第47話
文字数 1,186文字
絵美の友達が帰るときには、井坂もそっちへいった。またきてよ。ほんとに楽しかった。今度いっしょにいこうね……。井坂は「ありがとう」としか言わせてもらえず、絵美の友達がほとんど逃げるようにしたので、相変わらず暗い影を背負った絵になる男だった。
絵美が目をそらしたのを、誠司だけは見逃さなかった。また人がきたことを知らせると、絵美が手を洗いながら言った。「須藤さん。身内が不動産会社をしてるのよ。こことは関係ないけど」
須藤は窓の方にきて、ノックの身振りをした。ドアが開いた瞬間、絵美がぱっと華やいだ笑顔をつくった。それは誠司が見ても非の打ちどころがなかった。
「ずっと見ないから心配してたよ!」
須藤はものの数秒で、全身で包み込むように、絵美をうけとめていた。絵美は子供が元気にしていることと、保育園に通いはじめたことを、軽やかにつたえた。
「困ったらうちにつれてきて。家はわかるよね。そうだ、一回きたことがあったね! あたしのほうが忘れてる!」
ほとんどが住宅と商店だった。須藤は子育て中の家族を知っていて、絵美に会わせたがった。
「今いこうよ。ちょっとだけ。ぜったい馬が合うから」
彼女からすれば、大人の女だけで話せるときを逃す手はないのだった。いま時間が空いているかと問いかけた。絵美よりずっと若く、そのときだけ、おびえたような、申し訳なさそうな顔をした。
「いってこいよ。こっちは大丈夫だから」井坂は隙のない笑顔で、須藤にも言った。「いつもありがとう」
井坂がシダのハンギングバスケットを床におろしてカウンターに入った。誠司は言った。
「子供のころは人づきあいを苦手にしてたんだが、妻に似てきたかな。しかし、こんな店をはじめたら閉じこもってもいられないな」
井坂は細長い注ぎ口のじょうろに水を汲み、それを傍らに置いて野菜を洗いはじめた。絵美のことを考えているのかと思いきや、そうでもなかった。いつの間にか、楽しくない過去を思い出して、追体験していたようだった。「自分を軽視するやつには容赦なかったですね」
「あの女のことか。それからは何もないのか」
「たぶん」
誠司はぎろりと睨み上げた。まったくなってない返事だが、そう言わざるを得ないのも、同じ男としては容易に理解することができた。
「そうだな。いまは人を雇うために働いてるか。よくここまで軌道にのせられたものだ。本当に大したものだよ」
「いえ、そんな」
「いやいや、本当によくやったよ」
誠司は二人が積み重ねてきた努力を誉め、ふと思いついたように言った。「あれはまだ君のことを愛しているのか」
「まさか。千佳が愛した人間なんて一人もいません。おれがはじめての男でもないし、最後の男でもありません。おれが嘘と本当を見抜けなかったから。今だったらぜったい――」
そこでぷつりと言葉が途切れた。どうやら口を滑らせたことに気づいたらしい。
絵美が目をそらしたのを、誠司だけは見逃さなかった。また人がきたことを知らせると、絵美が手を洗いながら言った。「須藤さん。身内が不動産会社をしてるのよ。こことは関係ないけど」
須藤は窓の方にきて、ノックの身振りをした。ドアが開いた瞬間、絵美がぱっと華やいだ笑顔をつくった。それは誠司が見ても非の打ちどころがなかった。
「ずっと見ないから心配してたよ!」
須藤はものの数秒で、全身で包み込むように、絵美をうけとめていた。絵美は子供が元気にしていることと、保育園に通いはじめたことを、軽やかにつたえた。
「困ったらうちにつれてきて。家はわかるよね。そうだ、一回きたことがあったね! あたしのほうが忘れてる!」
ほとんどが住宅と商店だった。須藤は子育て中の家族を知っていて、絵美に会わせたがった。
「今いこうよ。ちょっとだけ。ぜったい馬が合うから」
彼女からすれば、大人の女だけで話せるときを逃す手はないのだった。いま時間が空いているかと問いかけた。絵美よりずっと若く、そのときだけ、おびえたような、申し訳なさそうな顔をした。
「いってこいよ。こっちは大丈夫だから」井坂は隙のない笑顔で、須藤にも言った。「いつもありがとう」
井坂がシダのハンギングバスケットを床におろしてカウンターに入った。誠司は言った。
「子供のころは人づきあいを苦手にしてたんだが、妻に似てきたかな。しかし、こんな店をはじめたら閉じこもってもいられないな」
井坂は細長い注ぎ口のじょうろに水を汲み、それを傍らに置いて野菜を洗いはじめた。絵美のことを考えているのかと思いきや、そうでもなかった。いつの間にか、楽しくない過去を思い出して、追体験していたようだった。「自分を軽視するやつには容赦なかったですね」
「あの女のことか。それからは何もないのか」
「たぶん」
誠司はぎろりと睨み上げた。まったくなってない返事だが、そう言わざるを得ないのも、同じ男としては容易に理解することができた。
「そうだな。いまは人を雇うために働いてるか。よくここまで軌道にのせられたものだ。本当に大したものだよ」
「いえ、そんな」
「いやいや、本当によくやったよ」
誠司は二人が積み重ねてきた努力を誉め、ふと思いついたように言った。「あれはまだ君のことを愛しているのか」
「まさか。千佳が愛した人間なんて一人もいません。おれがはじめての男でもないし、最後の男でもありません。おれが嘘と本当を見抜けなかったから。今だったらぜったい――」
そこでぷつりと言葉が途切れた。どうやら口を滑らせたことに気づいたらしい。