文を済ませてしまったらしい。

 亜緒と紫は顔を見合わせてから、観念して大人しく席に座った。

 要注意人物から離れた後ろ側に座れたのは、ちょっとした幸運だったかもしれない。

(亜緒くん、見はった? 彼女、もの凄い美形やね)

 紫はテーブルへと向かう途中、擦れ違いざまに相手の顔を確認したようだ。

(あまり視線を送るなよ。向こうも俺たちを意識しているぞ。それと、奴は男だ)

(さすが物事の本質を見抜く雨下石家の瞳。便利やねぇソレ)

 紫が笑った。しかし、(けん)のある笑顔だ。

(まぁ、イザとなったら僕が()らせていただきますわ。亜緒くんは妹さんと逃げぇ)

(頼りにしてるぜ。紫先生)

 紫の体の中には九を(かぞ)える武器が特殊な外科手術によって仕込まれていて、初動も間合いも読めない変幻自在の攻撃をする。

 彼の強さは亜緒の師匠である雨下石 浅葱(あさぎ)も認めているほどの実力だ。

(で、慧眼(けいがん)で見たところ正直どないなん?)

(かなり強い。お前と同じくらい人を斬っているな。下手(へた)したらそれ以上)

(あらら。そら相当なモンやね)

 紫の表情が歓喜に(ゆが)む。殺人鬼を前に物怖(ものお)じしないのは心強いが、それは彼が味方である(うち)という条件つきでの話だ。(いや)、紫を味方だと断定するのは早計(そうけい)かもしれない。亜緒は気を引き締めた。

 程無くしてテーブルに注文した品が運ばれてくる。

 クリームソーダとブラジルコーヒーが二つ。

「真似するなよ。恥ずかしいだろ」

下世話(げせわ)勘繰(かんぐ)りやで。コッチへ来たら銀ブラ《銀座でブラジルコーヒーを飲むこと。大正時代の流行りの一つ》しよ思てたんやわ」

 ノコギリの前に置かれたクリームソーダは、青く涼しげにグラスの中で光っている。

 店員が気を利かせて足の長い椅子(いす)を持ってきてくれた。

 ノコギリの背丈ではテーブルの位置が高すぎて、普通の椅子では目線が低くなってしまう。飲み物を楽しむどころではなくなってしまうのだ。

「クリームソーダいうたら普通、緑ちゃいます? 青いのなんて初めて見ましたわ」

「お兄さまと同じ瞳の色……」

 グラスの中に溶けた青を、ノコギリはウットリと見つめた。彼女にしてみれば、青は大好きな兄の色なのだ。甘えさせてくれる唯一にして、無二の身内。

「赤いクリームソーダのほうが美味しいよ? お子様が大好きな苺味や」

 少女の耳に余計な雑音が入ってきた。

「少し黙っていてくれない?」

 ノコギリは鋭い視線で紫を(にら)みつけると、精一杯大人びた仕草で軽口を()()ける。

 子ども扱いされたのが気に入らないのだろう。六歳は明らかに子供であるのだが、ノコギリは背伸びをしたい年頃であるようだ。

 彼女は家の事情で学校へ行っていない。勉強は家庭教師に見てもらっているから、同い年の友達というものを知らないのだ。

 (まわ)りは年上ばかりという環境が、六歳児にしてはマセた態度を取らせてしまっているのかもしれない。

「嫌われたもんやなぁ。僕は雨下石家と仲良うしたいのに」

 嬉しそうにコーヒーカップを(かたむ)けながら、紫は気にした様子も無い。嫌われようが好かれようが、一向(いっこう)に構わないという態度だ。

 突然、黒尽くめの少年が席を立った。僅かに亜緒たちが囲むテーブルに視線を送ると、金を払って店を出て行ってしまった。

「あらら。拍子抜けやね」

 数種類の薬を飲み込んでから、紫が残念そうに言った。

 亜緒は内心安堵(あんど)していた。紫のことだ。イザとなったら、どちらに斬りつけてくるのか知れたものではない。黒尽くめと亜緒、両方始末しようと動く可能性もあった。

 紅桃林 紫という男は敵に回せば厄介、味方であっても全幅(ぜんぷく)の信頼を置くには足りずという男なのだ。

 気紛(きまぐ)れで荒事(あらごと)を好む。背中を預けるには危険すぎる。

 ともあれ、カフェーには日常が戻った。



 店を出た少年は郊外(こうがい)へと向かっていた。「人の居ないところ。静かな場所」という条件で人力車を走らせている。

 車夫(しゃふ)は風景が閑散(かんさん)へと変化していくにつれ、この風変わりな客を乗せたことを後悔していた。

 子供、それも女の子が行きたがる場所ではないし、全身黒尽くめというのも気味が悪い。

 話しかけても人形のように無表情で返事は無いし、だいたい目的場所の指定が妙である。

 歳にそぐわない落ち着きと人の容姿とは思えない美貌が、「自分は、もしかしたら妖怪変化でも乗せているのではないか」という不安を抱かせ、車夫の足は自然と速まっていく。

 やっとの思いで車を止めると、男からは冷たい汗が流れていた。

「この辺までくれば、周りは原っぱだけだよ。向こうに洋館が見えるが、今は誰も住んで居ないって話さ」

 声の最後は震えていたが、本人は気がついていない。

 少年から少し多めの運賃を受け取ると、車は逃げ出すように引き返して()ぐに見えなくなった。


 草原に立つ。

 冷たい風に混じる春の匂いが、細く繊細な髪を撫でて去る。

 昔から季節と()うものが美しく、不思議でならなかった。

 夏のざわめき。秋の色。冬の空気。そして、今は春の歓喜。

 どれも愛おしく、(かな)しくなるくらい少年の胸を打つ。

 自分の周りの全ての物事を愛したいと思う。雨も夜も夢も(うつつ)(まぼろし)の中でさえ。

 そうして(しばら)く黙っていたが、突然少年を(まつ)ろう空気が変わった。

 ――何処(どこ)からか自分を見ている者がいる。

 最初に思い当たったのは、カフェーに居た只者(ただもの)ではない二人組みの客。しかし、その考えをすぐに打ち消す。

 この視線は人ではない。何か違う別の質感だ。

 少年は刀袋から脇差を取り出すと、(さや)で自分の影を叩いた。

「痛い!」

 奇妙なことに少年の影が喋った。否、影の中から声が聞こえる。

 次に少年は鞘から刀を抜くと、影に向かって突き立てようと構えた。

「待って!」

 影面に波紋が揺れると、顔を出したのは(あや)しげな少女だった。

 綺麗に切りそろえられた前髪と三つ編み。その下の輪郭(りんかく)には鼻も口もある。

 ただ、目が一つしかない。単眼の異形(いぎょう)

 一つ目小僧ならぬ、一つ目少女だ。

(あやかし)か……」

 無感情に(つぶや)くと、少年は切っ先を少女に向けた。黒い鞘に黒い(つか)、銀の刃が薄闇の狂気を吸い込んで鈍く光る。

「影を借りたのは謝るわ。あなたに危害を加えるつもりは無いから安心して」

 少年の影から不器用に這い出すと、少女はペコリと頭を下げてから両手を上げた。降参(こうさん)のポーズのつもりらしい。

「俺に何か用か?」

 問われると少女は少し笑ったように見えたが、大きな瞳には人とは違う何か異質の光が宿っている。

「あなた……とても綺麗ね」

「最初に言っておくが、俺は男だぜ」

 高い声が説得力無く響く。まだ変声期前なのだろう。

「私は闇子(やみこ)。あなたの名前を教えてくださる?」

音無(おとな)し……」

「変わった名前ね。本当に本名?」

「君に言われたくないな」

 少年は詰まらなさそうに刀を鞘に収めた。

 (かそけ)し甘い、危険な出会いの瞬間である。
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