第29話

文字数 556文字

 井坂はあずみと面識がなく、その話はそこまでとなった。「そんなことより――」誠司は絵美の仕事について尋ねた。
「昨日ちょうど二人で話したんです」
「どうだった?」
「子供がいるから今までのようにはいきませんが、カフェタイムにやることもたくさんあるので」
「昼間の客なんか何も知らないだろう。夜の営業中にここに立てると思うか。私はそれを恐れてるんだ」
「絵美にはうちで働く前からの友達もいるし。今も客と会ってるようなんです」
「それは知ってる」誠司はすべて言い尽くしてもまだ足りないみたいに首を振った。「きみがしたことに責任が問われても、まだ絵美は無傷でいられたんだ。それをあんな恥の上塗りをしたからどうしようもない。今はその気持ちもわからないわけではないが」
 井坂が台についていた手をさっと離し、手元の作業にとりかかった。井坂がやると、物を置くのや、水道の水でさえ、音のない世界にすりかわった。
 誠司は頭を抱えた。
 あの夜は自分の運転でつれてきた。かえでも乗せて。ここにいるだけであの夜の光景がまざまざと映し出される。しかし、実際は、無遠慮な態度で、まじまじと娘婿を眺めていたらしい。自分から言葉をかけるべきじゃない。徹底して当たり障りのない返事をすることだ。そういう状態があるのを、この男は腹立たしいまでによく知っている。
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