第36話「花惑いのこと」~公演、左団扇の参~

文字数 3,503文字

 生涯において、心の臓が波打つ回数は、どの生き物も(おおむ)ね大差が無いと云う。寿命の長い生物は遅く、短い物は速い。その鼓動の速度に差があるだけなのだ。

 ならば私の死は魚の姿と人の姿、どちらの自分が()ちた時になるのだろうか。



 春も盛りを迎え、漂う空気が気だるさとともに心地良い安心感を(ともな)って霞みはじめる頃、(みぎわ) 蘭丸(らんまる)は川原沿いの並木道を歩いていた。

 黒く輝く太陽が空を蒼く染め上げる下では、桜の花弁の一枚一枚は薄桃色に白く白く輝く。

 その光は行灯(あんどん)や電気、ガス灯とも違って、(みやび)で嫌味の無い幻想的な光を咲き(こぼ)す。

 まさしく生命の輝きのように美しく、そして儚い。

 見頃を通り越して、桜はもう散り始めている。(まと)わりついてくる薄桃色の光を墨色の着物から落としながら、蘭丸は桜並木の道を急いだ。

 花と云うのは不思議なものだ。人の視覚を通して、眠っている感情に語りかけてくるような存在感を持つ。特に桜には狂気や魔性という人の(さが)の裏側をざわざわと撫でてくるような、そんな静かな迫力があると蘭丸は思う。

 感性というのは人それぞれだから、その救われない激情こそが彼の本性なのかもしれない。

 それにしても静かだ。桜の舞う音だけがリンリンと耳に残る。もしも世界の果てがあるとしたら、こんな場所なのかもしれない。

 人の通りがまるで無いのは亜緒(あお)が結界を張っているからで、そういうところは流石に雨下石(しずくいし)だと感心するのであるが、蘭丸にとってあの青い髪の青年はどうにも胡散(うさん)臭く映る。

 今回の妖事(あやかしごと)は通りモノの仕業であると彼は云う。蘭丸には通りモノというのが今一つ、はっきりとしないのだ。

 ――通りモノとは、不運に遭遇するということだ。(いや)、妖というのは押し()べてそういうモノだ。(とら)えどころが無いから妖なのさ。

 そんな彼の物言いも、やはり捉えどころが無い。

 蘭丸が川原沿いを急ぐのは、その雨下石 亜緒に呼び出されているからだ。

 今日、通りモノを待ち伏せるということらしい。

 (しばら)く歩くと川原に一本の赤い野点傘(のだてがさ)が見て取れた。明らかに周りの風景からは浮いている。

「あそこか……」

 蘭丸は坂を(くだ)って、傘の下に寝転がる青年に声を掛けようとして先を越された。

「やあ、蘭丸。時間通りだな」

 青年はうら若い女性の膝に頭を預けたまま笑った。蘭丸は呆れる。

「何の真似だ雨下石。部外者を連れてくるとは聞いていないぞ」

「彼女は雨下石家の関係者だ。僕なんかよりもずっと偉いし、高い霊格と地位を持っている。それに必要だから、わざわざ来てもらっているんだ。彼女のような存在が居たほうが、通りモノに()う確立は格段に上がるからね」

 豪奢(ごうしゃ)な着物を纏った美女は、毛氈(もうせん)の上で不満そうに足を揃えている。

「そして、花見には美味い酒と美女だ」

「亜緒、言っておくが(われ)は捕り物には協力せんぞ」

「いいとも。(ぬえ)は居るだけで良いんだ」

 そう言うと亜緒は桜の花びらが浮かんだ(さかずき)を一気に(あお)った。

「蘭丸も座れ」

 言われるがまま、蘭丸が傘の下に落ち着くと、やはり女性に目が行ってしまった。何やら妙な女性なのだ。見目麗しいと云ってしまってよいのだろうが、(かも)す雰囲気が人らしくない。

 ――彼女が鵺か。

 雨下石家が(まつ)るモノ。やはり人とは異なる美しさを持っている。妖艶(ようえん)と云うべきか。人の身に出すこと叶わぬ美しさだ。

「君も好きにやってくれ」

 亜緒が酒の入った陶製の徳利(とっくり)を指差すが、蘭丸は遠慮した。下戸(げこ)なのである。

「今日は(くだん)の妖を(おび)き出すと聞いていたが――」

 鵺が重箱に詰められた料理を箸で掴み、亜緒の口元へと持ってゆく。

「これでは(ただ)の花見だ」

「花見だよ。ある意味、放っておくしかない存在を相手にしようというんだから、焦ったところで仕方がない」

 気を入れなおす必要があるのか、蘭丸は一度咳払いをした。

「それにしたって他に――」

「まったく、雷刃の妖刀使いは()というものを(わきま)えんな。それに(ぬし)も主だ。仮にも雨下石家次期当主が受ける仕事でもあるまいに」

「次期……当主だと?」

 蘭丸は初めて亜緒の身分を知って驚いた。今まで、彼を雨下石家の分家の末席あたりの者と思っていたのだ。

「鵺、余計なことを言うな」

「事実じゃろう。主は其処(そこ)の自覚が無さ過ぎる」

 鵺は溜め息をついた。落胆さえ、(つや)がある。

「蘭丸、僕のことは好きに呼んでくれて構わないが次期当主ってのは止めてくれよ? それと敬語も無しだ」

「何故だ? 次期当主というのは本当なのだろう?」

「僕は他人から上に見られるのが好きじゃないし、そもそも強さや権力なんて、やりたいことをするための道具に過ぎないだろう? 僕には別段、目的というものが無いからさ」

 そんな御大層な人間じゃないのさ。と、舞い散る桜の花びらを繊細そうな指で弾いた。

 そんな彼を蘭丸はやはり変わった奴だと思ったが、不思議と嫌味な感じはしない。

「それに僕も君を妖刀使い様だなんて扱いはしない。お互い他人から(うやま)われるほど大した人間でもないだろ」

 蘭丸の無言は肯定だった。違いないと思う。

「一杯だけ貰おう」

 蘭丸は亜緒に注いでもらった酒を勢い良く飲み干した。

「通りモノは蜃気楼(しんきろう)と同じだ。コチラが移動する分、遠のく。だから逃げるか、止まっているのが一番良い待ち方なんだ」

「根掘り葉掘り探しても、かえって見つからないというわけか」

「まぁ、そういうことなんだが、本来ならその言葉は根掘り葉折りと云うんだ」

 鵺はもう無言で亜緒の盃に酒を注いだり、口に料理を運んだりしている。話題にはまるで興味が無いらしい。

「根を掘り葉を折るように徹底的に探すという意味だな。だいたい、葉を掘るでは意味が分からんだろ」

「それでも言葉の意味は通じるのだから構わないだろう?」

「確かに言葉は生き物だから、時代とともに変わってゆくものだがね。僕らのように呪術を生業(なりわい)とする者にとっては本来の意味、つまり言霊(ことだま)というものには過度に(こだわ)ってしまうものなのさ」

 面倒くさいだろうと言いながら亜緒は笑った。

 花見の席の無駄話である。こうして時間を潰して、待っていることしか今の蘭丸たちには出来ることが無い。

「それより君も何か食べろよ。出汁(だし)巻きでもどうだい?」

 亜緒が重箱三段重ねに詰められた弁当を勧める。鵺は食事をしないから、とても亜緒一人で食べきれる量ではないのだ。

「いや、俺は遠慮しておこう」

 先程から鵺が蘭丸を睨んでいる。どういうわけか、良く思われていないらしい。その視線はあからさまに拒絶を突きつけていて、どうにも居心地が悪い。

 とても食欲が湧く気分にはならない。

「鵺、蘭丸は客人だ」

 亜緒が無作法を(たしな)める。

「我は妖刀使いを好かぬのじゃ!」

「君は人の好き嫌いが多すぎるよ。まるで子供みたいだ」

 クスリと笑う声がチクリと鵺の心に棘のように刺さる。

「わ、我にも思うところがあるのじゃ!」

 群青(ぐんじょう)月彦(つきひこ)が居たように、亜緒にも妖刀使いの影が付き纏い始めた。偶然か必然なのか、雨下石家当主の周りにはいつも妖刀使いが絡んでくる。

 それが鵺には面白く無い。

 雨下石家は鵺を祀り、鵺は雨下石家に祀られるモノだ。ならば常に隣に居てよいのは、(いや)、居るべきモノは鵺でなければならないはずだ。

 憑いた雨下石家の者を守護するのが鵺の本能であり、存在意義だ。鵺が鵺であるために必要なことなのだ。

 その存在意義を否定されたら、鵺は拠り所を無くしてしまうのである。

 花が光って散り、ちりぢりとなって(ちり)と消えた。
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