第15話

文字数 959文字

「こんなふうにお父さんと二人になる日がくると思わなかった」
「どういう意味だ?」
「あたしもお母さんがいなくなって悲しいよ。いまの自分を見せたいとは思わないけどね。何もかもが急だったし、ふりかえるような時間がとれなかったから仕方ないよね」絵美は身じろぎをしながらやさしく微笑んだ。「そんなときに何もできなかったことはほんとに悪いと思ってる。もっと会いにいくんだった。あたしがいたって慰めにも何にもならなかったかもしれないけど。お母さんは幸せだったよね。お父さんが最後までそばにいたんだもんね」
「よく看護師に自慢してたよ。娘に孫ができたって。絵美は誰よりも努力してる。母さんは絵美のことを何も心配してなかった」
「きちんと結婚式挙げればよかったね」
 誠司はバックミラーを見た。「みんなで食事したじゃないか。母さんがあんなに喜んだことはなかったぞ」
「おかしいよね。あのときはしないほうがいいと思ってたのに」
 ぽつりぽつりとつないでいた絵美の言葉が途絶え、やがて沈黙が下りた。誠司は妻への思いをかみ締めて何も言わなかった。誠司は運転に集中しながらも、頭ではただ店を見て帰るためにきたんじゃないと考えていた。
「どうやって話すつもりなんだ。その――むこうは仕事中だろ。客だっているだろうし」
「大丈夫。一人でいくから」
 誠司は電話をしようと考える度に思いとどまってきた。ぶち壊したいのでないかぎり、親の出る幕ではないからだ。あくまで男女の問題だからだ。しかしだ。あいつは結局一度も電話をよこさなかった。電話があれば娘にいい知らせができたにちがいない。少なくとも最初のうちは待っていたかもしれないのだ。娘の苦しみを肌で感じながらも、娘婿が頭を下げてくるのであればとりなしてやらねばなるまいと、なんとも具合の悪い考えに悩まされた。今はもっと荒っぽい考えに傾いていた。自分があとから乗り込むことだってあるかもしれない――。娘の鬼気迫る迫力以外に、それを押しとどめるものは何もなかった。
 誠司はコンビニエンスストアに顔を向けた。「喉渇かないか。水買ってくるぞ」
 絵美が首を振ると、妻がしていた真珠のピアスが揺れた。
「とにかく自分を犠牲にするんじゃないぞ」――それがかえでのためでもあるのだから。誠司はそう思った。
 絵美は、今度は首を縦に振った。
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