第43話

文字数 1,229文字

 そこで井坂がどんな顔をしようと、本当のところはわからないのに、あずみの画像を手に入れて一番に井坂に見せたかった。意識して何かほかのことに気をとられようとしながらも、それが頭から離れなかった。
「画像なんかとってるわけないじゃない」
 絵美のスマートフォンには、数千枚ものかえでの画像が入っていたが、やがて見慣れない自分の姿にいきついた。かえでが元気にのしかかっていた。誠司はかえでの重みで溶け出し、ソファに染みこんでいるかのようだった。それでも食い下がってあずみの画像が一枚もないのをたしかめた。その事実は、状況に反していながらも、誠司の心に妙な安心感をもたらした。
「待たないの?」ともどかしげに送り出した絵美が、結局、出勤する井坂の車に同乗し、午後には誠司のマンションにやってきた。そんな近くまでいっておきながら、バーへは立ち寄らなかった。
「ぜんぜん起きないから心配したよ」
 誠司は、かすむ目で、午後四時あたりなのを見てとると、ソファから足を下した。なんてことだ。眠っているだけで死んでるのと見分けがつかないなんて。
「今日も何事もなかったって。保育園で」
「そうか。それはよかった」誠司はまだ目を閉じたまま、ぼそぼそと言った。「一人でいかせて悪かったな」
「そんなことはいいの。それよりどうしたの? 大丈夫?」
 ここへくるくらいなら仕事を手伝ってやったほうが――
「なに? なんて言ったの?」
かえでがとことことやってきて、誠司を小鳥の形の折り紙でつついた。年寄りを静かに寝かせておいてくれた? こんな優しい子がほかにいるだろうか? あのブリキのおもちゃみたいな愛らしい歩き方! かえでは絵美の足に体当たりして、器用に方向転換すると、また誠司に向かってきた。誠司はたたんでいた毛布を放し、全身で受け止めるべくかまえた。すると、かえでが寸前で立ち止まり、してやったりと最上級の笑顔で母をふり返った。
大人たちは一挙に息を吹き返した。
誠司はしばらく黙っていた。
「苦労してつくったものを、今度は手放したくなったか」
「いいのよ。一人でもやれるんだから」
 その瞬間、胸が締めつけられた。絵美は自分の気持ちがどこにあるか見失っているらしい。
「お父さんはこんなときどうしてる?」冷蔵庫を開けて戻ってくると、絵美が取り繕うように言った。「あたしはおいしいお酒とおいしい料理でぱっと羽を伸ばすんだけど。そういえばバーの近くに新鮮な海産物を食べさせてくれるところがあって、そこでウニを食べてたらお父さんのことを思い出して笑ったよ」
「あれだけは食えないままでいい。父さんは断然ウニより栗だな」
「それと栗きんとんでしょ」
「三人でよく食べたな。今年はかえでにも食べさせてやらないといけないな」
「あたしもつくれるんだよ」
「ほんとか。母さんがしてたようにか」
よく見ると、熱いお茶がテーブルに置いてあった。かえでが思い通りにならない手を一生懸命に動かしていた。歓喜のパチパチだった。
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