第50話

文字数 837文字

 医療機器メーカーの事務員が、ジャケットをさらりと身にまとい、楽しげに誠司のまえにやってきた。その男とかならず一緒にいる方はどうにも虫が好かなかったが、井坂とまだすこし談笑しているらしく、こちらへくる様子はなかった。
「相田千佳ってわかりますか」
「どうしてそれを――ああ、聞いたのか」
「写真を撮ったやつがいるんです。この近くにいたんですよ。見ました?」
 誠司は信じなかった。だったら説明するより見せたほうが早い。その画像を開いたスマートフォンが、手から手へとわたって、誠司の前に開示された。
「この女だ! 絵美にとりついているのは」誠司は言った。
「わかりますよね。この日付」
「昨日? どういうことだ。これはそこの駅なのか」
 まちがいない。誠司は食い入るように見ながら、自分のスマートフォンをとり返した。「やめないか!」タップひとつで画像を転送されてしまうと思ったのだ。さすがに大人げない行為だった。
「こんなことしたら向こうも気づいたんじゃないか。どういう状況だった?」
 事務員の男はそれを認め、「ちゃんと警告したって聞いてます」と言った。そして反対に、偶然だと思うかと誠司に問いかけた。誠司は前を向いたまま物思いに沈んだ。いったいどういうことだ? 口だけとはいえ、幼い子供に手をかけたことにかわりはない。こんなかたちで過去の男の前にあらわれて、それ自体が屈辱にならないだろうか? 自分だけは特別だと思ったのか?
「どうです? これでもう近づけませんよ」
 誠司は頷き、そのスマートフォンがまた人の手に回っていくのを見守った。誠司はもう相手が女であることを忘れそうな、物騒な話には加わらなかった。
「ほら、みんなに回して!」
 彼らは、自分と、自分の居場所を守ったのだ。何らかの手段をもって退治できるものなら、彼らがするだろう。襲われたら守る。簡単な話だからだ。では、同じ男として、井坂はどうなるのか? 過去の女にとりつかれた不運な男か? 浮気によってつけ入る隙を与えたみじめな負け犬か?
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