第15話 世直し将軍

文字数 1,306文字

しかし、ティチングは、派遣出来る船大工がいないとして、要請を拒んだ。

そこで、ティチングとの交渉を担当した意次は、

日本人をバタビアに派遣する対案を提示するが、

またもや、鎖国令を根拠に拒否された。

 翌年の9月、幕府は、再度西洋船の技術指導等を要請すると共に、

大坂から長崎へ銅を輸送する廻船の難破が多い事を理由に

オランダ船の模型と船大工の派遣を再度要請した。

ティチングは、最後にはおれて1度、

帰国した後の天明4年、7月に模型を引き渡した。

 天明4年、3月22日の夜、意知は、

隠し金の情報を提供すると申し出た者と会うため、【龍口亭】へ行った。

その後、帰宅せず、意知の家族は、意次に、

意知が行方不明になっている事を報せた。

 意次は、家中の者たちに意知を捜させたが、

意知を見つけ出すことは出来なかった。

意知が行方不明となったのは、天明の大飢饉をきっかけに、

社会不安が高まり江戸の治安が悪化していた時期であった。

 天災が相次ぎ、世情不安が生じたのは全て、

田沼意次の失政によるものとの落書きが江戸に広まった。

政策を審議、立案したのは評定所の構成員たちであり、

意次一人で成したわけではなかったが、

何故か、世間では意次の独断と見なされた。

「これで、あやつも終わりじゃ」
 
 世情不安が生じたのは全て、

田沼の失政によるものとする落書きがあちこちで出回る中、

江戸市中にある廃屋でほくそ笑む者がいた。

「先日、九八郎殿が、幕府へ、

幕政に対する意見書を提出したそうな」

「いつもながら、植崎殿には頭が下がる。

あの御仁のおかげで、心がスッとした」

「主殿頭を失脚させるまで、あと、一歩という感じですね」
 
 たき火を囲みながら、浅葱裏たちが話しているところに、

市中を巡検しに出掛けていた仲間が戻って来た。

「ご苦労。市中の様子は、どうじゃった? 」
 
 佐野が、戻って来た仲間の1人に訊ねた。

「真宗門徒らしき坊主が数名、

念仏を唱えながら、武家屋敷を廻っておった。

丑3つ時に、念仏の声を聞くと薄気味悪うてたまらん」
 
 その男は、薄ら笑いを浮かべた。

「宗名論争が落着解決をみずして、坊主らも、相当、焦っているに違いない。

世情不安を逆手に取って民心を得るつもりかもしれぬ」
 
 佐野が編み笠を被ると言った。

「お出掛けですか? 」

「ちと、野暮用でな」
 
 佐野は、夜勤の為、根城を後にした。

 江戸城へ向かって歩いていると、前方に、白い影が見えた。

白い影は、目に見ぬ速さで佐野の目の前に移動した。

「何奴」
 
 佐野は、殺気を感じて脇差しに手をかけた。

「貴様が、新番士の佐野政事であるか? 」
 
黒雲に隠れていた月が顔を出すと、

月光に照らされて、白い影が浮かび上がった。

よく見ると、天狗のお面を被り白い着物に身を包んだ人間がいた。

「左様だが、何用じゃ? 」
 
 佐野が答えた。

「七曜紋を背負った者は、天罰をくらうであろう」
 
 どこからともなく低い声が聞こえた。

「七曜紋とな? 」
 
 佐野は、目を見開いた。七曜紋は田沼の家紋だ。

「そして、貴様は、世直し将軍と称賛を浴びる事になる」

「それがしが、世直し将軍とな? 馬鹿な」
 
 佐野が、聞き返した時には、白い影は目の前から消えていた。
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