第67話 幕引き

文字数 2,144文字

それから数日後。定信一行は、江戸を発ち、

予定通り三島から天城を超えて片瀬に至った。

伊豆相模の海岸を巡視し海防のため、

浜に松を植樹するように指示した。

家斉は、定信の留守中、江戸を発つ前、

定信より届け出のあった辞職届けを改めて受理した。

これは、1月に判決が出た【尊号一件】の影響があったと言われた。

幕臣たちの間では、光格天皇が実父にあたる

典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとした時、

家斉が、治済に大御所の尊号を贈り西丸御殿に招こうとして、

定信から猛反対されたことを根に持ち

罷免したのだという風聞がささやかれた。

中山愛親と伝奏の正親町公明2名は幕府の召喚を受けた。

中山は、一件紛糾の責任を問われ

閉門百日に処されると共に議奏を解任された。

正親町公明は50日の逼塞に処された。

定信は、出張中に辞職願が受理され

江戸に帰国した直後罷免を申し渡された。

罷免直後に行われた謁見の場に現れた

定信の様子はいつも通りに見受けた。

一方、江戸に送検送還された大黒屋光太夫と磯吉は、

奉行所において形式的な吟味と審問を受けた後、

家斉より謁見を賜るため江戸城の【吹上御殿】へ移動した。

2人と共に、江戸に送還された後、

家斉より謁見を賜るはずであった小市は、

壊血病にかかり若死にした。

小市の妻には、幕府より、銀10枚と遺品が下げ渡された。

謁見の場に姿を見せた光太夫と磯吉に、

家斉と列席した定信をはじめとする諸臣たちは驚かされた。

光太夫にいたっては、赤蝦夷に滞在する間、

伸ばしたと思われる長髪を3つに編んで後ろに垂らした髪型で、

胸には、エカテリーナ二世から賜った金メダルをぶら下げ、

筒袖の外套に黒皮の長靴を履いた洋装姿であった。

磯吉もまた、光太夫とほぼ同じ洋装姿であった。

光太夫の態度は実に、堂々としたもので

諮問を担当した桂川甫周の質問に対しても

ケチのつけようのないしっかりとした受け答えをした。

光太夫は、息つく間もなく赤蝦夷へ漂流した後、

赤蝦夷帝国内を渡り歩いた苦労話にはじまり、

厳冬の中、仲間を相次いで失った悲劇。

赤蝦夷で知り合った人たちについて。

皇帝への謁見・日本帰国までの経緯・赤蝦夷の風俗から、

衣服・文字・什器類・民族・赤蝦夷で訪問した諸施設や

諸貴族の館の様子に至るまで余すことなく語った。

家斉はすっかり、光太夫の話に聞き惚れてしまった。

話が終わるころには、光太夫を側近にしたいとまで思ったが、

褒奨金を与えるのが精一杯であった。

光太夫は、故郷の会津へ帰国を望んだが、

幕府が、帰国を許可しなかったことから

手当金を貰いながら薬草園で暮らすこととなった。
 
 謁見の後、定信は、【吹上御殿】の庭を散策する

家斉一行を見送ると退出のため席を立った。

「越中殿」
 
 定之助は思わず、

目の前を通り過ぎようとした定信を呼び止めた。

「何用じゃ? 」
 
 定信が、足を止めると穏やかに訊ねた。

「恐れながら、今なら、まだ、間に合うのではござらんか? 

貴殿の様な御仁が辞されるとは、まことに、残念極まりない。

公方様は、越中殿が、早まった事をしたと

詫びられればお許しになります。

お2人の間には、主君と臣下以上の絆があると存じます」

  定之助が真摯に訴えた。

 家斉は、経験を積まれ、以前に比べると、

しっかりして来たが、まだ、まだ、苦言を呈してくれる

年長者が傍に必要だと感じていた。

「我が、お傍におれば、公方様は、

まことの君主にはなれぬと気づいたのじゃ。

我は、公方様が、転ばぬように申す先から手を出してしまう。

若い公方様には、それがうるさいとお感じになるのだと存ずる。

公方様のお傍におる人間は、

そちのような同じ志を抱き共に歩く者が相応しい。

我は、おとなしく身を引くまでじゃ」
 
 定信の横顔には哀愁が漂っていた。

「わしの様な半端者が、

公方様と共に歩くなど滅相もないことにござる。

今は、苦言を煩いとお感じになられたとしても、

この先、苦難に直面なさる時があれば、

越中殿を頼りになさるはず。

まだ、公方様には杖が必要かと存じます。

何卒、お考え直しくだされ」
 
 定之助は深々と頭を下げた。

「杖とな? 面白きことを申すではないか? 

公方様は、杖なしの方が歩きやすいのではないのかのう。

これからは、そちが、

手綱を締めて危うい方へ行こうとなさった時は、

正しい方へお進みになるようお支えせよ。

杖で、暴れ馬の頭や腹をたたいた所で何にもならぬ。

はっははあ」
 
 定信が豪快に笑った。

定之助は、定信の思わぬ態度にあぜんとした。

「行かずとも良いのか? 

公方様が、険しい顔でこちらをご覧になられておるぞ」
 
 定信が、定之助の背中を軽くたたいた。

「お引き留めして、失礼申した。これにて、御免仕る」
 
 定之助は、あわてふためいた様子で家斉の元へ駆けて行った。

定信の失脚後、家斉はしばらく、

将軍親政を行う事はなかった。

新たに、老中首座に就いた松平信明が、

定信の改革方針だけでなく反骨精神まで

受け継いだ事を後に知ることとなる。

蝦夷地開発については積極的であったが、

幕府の財政は、相変わらず火の車で困難な道程であった。

意次の娘のお宇多が大奥に奉公に上がったり、

種姫に従い紀州藩の奥向に仕えていた押田耀が大奥に復帰したりと

大奥に喜ばしい変化があったことから、

家斉の関心は自然と奥向に向くのであった。

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