第38話

文字数 1,138文字

 誠司は寝室の向かいの部屋で頭痛薬をさがしてくると、絵美からスマートフォンをとり上げ、今日の出来事について思い当たるふしはないか尋ねた。もう無理にあずみの人格批判を吹き込もうとはしなかった。絵美はおとなしくコップの水を飲み下した。
「ここ何日かは家に入れてくれなくてファミレスでぼうっとしてた」
「あっちは一人暮らしだったじゃないか」
 誠司はそれが動かぬ証拠だと言わんばかりに、手の平にもう一錠出して飲ませると、油断のない動きでカーテンを閉めた。あの女が外から見ていようとかまわなかった。あの女の存在そのものを自分の手で無に返したかった。娘たちが耐えなければいけなかった時間を思うと、おちおち座っていられなかった。
「我慢すればいいってものでもない」
「迷惑がられてるのは知ってたけど、会いたいって言ってくるのはあっちだから考えないようにしてた」絵美はそう言いながら自分で否定した。「でも、まだわからない。電話に出てくれないことは前からあったから」
「そういうときはどうしてた」
「しらない」
「あとでどんな言い訳をするんだ? たとえば寝てたとか。どこそこにいたとか。――仕事は探してなかったのか」誠司は答えを待ったが、絵美はなにも言い出さなかった。「あの女の何もかもを知ってるわけじゃないだろう。嘘をつかずに人をだますことくらいわけないぞ」
「じゃあどうして家に泊めてくれたりするの」
「向こうがいて欲しがったんじゃなかったのか」誠司はきっぱりと言った。「まあ、それもすぐにわかる」
 そのとき二人は、何の期待もせずに、テーブルのスマートフォンに目をやった。それがもしあずみからだとしても、今の状況を打開できるとは思えなかった。井坂からだった。
「電話なんかしなくていいから早く帰って」
 本当にあずみかと問い質しながら、絵美が寝室へと消えた。
 誠司は意外にも冷静な自分に驚いていた。まだ今は考えるべきではなかった。井坂とあずみが最近まで関係していたかもしれない最悪の事態だけは――
「ちょっと出かけてくる。スーパーの惣菜でいいだろ」
 誠司はかえでの手を唇につけて頭をふるふるした。絵美が玄関まできた。
「知らないやつがくるわけじゃないんだ。なにを恐れてる。らしくもない」
「べつに誰かがくるとか思ってない」
「もう二度と人に教えるんじゃないぞ。ここは父さんの家だからな」
「わかってるよ」
 誠司は絵美を見ると、ほとんど反射的に、本能のレベルで、傍にいてやらなければという思いに駆られた。しかし、それは自分の役割ではない。それに絵美の力不足を意味するわけでもない。車の外に見える町並みはまだ十分に明るく、夜が訪れるとは思えないほどだった。しかし、誠司がスーパーの中を一巡りしていると、もう外は一面の闇だった。
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