第22話「猿婿」

文字数 4,194文字

 ――貴女(あなた)の稲妻のような美しい太刀筋が、目に焼きついて未だに離れない。貴女の居合いは一瞬の煌めきのように輝いて、まるで命を刃に乗せているかのように苛烈だった。



 妖刀『電光石火』を抱えながら目を瞑って何やら難しい表情の彩子(さいこ)の前に、蘭丸(らんまる)はオニギリが三つ載った皿と熱いお茶を置いた。

「師匠、出来ました」

 彩子の眼がカッと開く。

「うむ、ご苦労。中身は何だ?」

「鮭と梅干し、それと昆布の佃煮です」

 彩子はオニギリを一つ掴むと、手早く済ませるための昼食に手をつけ始めた。

 午後一番に依頼人が来ることになっているのだ。その客が少々ワケありで、雨下石(しずくいし)家から回されてきた事案なのだった。つまり、妖退治の大家(たいか)である雨下石家が投げた依頼ということになる。

 割が合わなかったのか、あまりにも莫迦(ばか)らしくて受けるに値しなかったのか、とにかく依頼人を(みぎわ) 彩子に押し付けてきた。

「こういう場合、大抵は(ろく)な仕事じゃないんだ」と、彩子は心底嫌そうに言った。

 何度か苦い思いをしているのだろう。しかし、雨下石家の要望とあっては断るわけにもいかない。

 この業界、雨下石家に借りを作っておけば、後々損は無いというのもある。

 とにかく、蘭丸も早々に昼食を済ませて来客に備えることにした。

 内容次第に寄っては、すぐに退治ということもある。万全の状態で斬るために、食事は軽いもののほうが良いのだ。

 時計が午後一時を回ると、すぐに依頼人は現われた。もしかしたら、昼時から門の前で待っていたのかもしれない。それくらい計ったように正確だった。

 依頼者は身なりの良い洋装を身に着けた紳士。髪も整髪料でピタリと七三に分け、口元には髭をたくわえている。年齢は四十を少しばかり超えた頃であろうか。隣に立つ少女はおそらく娘であろう。

「お待ちしておりました。私がこの家の主で妖刀使いの渚 彩子です。こちらは弟子の蘭丸と云います」

 蘭丸が会釈をすると、娘はあからさまに頬を紅潮(こうちょう)させて恥じらいの表情を浮かべた。

 居間に通されると、先ず紳士は雨下石家からの紹介状を座卓の上に載せた。

成明(なりあきら) 東次郎(とうじろう)と申します」

「娘の(あや)です」

 父娘(おやこ)が揃って小さく頭を下げる。緊張しているのか、娘は少し震えているようにも蘭丸には見えた。

「して、今日はどのような御用件で」

 妖刀使いに来る仕事は単純明快である。即ち妖を斬ることだ。

 彩子はどういった経緯で妖と揉めているのか、その事情を聞きたいのである。

「話の前に、この用件は御内密にお願いしたいのですが」

 痩せ気味の依頼人は、見かけに相応しい細い声で念を押してきた。

「分かっております。何処(どこ)もそうですが、依頼人の名前、素性、用件の内容に到るまで、秘密厳守でやっております。妖刀使いならば(なお)のこと」

 そこまで言われてやっと安心したらしく、紳士は出された茶に一度口をつけた後、信じられないことを言った。

「実は妖と約束ごとをしまして……」

「ほう」

 彩子は平然と相槌(あいづち)のような声を出した。よくある事なのだろう。

「ソレに()ったのは二十年近くも前のことになりますが、当時の私は仕事を辞めて新しく事業を(おこ)そうと躍起(やっき)になっている世間知らずの青二才でした」

 男は身の上話から入った。妖に関係があるのなら、聞かねばならない。

「鉄鉱石を輸入する商社を立ち上げたんですが上手くいかず、借金を抱えて途方に暮れている私の前にソレは現われました」

 どうやらソレ、というのが今回の標的らしい。

「全身毛むくじゃらの、猿のような……いえ、身の丈が三メートルほどもありましたからゴリラに近い姿をしていたと思います。ソイツは腰を抜かしている私の前で言ったのです」

『オレはオマエのゼツボウをスクってやれる。それにはタイカがヒツヨウになるが』

「妖だと思いました。自暴自棄になっていた私はソイツの話を聞いてしまいました」

『メンシをガイコクにユシュツしてみろ。カナラずカネモちになれる』

「その通りになりました。私は綿糸(めんし)を輸出する商社を立ち上げて、現在も利益は右肩上がりです」

「結構なことです。それで貴方が払った対価とは?」

 そこが重要なポイントになる。と、蘭丸は姿勢を正した。

「娘が……十五の(よわい)になったら猿の嫁として差し出すこと」

「なるほど」

 少女は両手で顔を覆って泣き出した。

 なりふり構っていられない状況なのだろうが、娘の前でする話だろうか? とも思ったが、なるほど目の前に居ないと心配で仕方がないのだ。蘭丸は男の無神経と小心を心の中で(わら)った。

 それにしても切羽詰(せっぱつ)まっていたとはいえ、無茶な約束をしたものだ。

「おそらく(くだん)の妖は狒狒(ひひ)でしょう。狒狒は人語を解し、未来を見通す能力があると云われています。これから先、この国でどんな商売をすれば儲かるのかが分かっていたのでしょうね」

 そして、生きながらえた男に将来、娘が生まれることも分かっていたのだろう。

「その狒狒を斬って欲しい! 可愛い娘を猿の化け物なんぞにやれるものか!」

 男は大声で勝手なことを言った。

「しかし、貴方(あなた)は自分の娘を売って商売に成功したのでしょう? 商人なら契約を守るのが筋では?」

「蘭丸!」

 彩子が弟子を(たしな)めた。口が過ぎたかと、蘭丸も男に謝罪する。

「あれは単なる口約束だ! 書類があるわけでもない! あんなもの契約と呼べるものか!」

 父親の激昂(げっこう)(おび)えた娘が顔を上げた。よほど吃驚(びっくり)したのか、涙は止まっている。それとも同情を引くための、泣いたフリであったのかもしれない。

「他に狒狒は何か言ってましたか?」

努々(ゆめゆめ)約束を忘れるなと。娘が十五になったら迎えに来るとも」

「娘さんはいつ十五になられるのです?」

「明日です」

「明日、十五だとしたら、おそらく迎えが来るのは今夜ですね」

「そんな。それこそ約束が違うじゃないか!」

 男が一方的に妖を責める。自分はその約束すら守る気も無いくせに、勝手なものだ。

「落ち着いてください。満年齢では誕生日の一日前に歳を取るのが正しい数え方です。つまり、一月六日生まれの綾さんは既に十五になっているのです」

「そんな……そんな……」

 男は肩を震わせて狼狽(ろうばい)した。

「ご安心ください。その妖は、この渚 彩子が妖刀『電光石火』を()って斬り伏せます」

「宜しく頼みます」

 ハンカチで顔を(ぬぐ)いながら、妖と契約した男は頭を下げた。

「ただ、狒狒となると退治料は少しばかり高くつきます」

 手強い。ということだろう。

「それと斬った後のことですが、貴方の商社の経営が傾く可能性があるかもしれません。それでも依頼しますか?」

「何故、我が社の経営が悪化すると?」

 依頼人は不満そうに眉を(ひそ)めた。

「妖に関わるとは、そういうことですから」

 元々、妖のおかげで成功した商売である。妖が死ねば、何かしら揺り戻しのような現象が起こる可能性は高い。

「もちろん、何事も無い場合もあります」

 男はチラと横目で娘を見てから二、三呼吸をおいて彩子に正式な依頼をした。

 * * * * * * * * * * * * * *


 渚家から馬車で三十分ほどの距離に、成明(なりあきら)邸はあった。和洋折衷の立派な屋敷だ。広い庭は手入れも良く行き届いているが、彩子と蘭丸にその(おもむき)は届かない。二人は妖を斬りに来たのだ。

 本来であるなら、彩子は自分の家で娘を護りつつ狒狒退治に臨みたかった。そのほうが彩子に取っては勝手が良いし、やりやすい。

 しかし依頼人である東次郎(とうじろう)氏が、どうしても自宅に娘を連れて帰りたいと譲らないので、わざわざ蘭丸を(ともな)って出張(でば)ってきたのだ。

 理由はすぐに分かった。

 東次郎氏は彩子の他にも妖退治屋を何人か雇ったらしく、刀を下げたそれらしい人物が邸内を歩いている。

「これは困ったな」

 彩子は独り言を呟く。

 彩子から見れば、他の退治屋は邪魔以外の何者でもない。下手を打てば、何人か巻き込んで斬ってしまうかもしれない。

「師匠、この依頼を断ってすぐにでも帰りましょう。一流の妖刀使いに仕事を依頼しておきながら、この有様。この家の(あるじ)は礼儀知らずも(はなは)だしい」

「まぁ、待て蘭丸。それだけ娘のことが大事なんだろう」

 この仕事は雨下石家から回されてきた依頼だ。断れぬ訳は、そこにもある。

「珍しく気が乗っていないようだね。蘭丸」

 蘭丸には成明 東次郎という男が、どうしても気に入らない。妖と取り引きをして財を築いておきながら、その対価を払う段階になったら相手を殺して踏み倒す。これでは妖も人も変わりがない。いや、妖より始末が悪いのではないか。

「お前には大切なものが無いから、成明氏の気持ちが理解しづらいのかも知れないな」

 彩子の言葉は少しばかりの(かな)しさを持って、蘭丸の耳に届いた。

「この仕事をしていれば、こういうことは多々あることだ。今日、お前を連れて来たのも実地で妖退治を見せておきたかったからだ」

 仕事は仕事。(おのれ)の感情とは切り離して、割り切って貰わねば困る。

「私達は正義の味方ではないんだぞ」

 それは蘭丸にも分かっている。妖退治屋、ましてや妖刀使いは常に「人間の味方」でなければならない。

 どんな依頼人、悪条件の下であっても、妖を斬らねばならないのだ。
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