第5話 人たらし
文字数 2,144文字
鷹狩から数日後、家斉は、定之助を呼んだ。
その日、大奥の御三之間では、茂姫の実家から贈られた
珍しく豪華な品々のお披露目会が催されていた。
家斉は、謁見を許したにも関わらず、
定之助が、いっこうに登城しない事に気をもんだ。
朝早く、木村から、定之助が登城したとの報せを受け取り、
午前中、何もせず、部屋で待っていたが、
来る気配はなく、奥向の方が、やけに、騒がしいのが気になって、
奥向の様子を見に行った。家斉は、廊下で会った
奥女中をつかまえると定之助を見たかと訊ねた。
「中野様でしたら、御三之間に入る所をお見かけしましたよ。
何でも、薩摩から、珍しい贈り物が届いたそうで、
朝から、奥女中らが押しかけて、
御三之間は、それは、にぎやかにてございます」
家斉は、茂姫が居所とする御三之間の近くまで行ってみた。
障子の隙間から、中の様子を伺い見ると、
茂姫を取り囲む奥女中たちの輪の中に、
定之助が、ちゃっかり座っているのが見えた。
謁見の刻限を過ぎても、いっこうに、姿を見せないかと思えば、
薩摩の贈り物につられて、奥向へ、ノコノコとやって来ていたのだ。
家斉は、奥女中たちと楽しそうに語らう
定之助の姿を見ているうちに声を掛ける機会を見失い
【御三之間】の外で右往左往した。
「茂姫に御用では? お入りにならないのですか? 」
聞き覚えのある女子の声にふり返ると、大崎が立っていた。
「大崎。良い所へ参った。あの者を呼んでもらえるか? 」
家斉が、定之助を指差して言った。
「大納言様が直々に、家来をお迎えに上がるなどあってはならぬこと。
私が、何とかします故、大納言様はお先にお戻りくだされ」
大崎が、家斉君を戻るよう促した。
「大崎。あとの事は、そなたに任せた」
家斉は宇治之間へ舞い戻った。
「中野殿。そろそろ、宇治之間へ参られてはどうなのじゃ」
大崎は、わざと、声を張り上げて言った。
大崎の声に、奥女中たちが、一斉に、定之助に注目した。
定之助は、決り悪そうに席を立つと【御三之間】を出た。
その数分後、定之助は、何食わぬ顔で、宇治之間に姿を見せた。
障子が開くのと同時に、家斉はあわてて書物を広げた。
定之助は颯爽と中に入ると、家斉の前に着座した。
「奥向の方が、やけに、にぎやかじゃが何かあったのか? 」
家斉が、書物から顔を上げると訊ねた。
「女人が、ひとたび集まるとにぎやかなのは常にござる」
定之助が素知らぬ顔で答えた。
「そちがいっこうに参らぬ故、そちの身に何かあったかと心配したぞ」
家斉が不機嫌そうに言った。
「よんどころない理由で遅れました。お許し頂きたい」
定之助が白々しく言い訳した。
「よんどころない理由とは何じゃ? 申してみよ」
家斉がぶっきらぼうに言った。
「御台様のご実家から届けられた贈り物を拝見して参りました。
おかげさまで、大納言様の御前に土産話を持って相成りましてござる」
定之助があっけらかんとして答えた。
「さよか」
家斉が言った。
「ちと、失礼つかまつる」
定之助はおもむろに、席を立つと、
床の間に飾られていた花の向きを手早く直した。
「これ。それは、大崎が生けたものじゃ」
家斉が咳払いして言った。
「手直しを加えたことは、大崎局にはくれぐれも、御内密に願います」
定之助が頭を下げた。
「言われずとも心得ておる。ああ見えて、
大崎は、気位が高いのじゃ。
手直しが入ったと知れば、そちを恨むことじゃろ」
家斉がいたずらっぽく言った。
「奥の者にまでお気遣いなさるとは、
大納言様は、まことに、お優しい御仁にございますな」
定之助が穏やかに微笑んだ。
「して、大奥はどうじゃ? 変わりはないか? 」
家斉が身を乗り出すと訊ねた。
「近頃、奥女中らの間で、種姫様の御婚礼が話題になっております。
何せ、将軍姫君の入輿は、吉宗公の養女、
利根姫以来50年ぶりのことにて、
豪華な婚礼は必定ですな。勘定方が、
根を上げるのも時間の問題でございますな」
定之助が饒舌に語った。
「諸大名に、献金させれば良い話ではないのかのう」
家斉が素っ気なく言った。
「中には、国役や手伝普請で借金がかさみ、
破綻した藩の財政を立て直すため、
厳しい年貢の取り立てをして
領民を苦しめている藩主もおるようでござる」
定之助が厳しい面持ちで告げた。
「さらば、財政が豊かな藩に出させればよかろう」
家斉が言った。
「財政が豊かと言えば、薩摩藩の学問所は、
武家に限らず町人や百姓も通う事を許されておるそうな。
幕閣内の出世にこだわっている小者とは異なり、
薩摩守は先見の明をお持ちのようでござる」
定之助が饒舌に語った。
「男の癖に、奥女中の行儀作法指南役を務めていると聞き、
何奴かと思ったが、見直したぞ」
家斉が感心した気に、定之助を褒めた。
夕食の前。家斉は、厠から出て、
【宇治之間】に戻ろうとした矢先、
出会い頭に、意次と出会った。
意次は、家斉に気づくと、素早く、廊下の端に下がった。
「大納言様。ちと、よろしいか。
先程、中野定之助が、宇治之間から出て参る所を見かけましたが、
中野は、何用で宇治之間を訪れたのでござるか? 」
意次が、家斉を呼び止めると訊ねた。
「何故、斯様なことをそちが気にする? 」
家斉が訊き返した。
その日、大奥の御三之間では、茂姫の実家から贈られた
珍しく豪華な品々のお披露目会が催されていた。
家斉は、謁見を許したにも関わらず、
定之助が、いっこうに登城しない事に気をもんだ。
朝早く、木村から、定之助が登城したとの報せを受け取り、
午前中、何もせず、部屋で待っていたが、
来る気配はなく、奥向の方が、やけに、騒がしいのが気になって、
奥向の様子を見に行った。家斉は、廊下で会った
奥女中をつかまえると定之助を見たかと訊ねた。
「中野様でしたら、御三之間に入る所をお見かけしましたよ。
何でも、薩摩から、珍しい贈り物が届いたそうで、
朝から、奥女中らが押しかけて、
御三之間は、それは、にぎやかにてございます」
家斉は、茂姫が居所とする御三之間の近くまで行ってみた。
障子の隙間から、中の様子を伺い見ると、
茂姫を取り囲む奥女中たちの輪の中に、
定之助が、ちゃっかり座っているのが見えた。
謁見の刻限を過ぎても、いっこうに、姿を見せないかと思えば、
薩摩の贈り物につられて、奥向へ、ノコノコとやって来ていたのだ。
家斉は、奥女中たちと楽しそうに語らう
定之助の姿を見ているうちに声を掛ける機会を見失い
【御三之間】の外で右往左往した。
「茂姫に御用では? お入りにならないのですか? 」
聞き覚えのある女子の声にふり返ると、大崎が立っていた。
「大崎。良い所へ参った。あの者を呼んでもらえるか? 」
家斉が、定之助を指差して言った。
「大納言様が直々に、家来をお迎えに上がるなどあってはならぬこと。
私が、何とかします故、大納言様はお先にお戻りくだされ」
大崎が、家斉君を戻るよう促した。
「大崎。あとの事は、そなたに任せた」
家斉は宇治之間へ舞い戻った。
「中野殿。そろそろ、宇治之間へ参られてはどうなのじゃ」
大崎は、わざと、声を張り上げて言った。
大崎の声に、奥女中たちが、一斉に、定之助に注目した。
定之助は、決り悪そうに席を立つと【御三之間】を出た。
その数分後、定之助は、何食わぬ顔で、宇治之間に姿を見せた。
障子が開くのと同時に、家斉はあわてて書物を広げた。
定之助は颯爽と中に入ると、家斉の前に着座した。
「奥向の方が、やけに、にぎやかじゃが何かあったのか? 」
家斉が、書物から顔を上げると訊ねた。
「女人が、ひとたび集まるとにぎやかなのは常にござる」
定之助が素知らぬ顔で答えた。
「そちがいっこうに参らぬ故、そちの身に何かあったかと心配したぞ」
家斉が不機嫌そうに言った。
「よんどころない理由で遅れました。お許し頂きたい」
定之助が白々しく言い訳した。
「よんどころない理由とは何じゃ? 申してみよ」
家斉がぶっきらぼうに言った。
「御台様のご実家から届けられた贈り物を拝見して参りました。
おかげさまで、大納言様の御前に土産話を持って相成りましてござる」
定之助があっけらかんとして答えた。
「さよか」
家斉が言った。
「ちと、失礼つかまつる」
定之助はおもむろに、席を立つと、
床の間に飾られていた花の向きを手早く直した。
「これ。それは、大崎が生けたものじゃ」
家斉が咳払いして言った。
「手直しを加えたことは、大崎局にはくれぐれも、御内密に願います」
定之助が頭を下げた。
「言われずとも心得ておる。ああ見えて、
大崎は、気位が高いのじゃ。
手直しが入ったと知れば、そちを恨むことじゃろ」
家斉がいたずらっぽく言った。
「奥の者にまでお気遣いなさるとは、
大納言様は、まことに、お優しい御仁にございますな」
定之助が穏やかに微笑んだ。
「して、大奥はどうじゃ? 変わりはないか? 」
家斉が身を乗り出すと訊ねた。
「近頃、奥女中らの間で、種姫様の御婚礼が話題になっております。
何せ、将軍姫君の入輿は、吉宗公の養女、
利根姫以来50年ぶりのことにて、
豪華な婚礼は必定ですな。勘定方が、
根を上げるのも時間の問題でございますな」
定之助が饒舌に語った。
「諸大名に、献金させれば良い話ではないのかのう」
家斉が素っ気なく言った。
「中には、国役や手伝普請で借金がかさみ、
破綻した藩の財政を立て直すため、
厳しい年貢の取り立てをして
領民を苦しめている藩主もおるようでござる」
定之助が厳しい面持ちで告げた。
「さらば、財政が豊かな藩に出させればよかろう」
家斉が言った。
「財政が豊かと言えば、薩摩藩の学問所は、
武家に限らず町人や百姓も通う事を許されておるそうな。
幕閣内の出世にこだわっている小者とは異なり、
薩摩守は先見の明をお持ちのようでござる」
定之助が饒舌に語った。
「男の癖に、奥女中の行儀作法指南役を務めていると聞き、
何奴かと思ったが、見直したぞ」
家斉が感心した気に、定之助を褒めた。
夕食の前。家斉は、厠から出て、
【宇治之間】に戻ろうとした矢先、
出会い頭に、意次と出会った。
意次は、家斉に気づくと、素早く、廊下の端に下がった。
「大納言様。ちと、よろしいか。
先程、中野定之助が、宇治之間から出て参る所を見かけましたが、
中野は、何用で宇治之間を訪れたのでござるか? 」
意次が、家斉を呼び止めると訊ねた。
「何故、斯様なことをそちが気にする? 」
家斉が訊き返した。
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