第11話

文字数 1,039文字

「お父さんってほんと出かけないね」
「おまえたちがいるのにか」
「そういうことなの? なんかときどきびっくりすること言うよね」
 少なくともこんなふうにテレビを見ていたりはしなかった。そう思ってこれまでのことを振り返ろうとするやいなや、気持ちが妻との闘病の最中に戻ってしまい、何も思い出せない。娘の言うとおりだ。いったいいつからこうしているのだろう? そんなことを考えているうちに、十分、二十分、とさらに時間が過ぎていく。
 ところが、誠司が寝室のドアを開けた瞬間、目にとびこんできたのが食べたもののごみだった。
 ついでだからと娘たちの服も洗濯しようと考えたのがいけなかったのか? こんなことすべきではなかったのか? ベッドで寝るかと聞いていおいて、この散らかりようはなんだ? 誠司はサンドイッチとパンの包みを拾いながら屈辱にあらがった。絵美が寝室にいるときは、かえでのことや電話だけでなく、昼寝もしていた。よく深夜に起きてくるものだなと不思議に感じていたが、また食べているとは思わなかった。
 絵美は出かけるとも言わず、部屋の明かりをつけっぱなしにしていた。商売にたずさわることで、電球の一つや二つがどうでもよくなるのだろうか?
「洗濯してくれたんだ。ありがとう」
 絵美が壜入りのマンゴージュースを一口飲んで、空惚けたように「さあ」と笑うので、井坂くんのことじゃないと即座に切り返した。誠司が聞いているのは、バーの経営についてだった。絵美自身はどこまで深みにはまっているのか? もしかして逃げようがないのか? そんな心配をよそに、絵美は浮気相手の女が相当な間抜けであることを愉快そうに話した。誠司が寝室を見て苛立っていることなどどこ吹く風だった。子供を抱えて押し潰されそうになっているのを見ていたから、とにかく楽しんでいる絵美を前にして、誠司はほとんど自動的に固まっていた。
「あたしを見てなんて言ったと思う? あんたなんか知らないだって。ぜんぜん知ってるんだよ。こっちだってどこへ引っ越したかも、つまらない飲み屋を立て直そうとしてることも知ってるのに」
「そんな話をしてるんじゃない。赤字か黒字か、どっちなんだ?」
 絵美が言うには、移転後も十分な客入りがあるようだった。借用書のサインを、すべて夫の名前でしたのも、絵美は見ていた。
 絵美が夕食の準備をしにキッチンへいった。
 どうして相手の女が引っ越したのか? あいつは同業者の女と寝たのか? 疑問と失意と憤りが一晩中誠司の頭の中で渦巻いた。
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