第5話

文字数 826文字

 誠司はベビーカーが傘立てに突き刺さるような音で昼寝から目が覚めた。ドアの向こうに、風に当たってくると言った絵美が帰っていた。誰かとがやがやと話しながら中にまで入ってくると、誠司は驚き、しばし金縛りのように固まっていた。
 すぐに寝室のドアを叩き、なにごとかと尋ねた。
 絵美は送ってもらったのに失礼じゃないとむくれたが、誠司は一歩も譲らなかった。「あずみさんごめんね」絵美が謝ると、一貫して笑顔を崩さない不気味な女は、見送りはいいいから子供を見てあげてと懇願し、これみよがしに寛大な心を表した。
 その女は、あろうことか、こんなふうに言ってのけた。離婚とか親権を奪われるとか心配じゃないんですか――。自分だけが力になれると思い上がっている! 親を無理解の役立たずときめこんでいる厚かましさ。それからも絵美とぴったりくっついて話しながら、誠司だけは遠ざけるように、嫌悪をかき立てるように家中をじろじろ見回していたのだ。誠司は最初からすべて知っていた。絵美が頻繁に電話している時点でなにもかもわかっていた。冗談じゃない。こいつは興味本位で娘の味方を演じているだけだ。
「あんな人間はもうつれてこないでくれ」十分くらいしてふたたび絵美が帰ってくると、誠司は勢いにまかせて言った。「とにかくここに入れるのはだめだ。寝室だろうとどこだろうと。ここは母さんと最後に過ごした場所なんだ。たのむから――」
 なぜか言葉が出てこなかった。すっかり打ちのめされていた。いろんなことがつづいたせいだ、と誠司は思った。
「お父さんがおむつ替えてくれたこともあるのは知ってるよ。だけどあたしがかえでのことで負担をかけないようにしてるのはわかってるよね」
「ああわかってる。わかってるよ」
 絵美は聞いていなかった。
「あたしから頼んで話を聞いてもらってるの。助けてもらってるの」
「なにをだ?」
 その瞬間、言ったことを後悔した。誠司は絵美に背を向けた。もはや二人が話をつづけることは不可能だった。
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